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〔公開記事〕西欧への憧憬 斎藤史と堀口大學

 明治から大正にかけて、日本において西欧の訳詩集が数多く出版された。主なものだけでも、新声社同人(森鴎外他)訳『於母影』(明二十二)、上田敏訳『海潮音』(明三十八)、永井荷風訳『珊瑚集』(大二)、西条八十訳『白孔雀』(大九)、上田敏訳『牧羊神』(大九)、堀口大學訳『月下の一群』(大十四)、同『空しき花束』(大十五)等である。これらはアンソロジーであるが、その他にもハイネ、バイロン、ボードレールなど各国の詩人の訳詩集も出版されている。昭和初期のモダニズム短歌は、これら明治大正の訳詩集に多くを負っているといえるだろう。
 斎藤史の第一歌集『魚歌』は昭和十五年の発行であり、昭和七年から十五年の作品が収められている。このうち、二・二六事件以前の、昭和十年までの作品がモダニズム短歌と呼べるものであろう。『〔同時代〕としての女性短歌』(河出書房新社・平四)の中で斎藤史は佐伯裕子のインタビューに答えて次のように語っている。
  (…)モダニズムというものが発生した大正時代というのは、(…)ヨーロッパ文化がダーッと流れ込んだ時です。たとえば、映画にしてもフランス映画が入ってくる。それから詩のほうだって、コクトーとかグールモンとかアポリネールとか、翻訳で入ってくる。ピカソ、マチスなどの絵が入ってくる。(…)そういうものに若い者たちが魅かれないはずないでしょう。(…)                   「ひたくれないに生きて」
 コクトー、グールモン、アポリネールという詩人の作品を収めているのは前出の訳詩集の中では堀口大學訳の『月下の一群』と『空しき花束』である。
  くろんぼのあの友達も春となり掌(て)を桃色にみがいてかざす                   斎藤史『魚歌』
 これは『魚歌』巻頭三首目、昭和七年の作品であるが、『空しき花束』中の次の詩と比べてみたい。
黑奴の兵隊さんがやすんでゐる/彼のそばでドニイズはながめてゐる/かの女の美しさを愛撫したので/そこだけ桃いろに染まつた/男の手のひらを
          (「黑奴と美人」ジヤン・コクトオ)

 この詩と史の前掲の短歌の間には語彙や着想上のはっきりした影響があると言えるだろう。もっともコクトーの詩はかなり官能的だが、史の短歌では「春となり」と、性愛とは関係の無い歌に転化されている。この歌ほどではないが、『魚歌』には他にも堀口大學の訳詩の影響が見られる。
アクロバティクの踊り子たちは水の中で白い蛭になる夢ばかり見き              『魚歌』
  オペラの踊り子も/蟹に似て/きらびやかな樂屋廊下へ/腕を輪にして出てまゐる。
(「踊り子」ジヤン・コクトオ)
散つて散つてとめどない杏の花の道にまぎれこまうとダンテルを着る             『魚歌』
 あすぱらがすはだんてるを着こみ/珊瑚珠のような實(み)を育(そだて)てゐる。    (「庭」ルミ・ド・グウルモン)
泣いて居る女はまことにやさしくて驢馬のやうなるまたたきをせり              『魚歌』
  少女(をとめ)よ、驢馬に訊ねるがよい、/わたしは今泣(な)いてゐるのか笑つてゐるのかを?
      (「私は驢馬を好きだ」フランシス・ジヤム)

 詩は全て『月下の一群』からの抄出である。一首目は、蟹に似たオペラの踊り子という具体性に対し、白い蛭になる夢を見るアクロバティックの踊り子という現実離れしたやや不気味な存在が描かれる。
 二首目は、フランス語でレースを表す「ダンテル」という語が特徴的である。グールモンの「庭」には植物名として野菜の名が多く登場し、大根や蕪や茄子などに混じって、レースの縁取りのようなハカマをつけたアスパラガスが描かれている。史の短歌では野菜ではなく杏の花を使い、その杏の花になりたいと詠う。
 三首目は語彙レベルの類似だが、ジャムはこの詩において驢馬のやさしさを讃えており、史の短歌に通じるものがあるだろう。
 『魚歌』には他にも「手風琴」「面紗(ヴェール)」「道化」「えにしだ」等当時の伝統派の短歌ではあまり見かけない語が使われており、それらはいずれも堀口大學の訳詩に見ることができる。堀口の訳詩は大胆にセンス良く口語を使用し、それ以前の文語や文語口語混じりの訳詩とは印象が異なる。堀口大學の文体は、原詩の持つ内容や思想と同様に、斎藤史らのモダニズム短歌に大きな影響を与えたのではないだろうか。

『歌壇』2012.7. 公開記事

*写真は古い(1980年代)絵葉書です。