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『現代短歌新聞』2022年10月号

①佐々木亜子「読売文学賞の歌集『樛木』」〈作品には、余分な言葉を削ぎ落とした普遍的な美が備わる。〉
地面までいくほどもなき距(へだた)りを一ひら白き花びら流る 玉城徹 〈落ちゆく花びら。一篇の絵画や映像を見るようだ。〉
冬ばれのひかりの中をひとり行くときに甲冑は鳴りひびきたり 玉城徹
〈晴天の冬の冷気と鉄製の甲冑。研ぎ澄まされた言葉は奇妙な現実感を漂わせる。/歌集の後記に「私の作品は生の記録でないと同時に、ある観念の文学的表現でもない」とある。〉 この歌集後記は歌と共に読むと味わい深く意味深い。

当然のやうに雨の降る街にゐてここからいづれ出ることはない 西村玲美 当然のように雨が降る街、そして自分がその街を出て行くことはないと言い切る主体。ただ雨が降っているというだけなのだが、強い閉塞感のただよう一首だ。

③外塚喬「短歌レッスン」〈作者名が記されていなくても、この歌は誰かと想像がつくような個性的な歌を読む人は、短歌界にはそう多くはいません。(…)個性的であることはとても大切ですが難しいことです。学んでできることではないので、天性のものと思ってもよいでしょう。(…)渡辺松男さんの作品を読む楽しみは、現実と非現実的な世界を行き来できることです。〉今回外塚が引いている歌と読みが良かった。渡辺松男の歌集評は書く人によって歌があまり被らない。自分で歌集を読んだ後でも、人の歌集評を読んで、こんな歌があったのか、と思うことも多い。多面的なのだ。

④「河野裕子・永田和宏歌碑除幕式」京都の法然院に歌碑が建立され、除幕式が行われ、その後、河野裕子を語る集いが開かれた様子が書かれている。そこで坪内稔典が「河野裕子の歌を作者の文脈に置かない読み方が、永田家の裕子さんを広い世間の裕子さんにしていくと思う」
 河野裕子の歌は広がりがあり、様々な観点から読める。人生という文脈に置かずに読むという機運がもっと起こって欲しい、と同感した。
〈最後に挨拶に立った永田和宏氏は「(…)河野が亡くなってから掌を合わせるのは初めての経験だった。河野が死んだことに必死で抵抗してきたが、私自身が変わる大きな一日になった」と語った。〉泣ける。
 
歌碑除幕式の様子はこちらでもご紹介しています。

2022.11.15.~16.Twitterより編集再掲