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『塔』2022年2月号(1)

そのときまで君を忘れていたとしてそれでもマフラーゆっくり外す 川上まなみ  そのとき、はどんな時だろう。はっきり言わないところに余韻がある。それでも、も散文ではこうは繋がない繋ぎ方。ハッと君の存在を思い出し、でも焦ることなくマフラーを外す。心は乱れているけれど。

クレマチスにからむ昼顔剥がしゆくときに憎悪はおゆびより湧く 栗山洋子  両方蔓性植物だが、クレマチスは栽培し、昼顔は雑草的に伸びているのだろう。絡みつく昼顔を剥がす時に湧く憎悪。昼顔に対する憎悪ではなく、常に何か心に鬱屈があり、それがこの瞬間湧き出したと取りたい。

君であり君でない名の刻まるる碑に秋の水奉るなり 澤井潤子 戒名は君であり君でない名だ。その名が刻まれた碑(いしぶみ)。新しい墓に水を供えているのだろう。「奉る」という敬語、「なり」という助動詞が、近しい人から仏様になってしまった君への距離感を表している。

「永年の苦しみもまた大切なあなたの一部」と君は言ひけり 加茂直樹  とても心を打たれた歌。相手の明るい側面だけを共有するのではなく、苦しみもまた共有すると言ってくれる君。これが人と人が一緒にいることの意味ではないだろうか。自分の心情は述べていないが伝わってくる。

なぜか雨が降ってるような気がしてた冬の苺に指を汚して 佐藤涼子  春の果物苺、実は一番売れるのは冬だとか。苺を手掴みで食べる。手は少し汚れるけれど。その間なぜか雨が降っていないのに、降っているような気がしていた。その無いものを感じる感覚にリアリティがある。

母方は紙屋、毛糸屋、蒟蒻屋、酒屋、金物屋今どれもなし 倉谷節子  ノスタルジーを感じる一首。どれも市場の商店のようで、そして今は存在しない。小さな、でも豊かな文化がそれぞれの店にあったのだろう。母方、という指定が現実感を高める。父方は多分勤め人系なのかも。

ピアノとは打楽器なんだよこれは吾が躓き嵌まりしところでもあり 福井まゆみ  たしか中村紘子さんも同じことを言ってたような?確かにピアノは打楽器。だがちょろちょろ弾いているうちはそれが分からない。全身全霊ピアノにぶつかる時に、打楽器を極められるかどうかが分かれるのだ。

もうきっと死んでいるはず傷つけてきたのと同じだけ傷つけば 井上雅史  自分が傷ついた痛みは感じるが、自分が傷つけた痛みは感じにくい。自衛のために、そうなっているのだろうな。そうでなければこの歌で主体が気づいたように、誰もがもう死んでいるはずなのだ。

詩碑に詩の一部は彫られそれを読む十一月は冬のはじまり 森尾みづな  初句二句は少し丁寧に事物の説明をしている。三句は主体の動作。そしてそれが四句を連体修飾している。全てがなだらかに繋がって、四句五句に情感を持たせている。十一月の硬質な空気感が漂う。

こころなど見透かされつつ鈴懸の素肌をおもうあなたも斑 鹿沢みる  鈴懸の樹皮を素肌と捉える感受性。自分の心も、それを見透かす相手の心も、鈴懸の樹皮のように斑模様がある。明るい部分と暗い部分ということかも知れない。二人の間に鈴懸の樹がすっと立ったような一瞬。

歩道の葉追い越していつキリストの一人称は何だったろう 山尾閑  秋の落ち葉が風に舞う。歩道を風に吹かれていく落ち葉を主体は追い越していった。そう言えばキリストの一人称は何だったろうと唐突に思う。秋の荒涼とした風が、キリストの短い人生を思わせたのかもしれない。

2022.3.29.~31.Twitterより編集再掲