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角川『短歌』2022年12月号

①高野公彦「うたの名言」
「ある印象的で魅力的な表現が、時代から時代へ、少しずつ形を変えながら伝えられてゆくのを見るのは面白い。─大岡信」
 高野はこの大岡の発言のもとになった歌の変遷を挙げて〈先人の歌に対する興味と敬意、それが本歌取りという方法を生んだことを高く評価する。〉と述べる。その歌の変遷とは、
「水の上に数書くごときわが命妹(いも)に逢はむと祈誓(うけ)ひつるかも」『万葉集』⇒
「ゆく水に数書くよりもはかなきは思はぬ人を思ふなりけり」『古今集』⇒「水の面(おも)に夏の日数を書きやればまだき袂に秋風ぞ吹く」藤原俊成  
 これは面白い。個人的には『古今集』の一首が好きだが、歌のテーマをがらっと転換させた藤原俊成の力技にもびっくりする。

何が起こるかわからないのは人間が何を起こすかわからないから 香川ヒサ 理屈だなと思うが面白い。連作28首の後の方に「何を起こすか分からぬ人を囲みゐる何が起こるかわからぬ自然」という歌がリフレインのように出て来る。連作を読む楽しみを感じる。

ありありと眼が動揺を伝へくる人もありマスクの上ともなれば 花山多佳子 元々は眼よりも口元の方が大きく動かせて感情を表しやすいが、今の時代は眼で訴える度合いが大きくならざるを得ない。結句が大袈裟でおかしみがある。特に「とも」が目立つ。

かがみのなかのじぶんに到達できぬこと 空よ じぶんはここにゐるのに 渡辺松男 鏡の中の自分、は何を表すのか。実際に鏡を見てそこに写っている姿か、それとも理想の姿の喩か。鏡には空が映っている。しかしここにいる自分は、そこにある鏡にどうしても到達できないのだ。

ひとひらのこゑがみづうみみづうみをひとにあげようみ空のひとに 渡辺松男 声の単位としての「ひとひら」。その声が湖であるという把握。さらにその湖を今はもうそばにいない人にあげよう、という気持ち。み空へ行ってしまった人に、湖としての声を届けたいという願望なのだ。

目薬を授業のあいま点していてベテラン感の感はたいせつ 大松達知 本当にベテランであることと、ベテラン感を漂わせていることは、似ているが違う。後者はある程度、自分でコントロールが可能だ。主体は忙しない休み時間に余裕で目薬を点して、ベテラン感を醸し出している。

Ju suis afgan.青年言えば瞬きのふかく集まる会話教室 工藤貴響 フランス在住の作者。一人の青年が自分はアフガン人だと名乗った。その一瞬、人目が「ふかく」集った。今のフランスにおけるアフガン人の立場が際立って見えてくる歌。初句五音にフランス語がよく乗っている。

2022.12.19.~20.Twitterより編集再掲