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『塔』2020年11月号(1)

おほかたのことは過ぎたり若きらの歌ふは絶望さへもかがやく 竹下文子 人生で起こる大半のことは起こり、既に過去となった。もう何も無い。そんな作者には若者が歌う歌の絶望ですらきらきらしていると思えるのだ。絶望すら感じないほどの精神の枯渇。

②「座談会【平成短歌を振り返る】を書いて」『塔』に連載された評論シリーズの書き手が自他の書いた評論を振り返る座談会。評論がただ書きっ放しではなく、このように振り返られるのは本当に意義がある。人の視点も入れてもう一度読み直すことができる。小林信也(司会)・中田明子・近藤真啓・逢坂みずき・永山凌平 書き手の皆さんがとても細やかに他人の論を読み込んでいて感動した。13のテーマで毎月評論を載せるという元の企画も、それが実現することも考えてみればすごいことだと思う。

逢坂みずき〈人間が母性を持ってることを否定したいんじゃなくて、母性愛神話を強制されてることに問題意識があって(・・・)〉私の論についてもうれしいご意見をいただいた。そうなんですよ、分っていただいて幸いです。また頑張って書こうと決意も新たです。他の皆さんもありがとうございます!

ぽつねんと小さな老婆になるだろう乾いた昼の石鹸のように 福西直美 乾いた石鹸、は言えそうだが、そこに「昼の」が入っているのが独特だと思った。風呂は夜入ることが多いからか。昼と言われると本当に乾いている感がある。「小さな」も「石鹸」とほどよく響き合う。

水たまり残して雨はあがりたり妻と呼ばれし昔の記憶 中村佳世 妻と呼ばれるには夫がいる。だが、「昔の記憶」だから夫は亡くなって久しいのだろう。雨があがっても水たまりにだけ水が残っているように、妻と呼ばれた記憶は心の中に残っているのだ。

雨音にもたるるやうにありたるが思ひつきてはジヤムを煮むとす 千村久仁子 上句、特に二句がいいと思う。雨音に凭れるという把握に目を瞠る。孤独にもアンニュイにも流れない心のあり方に惹かれる。「煮む」は文語の良さがよく出ている。なかなか口語ではこう簡潔には言えない。

短い夢を見てゐたのだらう累累と月下の森に蝉の腹あり 千名民時 下句は夢の情景だろうか。それとも夢から覚めて、窓の外を見ながら想像しているのか。朝から夜まで鳴き通す蝉が月の光の下で死んでいる。それも累累というほど大量に。死骸を「腹」で表したことで不気味さが高まる。

「塔」の小林信也さんから「蝉の短い命を夢と言っているのではないでしょうか」というレスをいただいた。なるほど。上句の主語が蝉たち、下句は実景ということですね。そちらの方が良い読みだと思った。

夏の野にひめゆりのこゑ聴いてをり幾度も生れていくたびも恋ふ 祐德美惠子 下句がひめゆりの声だろう。しかし作者が半生を振り返って言っているかのようにも響く。花のように何度も生れかわって何度も恋をする。「夏の野」の空間的広さと、「幾度も」の時間の幅が呼応する。

2020.12.6.~9.Twitterより編集再掲