『塔』2020年8月号河野裕子一首鑑賞

ハルシオンが効くまでひとりで起きてゐる黄のクレヨンで船描き陽を描き『日付のある歌』
 二〇〇〇年九月二十日、河野は偶然左脇の大きなしこりに気づく。二日後に乳癌と診断され、翌十月十一日に手術を受ける。掲出歌はその前日の十月十日のもの。これらの経緯は全て『日付のある歌』に克明に記録されている。いわば短歌で書かれた日録だ。明日は手術、眠れない河野は睡眠薬ハルシオンを酒で飲み込み、薬が効いてくるのを待つ。どうしようもない孤独と不安を打ち消すように、昔、子供が使った黄色いクレヨンで船や太陽を描く。救いのような眠りを待ちながら。きっと子供が描くような単純な絵だろう。大人が夜中にそんな絵を描く寂しさを思う。誰もが自分の身体を背負ってたった一人で生きていることを、この歌は読者に伝えてくれる。
『塔』2020.8.