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『まいだーん』vol.3

『まいだーん』vol.3 2021年2月発行 発行人三井修

戦闘的言説で勝ちたる人が傷つけてゐる何かを思ふ 高山邦男 物の言い方によって事実が歪められたり、そこまでいかなくても、受け取る印象が随分変わるということを、近年痛感した。「ーが」は一首中の主語ではなく、「何か」にその上が全部かかり、「思ふ」のは作者と取る。

②座談会「短歌における口語と文語」出席者 種市有紀子 千種創一 畑彩子 三井修 いつも短歌における文語口語問題に興味を持っているのでこの座談会も面白く読んだ。一番始めに文語口語の定義を入れて欲しかった、というのは思う。

千種創一〈口語を使うことにより、少なくとも時間幅・引用幅・助詞の存在感・描写幅を「拡大」できます。〉ここまでの話の中で「助詞」の話が面白かった。短歌の言語に、文語と口語がミックスで使われているからこそ、の技法だと思う。

種市友紀子〈文語で作っていても現在話している言葉の影響は受けています。現代における古語の残存率が高いのは動詞で、そういうことも意識しています。〉基本的に現在話している言葉でしか発想できない気がする。そこに古語の動詞や助動詞を混ぜたものを文語といっているのではないだろうか。

畑彩子〈二〇二〇年といういま現在、文語口語混交で短歌をつくっている人が一番多いと思います。百パーセント口語、あるいは百パーセント文語の短歌でいこう、と決意して短歌を作っていくのは現在も未来も大変なのでは?〉文語口語混交以外はあり得ないと思う。100%は大変というより不可能だと思う。

などなど、思ったままに書きましたが、自分の思考を深めるいい刺激をもらいました。また自分でも色々考えてみたいと思います。

③「テーマエッセイ口語と文語」髙野岬〈果てしなく完了に近い「し」の誕生である。他に思うのは、動詞では、文語の歌なのに例えば「据う」と言わず「据ゑる」と言う、終止形「来(く)」は便利に使うが、終止形「得(う)」は余り使わないとか、統一は感じない。形容動詞でも「静かなる」は使わず「静かな」を使うなどキリはない。つまり文法の意味でも活用の仕方でも、音数・語感・雰囲気・慣れの点等から、短歌に都合のいい言葉の世界が作られているのだ。〉これがまさに現代の短歌における「文語」だと思う。例が充分あり納得できる。現在自分が日常使っている言葉で発想し、一部に古語を入れる。古語の割合は本人の古語への馴染み具合で様々になる。その割合によって文語感強めか弱めか、印象が変わるのだと思う。

2021.8.1.Twitterより編集再掲