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角川『短歌』2022年8月号

さあ行っておいで月曜の校庭へツバメとともに子は入りゆく 澤村斉美 二句八音の句割れ句跨がり。意味的にも二句の句割れ部分で大きく切れる。「月曜」に健やかさを感じる。ツバメと「ともに」と言うより、子がツバメそのもののようだ。主体の手元からすっと飛び立つ子。

月を撮る(盗る?)手のひらを川べりのしめった風に触れさせながら 中牟田琉那 月の写真を撮りながら、月そのものに触れているかのような感覚を二句で軽快に表す。実際に手に触れているのは、川べりの湿った風。カメラを構える手に風が吹いて来る様子が伝わる一首。

この街が墓そのものと気付くとき途端に鮮やかな常緑樹 酒田現 人の住むところは究極墓なのだとも言えるが、この場合の「この街」は神戸だから特に意味が強い。作者は生まれる前の出来事を感知して詠っているのだ。下句の「途端に」とそれに続く展開がとても上句と合っている。

夜はつらい しかしロボット掃除機がベッドの下に潜っていった 中川智香子 この「しかし」は何度読んでも惹かれる。心を持たない、無機質な機械によって、ボロボロの心がどこか立て直せるような感覚。おそらく多くの人が感じている感覚を可視化した「しかし」だと思う。

⑤「U-25選考座談会」穂村弘〈九首目「影のなかにちいさいわたしを匿っているような昼 坂をのぼった 加瀬はる」。「ちいさいわたし」を匿う体感を持ったことがないのだけれど、「昼 坂をのぼった」と言われると、この感覚に引き込まれていくような。〉一字空けが効いている。

⑥「U-25選考座談会」栗木京子〈二十三首目〈広告を右上の×で消すように「大丈夫そ?」を笑ってかわす 谷地村昴〉なんかも、相手との会話をパソコンの広告を消す行為に準えてすっきり詠っているなという印象です。〉この歌は比喩もいいけど、会話の切り取りにセンスがある。

⑦吉川宏志「ニュース映画を観る斎藤茂吉」〈現在の映像を見て戦争を詠んだ歌の多くは、茂吉の生み出した方法の延長線上にあるのではないかと感じています。〉〈茂吉の鋭い視線は、差別意識によって、たやすくねじ曲げられてしまいました。そして、自分が信じ込んでいる国家権力が行うことについては、見えるものだけしか見えなくなってしまったのです。それは茂吉だけの問題ではないでしょう。〉真実を見抜く目と、見たいものしか見ない目。人間の多面性と言えばそれまでだが、ある意味怖い論だ。

生徒とふたり座っていれば代わる代わる先生の来て話して帰る 川上まなみ 悩みを聞いているとは限らないが、二人で長時間座っている。そこに代わる代わる他の教師がやって来て、何か話して去って行く。皆何となく心配している。けれども露骨にどうした、とは訊かないのだ。

⑨鈴木加成太「時評」〈五月十九日から、国立国会図書館の「個人向けデジタル化資料送信サービス」が開始された。〉〈こうした一次資料が、利用者側のインターネット環境さえ整っていれば、時間・場所を問わず利用できるようになったことは、今後の短歌史の研究を、より開かれた公正・公平なものにしてくれるだろう。〉これはまさにその通り。コロナの影響で明らかに良かった面の一つだ。資料に当たらなければ評論は書けない。特に一次資料に当たれるというのが最大のメリットだろう。

2022.8.24.~25.Twitterより編集再掲