『塔』2020年12月号(3)

濡れた蜘蛛あしぬぐい了え大き玉捨てたり小さき水玉を飲む 谷口美生 とても観察が細かい。蜘蛛が濡れた脚を拭い終えて、巣に掛かった大きな水の玉を捨てる。どうやって捨てるんだろう。はじくのか。そして小さい玉の水を飲む。作者と並んで蜘蛛を見ているような気持ちになる。

悔み切れぬといふほどのことはもうなくて蕾をほどく青い朝顔/開いたらもう戻れない朝顔が見せる花芯の深きが白い 高橋ひろ子 二首セットで味わいたい。強い感情に支配され続けず、次の動作に移る朝顔。しかし開いてしまったらもう戻れない。「深きが白い」は人間の心を言うようだ。

縁日に傷痍軍人立ちをれば父思ひけりをさなごころに 鯵本ミツ子 とても記憶に残る一連。戦死した父。その父を思い出させる傷痍軍人。幼い日の記憶から、父の戦死した島を訪ねて追悼文を読んだ最近までを、収めた一連。短歌は記憶を入れ込めるタイム・カプセルだと思った。

木に鬼がゐるかも知れぬと思はせてエンジュは豆科の黄花を散らす 寺田慧子 鬼が隠れて動いた時にたくさんの花が散った、ということだろうか。静かなのに花が地面に散り敷いている。少し臆病な鬼が、花の付いた枝々の向こうにいるのかも。日常の風景がかすかに揺れるような見方。

褒められずに頑張るのが大人だと思う夜街があんなに遠い はなきりんかげろう 作中主体は頑張っている限りは褒めてもらいたいのだろう。自分は大人ではないという苦しい自覚があるのだろう。でも違う。みんな誰かに褒めてもらいたいと思っている。大人でも、だ。誰にでも、遠いと思う街はある。

喋らない介護はありか、あらないか、あれくさ、荒れ草靡くフロアで 森尾みづな 苦い言葉遊び。あらない、は標準語にはない。アレクサはスマートスピーカー。喋って何でも答えてくれる。アレクサから「荒れ草」へ。そして荒涼とした介護現場のフロアへ。

 「あらない」という標準語は無いけど、「あらへん」という関西ことばは「ある」。

まなうらに赤い満月 柔らかなノイズがジャニスの声に重なる 佐藤涼子 ノイズはラジオかレコードか。柔らかいノイズからジャニス・ジョプリンの低い声が立ち上がる。60年代の空気が流れて来る。赤い満月がジャニスの激しい生を象徴する。作中主体もジャニスに重なる心を持っている。

2021.1.6.~8.Twitterより編集再掲