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河野裕子『桜森』5

妻子無く職なき若き日のごとく未だしなしなと傷みやすく居る 二人の子を得て夫婦で一つの家族を作っていく時期のはずなのに、夫はまだ独身の無職の頃のような傷つきやすい青年の面を持っている。母になり腹を据えて家庭を築こうとする主体はその「しなしなと」した様子を見ている。

二人子を抱きてなほも剰る腕汝れらが父のかなしみも容る 二人の子を心から愛してもまだ愛情は余るほどある。その愛情で子らの父、つまり自分の夫もそのかなしみごと抱きとろうというのだ。母として妻としての一般論ではなく、河野裕子という強い愛に満ちた人のみが詠み得る歌だ。

君を打ち子を打ち灼けるごとき掌よざんざんばらんと髪とき眠る 強い女の歌ではない。この一連は暗く、日常生活に潜む不安に満ちている。愛情に駆られて夫も子も抱きしめたかと思えば、その愛の強さと相手のままならなさに追い詰められ手が熱くなるまで打つ。心はぎりぎりなのだ。

花や藁乾きてゆける陽の下に血の壺のやうに重たきわれは 象徴的な一首。花も藁も具体的というより一般的に植物類を指す。それらが枯れてしまうほどの炎天下にあって、乾くどころか、血が煮詰まってどろどろと体内にあるように感じているのだ。言いさしの結句に飢餓感がある。この歌が「君を打ち子を打ち~」の次にあることなどアンソロジーだけ読んでいては分からない、歌集を読む喜びだと思う。

木木の根の及ばぬ深さに降ろされて未だ鮮しき耳もてる死者 火葬のはずなのだが、この歌ではまるで土葬のようだ。死者が身体を保ったまま、地下深くに降ろされる。最後まで感覚が残る器官と言われる耳。死者の耳が主体とその回りの言葉を聞いている。それを主体も感じているのだ。

2021.6.30.~7.1.Twitterより編集再掲