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『歌壇』2021年2月号(1)

蒸し鶏をほぐしゐるうちキッチンに夕闇降りてわれは老いゆく 栗木京子 何かの作業に夢中になっているうちに思いがけないほどの時間が経った。ただ一日の内の数時間が過ぎただけなのに、年を取ったような実感がある。とても疲れただけかも知れないが。誰にでも経験があることだろう。

広義では血も水なのでひび割れの少ないコップとして生きている 帷子つらね 「広義では」という堅い入り方が面白い。自分をガラス製品と捉えて、ひび割れが少ない、水が漏りにくいと詠う。ひび割れは少ないだけで、あるにはある。他人には見え難いが、血が流れるほど傷つくこともあるのだ。

声帯に魚群が光る 開架から閉架にぬけるときのしずけさ 帷子つらね 図書館の中を、明るい開架から書庫のような少し暗い閉架へ移動する。図書館だから口を閉じて。作中主体の声帯に発話される前の言葉が魚群のように群れている。光をはね返しながら。いつかどっと泳ぎ出すのだ。

くるくるを指に絡ませくるくると電話の向こう側の雷鳴 久石ソナ 少し昔のおしゃれな映画を見ているような一首。電話をしながら受話器のコードを指に絡ませてくるくると回している。電話の向こうは天気が違うようで雷鳴が聞こえる。韻律と描き出される景が軽やかな一首。

失望に色はないから匂うだけそれでも朝はトーストを焼く 緑川皐月 上句がいいと思った。失望という感情に色は無い。抽象的だけどリアリティがある。絶望は黒く、怒りは赤とか何となく共通のイメージがあるが確かに失望の色は思いつかない。でも匂う。どんな匂いか。惹かれる発想。

その民に〈ベラルーシ語〉はなかったといつか記すか透明な地図 貝澤駿一 少数派の言語は多数派の言語に吞み込まれやすい。アイデンティティを立てて行かないと方言の一つのように扱われてしまうのだ。ロシア語に呑み込まれ、無かったことにされそうなベラルーシ語に思いを馳せた一連。

 この一連とても面白かった。知的情報的な負荷が高いが、内容がとても濃く、読むのに気合が入った。ある言語から別の言語が他言語として分離するのに「時間的、地理的、政治的」要素があると言われるが、この一連は政治的要素を正面から扱っていて、しかも短歌でしかできない切り取り方が光った。

河口へとたどりつけない水として一輪挿しを満たしてゐたい 文月郁葉 水は全て海へと還っていくけれど、容器に入れられている限り、海とも川とも切り離されて孤立するしかない。自分をそんな水と捉える。しかし一輪挿しの花を支える水でもある。「満たす」の一語にその自負がある。

2021.2.14.Twitterより編集再掲