『塔』2020年11月号(3)

わたしがわたしに戻ろうとするところ夢のなかで、水のなかで 椛沢知世 私が私でない状態が普通になってしまっているのか。戻ろうとするのに苦労しているような下句。夢の中で溺れそうになりながら私に戻ろうとしている。八五五七六と読んだ。四句は句点も一呼吸と取って七音。

パリーから息子でんぽう打ちてくるわが家の受話器外れているとう 武井貢 とてもスケールの大きい歌。何しろ作者はブラジル在住。内容は極小で、落差に微笑する。実家に電話が繋がらず業を煮やしたご子息が電報を打ってくる。メール普及以前の事だろう。パリーという表記も懐かしい。

入学せる第四錦林小学校子は思ひゐしよ「ライオン・キリン」小と 中村みどり 「だいよん・きんりん」小を「ライオン・キリン」小と思っていた子。何と可愛らしい。中川李枝子作、大村百合子絵の「いやいやえん」のページが頭に浮かんだ。

日本海ブルーのブローチゆれるたび鎖骨にとどく遠い潮騒 木原樹庵 日本海ブルーはエーゲ海や瀬戸内海と違ってかなり暗めの濃い青を想像する。ブローチが揺れるたびに鎖骨にその潮騒が感じられる。鎖骨は身体の中でも儚さを感じさせる部位。「とどく遠い」の頭韻がいいと思った。

オリビア・デ・ハビランド死す生きるため兵士の遺体隠ししメラニー 吉田典 「風と共に去りぬ」は毀誉褒貶相半ばする映画。若い頃、恋愛物としてはかなり好きだった。メラニーってちょっと微妙な立ち位置。男に守られる弱々しい女に見えて、実は強い女だと分かるシーンのオリビアの演技は上手かった。私は、オリビアはこのメラニー役でしか知らない。

夕立の気配が近いおおかみの耳をかくして薬局へ行く 帷子つらね 夕立が近い。自分の中にある動物の本能のようなものがそれを感知する。そんな動物のような自分の耳を隠して、人間臭い薬局へ行く。昨今のすこしにぎやかなドラッグストアではなく、簡素な薬局という言葉がいい。

いずれかは夏の星座の成れの果てカルピスに咲く水玉模様 千仗千紘 カルピスが入った水玉模様のグラス。懐かしい風景だ。しかしそれらの水玉が、夏の星座の成れの果て、と言われると突然違って見える。粋な、どこかわざと崩して見せた感じに見えてくる。

あきらかな預言に飽きているくせに静かに首をもたげる重機 千仗千紘 預言は未来の見えない大方の者には、思いがけないもののはずだ。「あきらかな預言」という矛盾。しかもそれに「飽きている」。音も重なる。飽きているのに、そっと首をもたげて聞く。重機は自分の喩か。詩を感じる一首。

2020.12.12.~14.Twitterより編集再掲