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『歌壇』2022年5月号

歴史から誰もまなばず向日葵とマストロヤンニとソフィア・ローレン 島田修三 映画「ひまわり」。冷戦下のソ連(現ウクライナ)で初めて撮影された西側映画と言われている。この映画を見ればもう誰も戦争なんてしないはずだが、という思いだろう。下句、名詞に語らせている。

自衛隊さんとすれちがふわたしこそ民間人のコスプレをして/噛みしめる麺麭はほのかにあたたかくまだ爆風を知らない麦だ 柳澤美晴 民間人のコスプレ、に強い批評意識がある。有事の際はそれを抜ぎ捨てると知っている。/戦闘前のウクライナ産の麦を加工したパン。時差を噛む。

③特集「沖縄と短歌」
仏桑花の花むら揺らし綾蝶(あやはべる)奇せ蝶(くせはべる)ゆく オスプレイ墜つ 伊波瞳 
名嘉真恵美子〈伊波の「綾蝶」「奇せ蝶」は〈美しい蝶〉という意味の琉球語である。妖しく美しい蝶の飛ぶ先に軍用飛行機の墜落を見るという呪術的雰囲気がある。〉
 ハイビスカスの花むらを揺らすほどだから大量の蝶だらう。蝶は花むらを揺らすが、自分が死ぬ時のみ墜ちる。一方、空気を震わせ木々を揺らしながら飛ぶオスプレイは、予測不可能に、多くの命を巻き込んで、墜ちる。蝶が美しいほど、起きた、あるいは起きるだろう事故の悲惨さが際立つ。
 論中に「太平洋戦争の終結(1920年6月23日)」という箇所があり、日付が大切な主張なのに、年が昭和と混同していてもったいないと思った。

④「沖縄と短歌」
息絶うるまでを視ており暴力の美しき国かも倭の国は 新城貞夫
吉川宏志〈沖縄を暴力的に従属させてきた日本への激しい怒りがこめられているのだろう。〉吉川は「沖縄の歌人に復帰の歌を詠ませよう」という「東京からの要求」に新城が抵抗した可能性を述べる。
 吉川は復帰当時の総合誌・新聞歌壇・現在から回想される復帰の歌について、初出に当たって掘り起こしている。

⑤「沖縄と短歌」
吉川宏志〈(当時の朝日歌壇に)沖縄県の人の歌はないが(…)全国紙が沖縄ではほとんど購読されていないためだろう。ふだんは気づきにくいが、こうした視点の偏りが存在することに、驚きを感じたことも記しておきたい。〉復帰の歌なのに、沖縄県人の歌が無い理由。
さいはての沖つ縄島しかと結え秋津島びと飽きやすきかも(入間)八木政彦 
 吉川宏志〈沖縄を都合が悪くなると切り離してしまう日本に対する皮肉である。(…選者の)宮柊二は、「ユーモラス」だが「自戒」の歌であると評している。〉カギ括弧で包んでいるように、決して「ユーモラス」ではない。

⑥「沖縄と短歌」
ふるさとに老いさらばえて聯隊旗焼きし沖縄還る夜を哭く(山形)去渡末作 
吉川宏志〈沖縄戦で兵として(…)見た悲惨な光景や生き残った自分に対する後ろめたさのために、ただ「哭く」しかなかったのだろう。〉とても心に刺さる歌。短歌に限らず、沖縄戦について本や映像で見たことが心に蘇る。この歌は近藤芳美と五島美代子の両選者が取っている。

⑦「沖縄と短歌」
復帰の日の土俵琉王声援を浴びて見事に飾る白星(山口)中河良平 
吉川宏志〈「琉王」は沖縄出身初の幕内力士なのだそうだ。(…)琉王は故郷の沖縄で2015年に亡くなったという。〉歌でしか残らない庶民の歴史の一コマだ。その日の琉王の必死を思うと胸を突かれる。

⑧黒瀬珂瀾選「沖縄を詠んだ歌」
たおやかな言葉で詠めと言われたり犯され続ける島の叫びを 伊波瞳 
黒瀬〈沖縄にとって短歌とは詩歌の美とは何か。矛盾を見つめつつ詠う。〉叫びをたおやかに詠むことはできるのか。詩歌というものを考えさせる歌。

問2 基地があるゆえの▢夜の雨のけぶれる中をネオン艶めく ①犯罪②繁栄 屋良健一郎  
黒瀬〈二者択一の試験問題を模した作。ここに本当の答えはあるのか。〉この歌、最初見た時はとても驚いた。思想の核があるので、単なる形式の工夫の歌で終わらないのだ。

⑩吉川宏志「源氏物語」
〈葵上が亡くなり、六条御息所は、源氏の正妻に迎えられるのではないか、と期待していました。〉身分も高く教養もある人なのに、憎しみのあまり生き霊になったり、自分がとり殺した女の後釜に座れると思う浅はかなところがこの人にはあった。そこも人間的で好き。
 〈源氏は、よせばいいのに、嵯峨野に六条御息所を訪ねます。〉光源氏が全て悪い。〈さらにひどいことに、六条御息所の娘の伊勢の斎宮にまで、恋心を抱きます。〉終わってる。〈許されない恋に生きることでしか、生の飢餓感が満たされない。〉身近にいて欲しくない。
 〈『源氏物語』は欲望のままに生きようとした源氏が、仏教の〈無〉の前に敗れ去る話だと捉えることもできるのではないでしょうか。〉この頃中世日本について読む機会が多かったが、仏教について、色々考えさせられた。この文もそうした興味を刺激する論だった。

きんの炎(ひ)のなかにあをい炎たちあがり砂鉄溶かせしたたら炉の跡 小黒世茂 たたら場の跡、三輪崎鍛冶跡を詠む。炎が二重になって、金の炎の中に青い炎が立ち上がる。美しい描写だ。今はもう無い炎を眼前に見せる力がある歌。

⑬三浦しをん×川野里子「ことば見聞録」売れっ子作家の三浦しをんとの対談。面白いと思ったところを挙げてみる。
三浦〈短歌でも、先行作を知らなくても案外リズムに乗ることができて、若い感性のきらめきによって、十代とかですごい傑作を詠めたって人もいるとは思います。だけどその人が歌人として、六十、七十までずっと詠めるかと言ったら、それはまた別な話ですよね。〉おっと!いきなりすごいところにボールを蹴り込んできたな。そんなスパンでも見てるとは。これは面白い。

⑭「見聞録」
三浦〈(サイトに発表した時の)コメントは気になりますよね。しかし肝心なのは、作品にとって真に有益なアドバイスができる人は皆無に近いということです。〉これは小説の話だが短歌でも近い。ネット上では基本褒める。耳に痛いアドバイスなどはあまりしない、できない。

⑮「見聞録」
川野〈今という瞬間に向けてエッジの効いたものを出す作業と、時間をかけて深堀りし、澱のようなものを溜めてゆく方向は両方あるはずだと思うんです。〉短歌は小説以上に発表がしやすいから「今」に加重しがちだ、という発言に続く部分。頷く。
三浦〈実は何かを表現するって、自分自身をいかに消していけるかじゃないかなってことです。〉川野が言った、自分の中にある澱のようなものに潜り、その正体を見極めるため、と言う。
川野〈短歌は一人称の詩形って言われますが、それは自分というサンプルを通して人間味の普遍に辿り着くための方法なんだと思う。〉深いな。

⑯「見聞録」
川野〈短歌ってやっぱり行間をいかに作るかという文芸でもあると思っていて、一首だけ作るというよりは一首と一首のあいだにいかなる質の静寂とか空間とか闇とかそういうものを作り出せるかということもある。〉最近、気になっている、一首単位か連作単位かという問題。
 大体川野と同意見。短歌を作らない一般の読者やマスコミ的には、一首単位が受け取りやすいんだろう。おしゃれな一行詩の需要の方が高いというか。でも私は重くても時代に合わなくても連作単位で作っていきたいなと改めて思った。

癌であることにも慣れていきさつを問ふ人あらば検査勧むる 山中律雄 初句二句のインパクトがすごい。急性の病気ではないので「慣れる」という心の動きが起こるのだ。しかも心配してくれる人の健康まで慮っている。淡々とした詠い口が精神の強さを表す。

⑱沖ななも「百人百樹」
なほながきいのちぞ欲しき藤浪のゆれてかぎりなき花のむらさき 上田三四二〈病を得た作者にとって長い命が欲しいのは切実。藤の限りない連なりが永遠を思い起こさせる。藤浪は妖しさを持つゆえに美しいのだろう。〉美しい歌に適切な歌評。藤が見たくなった。

2022.6.3.~5.Twitterより編集再掲