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『ねむらない樹』vol.1 2018年8月

①2018年8月刊行。ずっと読もうと思っていたこのムック。すでに最新刊vol.6は既読。今の時点から読んでの感想を書いてみたい。

②「新世代がいま届けたい現代短歌100」これを読んでアンソロジーを選ぶことの難しさを考えた。このアンソロジーの編集方針として最初に「2001年以降発表のものから」「まだあまり知られていない作品や評価の定まっていない作品も、積極的にとりいれることにしました」とある。

 つまり2001年~18年限定で、知られていない、評価の定まっていない作品、つまりその時点でかなり新しい作品も、ということだ。難しい選択だなと思う。かなり2018年に寄ってしまいがちなのではないか。「この時点」での短歌の新しさの記録という側面はある。鮮度を保てるかどうかだろう。

③「選歌を終えて」小島なお〈私は日常と地続きの歌が好きです。なおかつ輪郭がはっきりしている歌。意味や景がわからない歌の魅力ももちろんありますが、より惹かれるのは場面や心の中の景がくっきりしているものでそこに強さを感じます。〉とても共感する。

 小島〈藪内亮輔さんの「「正義」とふ青銅の瓶のやうなことば使ひ方は斯うだ叩き付けてつかふ」は曖昧で抽象的な「正義」を、「青銅の瓶」という具体的なものに置き換えている。〉実景ではないけれど(心の中の景だが)実感がある、ということだろう。

 他の選者の選考基準も、共感するしないは置いておいて、なるほど、そこで選ぶのか的、結構よく分かる意見が多かった。選んだ歌が本当にいいかどうかはこれから時間が淘汰していくだろう。いっそ、新しい歌だけのアンソロジーにしたらもっと面白かったと思う。

④川口晴美『短歌という隣人』〈短歌から小説や漫画を創作したり(解凍と呼ばれた)、逆に小説や漫画から短歌を詠んだり(こちらは圧縮)、二次創作的な企画が秀逸だった。〉圧縮と解凍は、一般的な語なので、批評に使うと、その場によって意味が様々に違ってしまうようだ。

⑤シンポジウム「ニューウェーブ30年」もう様々に語り尽くされた感のある、このシンポジウム。私の考えでは、ニューウェーブは4人、と本人たちが限定したことは、短歌史的にとても良かったのではないかと思っている。見通しがすっきりした。短歌史が書きやすくなったのでは。

 80年代中期~90年代後期の、短歌が大きく変化した中の一部だ、ということだ。何ならその大きな変化をライトヴァースと呼んでもいい。その大きな流れの中に4人の集団があった。ニューウェーブとそのポストが歌壇を覆った、と考えるから見えにくくなっていたものが、見えやすくなったのではないか。

⑥寺井龍哉「時評」〈歌人たちの意識がいま、大きな過渡期にあるという感覚を拭いさることができない。〉短歌を始めて20年ぐらいだが、ずっと「今が過渡期だ」と言われているような気がしないでもない。正確に数えたわけではないので、何となくだが。もちろんいい悪いではない。

〈現状、ニューウェーブが短歌の言葉のすべてを例外なく塗り替えてしまうようなものだったとは信じられないし、今後それに比肩する大きな変革を待望することも困難に思える。〉パラダイムシフトの途中にいるわけではない、という把握だろうか。過渡期は結局どこかへ落ち着くのだろうか。

2021.4.16.~20.Twitterより編集再掲