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『短歌研究』2022年2月号(1)

①細川光洋「吉井勇「ゴンドラの唄」初出の発見」〈「ゴンドラの唄」が発表されたのは当時の首相・大隈重信が主宰する総合雑誌「新日本」第五巻第四号(…)〉初出、底本を調べる姿勢がすごい。校了間際に載せられたため、目次に記載が無く、発見されなかったというのだ。

②細川光洋「吉井勇」〈「ゴンドラの唄」には、吉井勇の文学的出発点に関わる重要な二つの作品の影響が色濃く認められるからである。(…)アンデルセン原作・森鴎外訳の『即興詩人』と与謝野晶子の歌集『みだれ髪』である。〉次に論は『即興詩人』の「妄想」という章を引用する。
〈我が乗るところの此舟は、即ちエネチアの舟にして(…)朱の脣に触れよ、誰か汝の明日猶在るを知らん。恋せよ、汝の心の猶少(わか)く、汝の血の猶熱き間に。〉鴎外訳『即興詩人』より。「ゴンドラの唄」の元ネタとしてはそのまま過ぎるような。二番の歌詞もこの後の部分に似てる。興味深い。

③細川光洋「吉井勇」〈今回「ゴンドラの唄」の初出の発見により、第一連の勇の表記は「熱き血液」ではなく「熱き血汐」であることが分かった。(…)「血汐」の用例は勇の初期短歌には確認できず(…)晶子の歌に由来するとみるのが適当であろう。〉この丁寧な考察。敬服する。

④「対談」篠弘〈斎藤茂吉、釈迢空、北原白秋、前田夕暮、土岐善麿、といった錚々たるメンバーがそろった座談会何ですが、茂吉を除いて全員、文語定型に疑念を持っていたのです。〉他に石原純が参加。この『短歌研究』創刊第二号の座談会も収録されており、併せて読むとより面白い。

⑤「対談」篠弘〈改造社の山本社長は、何とか文語定型の短歌の復興ということを創刊の土台に据えたかったんですね。というのは出版界は啄木ブームになっていたんですね。(…)みな自由律のような定型破壊に賛成では困るということで(…)〉この部分だけでも相当な驚きがある。
 まず、昭和の初めに啄木の出版ブームがあったということ。寡聞にして知らなかった。そして啄木が売れ続けるためには文語定型が肯定されてほしいと出版社が思っていたのこと。啄木って、現代の目から見るとかなり口語寄りに見えるのだが。さらに文語定型を価値づけたいのならメンバーが違うのでは。
 篠弘〈北原白秋は詩を作りたいと言い、迢空はご存知のように一字空きの、改行を駆使した自由律風な表記を使った表現の可能性を考えていたし、土岐善麿、前田夕暮は完全な口語自由律だった。〉石原純も自由律だし、意図と違う結論になるだろう。だが実際に座談会を読むとちょっと違う雰囲気もある。

⑥「対談」篠弘〈(前川佐美雄は)塚本邦雄、前登志夫、山中智恵子という、のちに前衛短歌運動の主軸をなす人たちを育てた、後継者を育てる功績のあった歌人ですよね。〉篠は前衛短歌の主軸に前登志夫、山中智恵子をさらっと入れている。前衛短歌とは誰を指すのかの一つの見解だ。

⑦篠弘〈若い人たちが評論を書くということは、同時に近現代の歌にも目を通す、仲間内の狭い範囲の人たちだけではなくて、少し目を通す範囲が広がってくる。〉  寺井龍哉〈いろいろな過去のものを読んで、今、自分が作っている歌がどういう位置にいるのか、どういうつながりで、何を受け継いで作っているのかということを自覚しないと文章が書けないので。今、篠先生が言われた、文章を書くと歌が変わってくるというのはよく分かります。〉自分の歌の短歌史的な位置の確認ということか。最初は好きに歌を作っていてもいずれそこに至るというのは大いにあることだろうな。

⑧「対談」篠弘〈明石海人の短歌は、塚本邦雄も大いに認めたモダニズム短歌です。普通の人間とは違う、人間の命、憎むべき病魔に対する恐怖をモダニズムの形で、シュールレアリスムの作品が出てきた。〉
寺井龍哉〈『新風十人』が出たのは昭和十五年。(…)そういう人たちに、明石海人が影響を与えているとみてよいのですか。〉
篠〈『新風十人』の、モダニズム的な美意識といったもの。あるいは、人間の生命に触れた根強い発想というものを誘引する役割として、明石海人の存在感は(…)モダニズム短歌が生まれる遠因になってくるんですね。〉
 やはり短歌史的な視点を持たないといけないなあと思う発言だ。『白描』は読んでても、モダニズム短歌の遠因になったということは思い至らなかった。全く突出した作品群で、だからこそ他と切れてる気がしてた。
シルレア紀の地層は杳(とほ)きそのかみを海の蠍(さそり)の我も棲みけむ 明石海人

↑この発言に対して、読んだ方から、明石海人がモダニズム短歌の遠因になるには時期が同時代過ぎるという指摘あり。相互影響かもしれない、等の会話になった。

⑨「対談」篠弘〈直己が亡くなって、渡辺直己の全歌集が、広島の歌人たちによって、土屋文明の追悼文を含めて本になり、皆が争って手に入れようとして、手に入りにくい名著として読まれた。〉短歌のみならず、手紙も日記も収録している。死後、散逸する前に集めたからだろう。

⑩「再録創刊第二号座談会」〈進行係。 今歌壇を席捲して居る大問題ですから、是非御意見をお伺ひし度いと思ふんですが・・・短歌の定型と不定型の問題です。新短歌は将来矢張り短歌として発展すべきものであるか、又旧短歌、所謂定型短歌は滅亡すべきものであるか(…)〉問題意識の在り方が現代とよく似ているような気がする。この時期の問題がどう帰着したかは今分かるが、現代の問題はまだどうなるか分からない。

⑪「第二号座談会」〈石原純氏。此の頃の若い人々がやつて居るものには、既成的な感情とか思想とかを、離れた、もつと別のものを表現しようといふのさへもありますけれども、これなどは三十一字の世界をまるでとび離れてゐる。〉九十年前の若い人々も意識としては現代と似ている。
 実際にどんな作品が問題になっているのかを座談会中に挙げられていたら分かりやすかっただろうが、今とは座談会の仕方が違うのか。どんな作品について言っているのかお互いは分かっていたのかも知れない。「茂吉孤立す」と副題がついているが、議論を見ると茂吉は結構強気で捲し立てている印象だ。

2022.3.11.~14.Twitterから編集再掲