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『塔』2021年8月号(1)

胸の上にドライアイスを重ねられなまものとして母眠りたり 中村英俊 亡くなった方の身体が傷まないようにドライアイスを載せる。そんな母の身体を「なまもの」と即物的に捉える。悲しみを強く出さない詠い方だ。「眠りたり」という言葉に母がまだ生きているような主観が表れている。

感情を司るのはここだろうショートケーキのいちごを齧る 朝野陽々 「ここ」の次に身体的な部位の説明が来るのかと思えば、いきなりショートケーキの苺を齧っている。まるで苺が心臓か脳の象徴のように思えて、それを齧る姿に動揺する。「齧る」が歯のようでいい。「司る」の堅さも◎。

③吉川宏志「青蝉通信」〈上の句と下の句の文末を同じにすることで、独特の効果を生み出している歌がある。〉吉川はこのタイプの歌を〈上下句同文末〉と呼び、口語になると印象が違う、と続ける。〈不完全な問いを畳み掛けることで、答えることのできない空白感を生み出している。〉

〈なぜこのような歌が作られるのだろう。コミュニケーションの手段は豊富なのに、自分の思いは伝わらないという現代の感覚が反映しているのかもしれない。〉〈句の最後で軽快に音が揃っている。これは、脚韻を多用する、音楽のラップに共通するリズム感覚でもあるのだろう。〉

この歌、何かありそうだけど分からないなーと思う時、吉川の「青蝉通信」がとてもヒントになる。以前「あげたい」(2020年3月号)を読んで随分、最近の短歌が読みやすくなった。今回の「上下句同文末」も既にHPにアップされています。「あげたい」も同HPで読めます。

働きて子を育てたる歳月の空箱のやう たたまれてゆく 酒井久美子 終わってしまえば本当に空箱のように思える歳月だ。あのバタバタした楽しいが苦労も多い日々は何だったのか。空箱までは他の人でも言えるかもしれないが、「たたまれてゆく」という喩に作者ならではの実感がこもる。

蘭鋳がちろちろ午後の泡を吹くネテヰルウチニアヤメチヤヒナヨ 千名民時 美しさとグロテスクさが紙一重のところで同居する金魚、蘭鋳。その蘭鋳が「寝ているうちに殺めちゃいなよ」と囁く。旧仮名カタカナ書きが暗号のようだ。一体誰を殺せと?静かな午後の悪夢。ちろちろ、も怖い。

それでも好きと言へただらうか巻き貝の殻の奥まで落ちてゆく風 千名民時 「それでも」はどんな状況かはっきりとは詠われない。好きとは言い難い状況が後から出て来たのだろう。下句は心象のような、目には見えない景。巻き貝の巻きに従って落ちてゆく風が抗えない運命を感じさせる。

海棠に雨したたれり別の婚選んだならとまた母が言ふ 栗山洋子 春、美しいピンクの海棠に雨が降っている。母は、結婚生活に不満を持ったまま、高齢に達してしまったのだろう。別の婚には別の婚の悩みや苦しみがあったはず。喜びも。そこに思いが至らない母を、主体は少し寂しく思う。

2021/9.25.~27.Twitterより編集再掲