2021年11月8日の読売新聞より

編集手帳

 北杜夫の小説の題名に三島由紀夫が電話で「文語と口語がごっちゃになっている」と言ってきた。しかし北は〈語感の点から、また短歌などで文語、口語をごっちゃにする例もあるので〉という理由で変えなかった、というエピソード。

 1966年(昭和41)の話。この頃、文語口語混合は小説の世界で問題視されていて、それを可とする根拠に短歌があげられていた、というのは興味深い。このコラムの著者がその証明に使ったのが木下利玄の「街をゆき子供の傍を通る時蜜柑の香せり冬がまた来る」、大正の歌人だ。

 歌人に、文語口語混合の歌を挙げろと言ってこの歌が出て来ることはまず無いだろう。歌人とそれ以外の人の文語口語意識の違いもかなり差があるのだな。

2021.11.9.Twitterより編集再掲