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『うた新聞』2021年6月号

宇田川寛之「唯一の文体--高瀬一誌没後二十年」〈高瀬の短歌は誰にも似ていない。無記名であっても作者名が浮き上がって来るだろう(…)高瀬の文体を追従する者はいなかった。かつてその影響を受けた者も思い浮かぶのだが、歳月が経つにつれ、定型に落ち着いてしまった。〉

 高瀬一誌の短歌はクセになる。最初読み始めた時はその破調、特に字足らずに、読んでてつんのめるような印象を持つが、段々それが気持ち良くなってくる。しかしそれは継承できないものだった。宇田川の指摘に「定型」の魔力に似た強力さを思う。生半可では定型とつかず離れずの文体を持てないのだ。

「やがてかなしき」と下につければ風景みんな歌になるではないか 高瀬一誌
くたくたになったのではない棒のごときからだになったらしい 同

 宇田川の文から二首引いた。一部定型に見えてうっかりリズムに乗って読んで弾き飛ばされる。これは継承できない。定型で作る方がラクだからだ。

2021.7.19.Twitterより編集再掲