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『歌壇』2022年3月号(2)

土地が人を呼ぶこともありわれもあなたも選ばれし者 三原由起子 六七七七の三句欠落と読んだ。しかししばらくそれに気づかなかった。主体の感じている運命的なものが心に迫るからか。三原の歌の底にずっと流れ続ける土地への愛着。愛着という語では甘すぎる、土地と添い遂げる覚悟。

⑩「ことば見聞録」三浦佑之〈古事記序文は日本書紀の歴史書編纂の記事に寄り掛かった偽物ではないか。偽物というのは、それを根拠づけることのできる権威に寄りかかって本物になるんですよね。あらゆる偽物ってそうだと思う。〉もちろん論じているのは古事記でそれは一文目だけ。古事記偽書説、面白い。けれども、二文目三文目が妙に心に残る。他のことにも当てはまりそうというか。

⑪「ことば見聞録」川野里子〈三浦さんの研究の基礎になっているのが、言葉というのは書かれたものだけではないということになるでしょうか。負けた者の声は文学では残らない。だからその痕跡を聞き取りたいと。〉文字にした時にこぼれ落ちるもの。まず敗者の声は文字にされない。

⑫「ことば見聞録」川野里子〈そうすると物語はクラウドみたいなものとして固有の型のようなものがあって、大陸や国境を越えてその型を借りてそれを展開し変形して、今度は自分たちの記憶をそこに託すための箱にしてゆく。そういうものの集まりとして古事記もあるということでしょうか。〉
三浦佑之〈つまり話型は一つのブロックで、そのブロックをどう組み合わせていくか。あらゆる物語はそういうところがあって、そうした構造が語りを支えている。〉物語の祖型、類型。この対談ではそうした構造が語りを支えている点にも話が及んでいる。

⑬「ことば見聞録」三浦佑之〈中央集権国家ができるためには中心へ全部引きつけないといけない。(…)そうした中央集権的な国家では出雲と北陸が勝手につながられると中央としては困るわけです。(…)近代の鉄道ができても北陸本線と山陰本線を乗り換えようとしたら一旦、京都に出ないといけない。〉〈中央と地方が陸路によって結ばれて、一種のハイウェイができることで、地方と中央の関係、支配と隷属という関係が完全に固定されていった(…)〉地方から地方へ行くのは直線距離が近くても不便で、一度東京に戻った方が速い。京都もそうだったんだ。理屈は同じ。無計画に鉄道やハイウェイを作ったことが災いしての不便かと思ったら、地方同士が結びついたら困るという支配者側のわざとの不便だったわけだ。古事記の昔からの。びっくりする。陸路の支配の理屈に囚われない、海路の話にも繋がっていてさらに興味深い。

⑭「ことば見聞録」海路の話は興味深い。船が交通の要だった時代は全然地図の見え方も今と違っていたのだろう。その他律令国家と現在の類似性など面白い話がたくさん読めて、今月も充実した内容だった。

⑮三枝浩樹「平成に逝きし歌びとたち 橋本喜典」〈三浦(槙子)さんの言葉を借りるなら「イデオロギッシュな枠組のなかで」私(たち)は橋本さんの歌を眺めていたのだ。時代にはそれぞれ特有の偏向がありバイアスがあって、一つの時代には時代特有の様式と呼べるものがある。その様式の枠組みの中にいる者にはその時代の枠組みは見えないもののようである。〉昭和三十年前後の時代に筆者である三枝を含む人々が時代の枠組みの中で橋本の歌を眺めていた、とする。これはどの時代にも共通することだろう。現代でも現代特有の偏向がありバイアスがあるのだ。そして多くの者はそれに気づけない。前述の三浦槙子の文の引用部分を見れば、窪田空穂はそうした枠組みに囚われずに評をしていたということが分かる。そこはやはり空穂の偉大なところなのだろう。

生の終りに死のあるならず死のありて生はあるなり生きざらめやも 橋本喜典  三枝浩樹〈経験の中から実感として言葉が紡がれている。観念の生硬な響きが全くないのはそのためであろう。実感から出て来た言葉にはしらべがおのずから添うものである。〉良い評だと思った。

2022.4.7.~9.Twitterより編集再掲