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『塔』2022年2月号(2)

肯定も否定もせねば肯定と人はとるらし 思わせておく 大井亜希 何も言わなければ肯定ということにされてしまう。それが嫌な場合もあるのだが、この主体はどこかしたたかに「思わせておく」と言う。本当は否定なのかも知れないが、肯定と取られた方が後々自分に有利なのだろう。

「人生って、意外と短編。」と書かれし短編映画祭の看板 高山葉月 人生の最後近くなって「意外と短編」なんて感慨を持っても困るのだが…。若い内から思っておくのならいいかも。短編映画祭のコピーとしてはとても上手い。主体も映画よりこの看板の方が記憶に残ったのではないか。

洗面所の鏡みがけば映る顔いくら拭けども消えない汚れ 坪井睦彦 この汚れは鏡の汚れか、顔の汚れか、あるいは顔そのものを汚れと言っているのか。どちらにしてもどこか冴えない日常の一コマ。自分の心の中にもぼんやりした汚れがあるような歌だ。

つつがなく妻と二人で暮らせどもひとり欠くればすなわちひとり 坂下俊郎 子供も成長して家を出た。今は妻と二人で毎日問題無く暮らしている。しかし二人の内一人がいなくなったら、即一人になるのだ。そんな当たり前のことに、はたと気づく。この日々はかけがえの無いものなのだ。

いつの日か誰かの想いの中にのみ生き残りゆく我もまたいつか 朝日みさ 自分の中にその人の記憶がある内はその人は死なない。自分が死ねばその人の記憶も死ぬ。そんな風に誰かのことを想っているのだろう。そして自分もまた誰かの記憶の中にだけ生きる存在といつかなるのだ。

本質は醜いままだ削りかす詰まったままの鉛筆削り 大和田ももこ 小さな卓上の鉛筆削り。削りかすが詰まっているのがはっきり見える。初句二句とそれ以降は比喩関係ではなく、上二句の感慨を持った時、鉛筆削りが偶々目に入ったと取りたい。何の本質か明示されないところがいい。

見て、蝶々 約束なんてほんとうは誰ともひとつも交わしたくない 小松岬 約束を交わさなければならないと感じた場面で、蝶々を指差し、相手の気を逸らす。何とかやり過ごしたいのを分かってほしい。発話した言葉と心の中の言葉のみで一首を作って、細かい心理の襞を表現している。

ピンチって別にチャンスにならないよ一日十分するストレッチ 丸山萌 よく「ピンチをチャンスに変える」とか、もっと端的に「ピンチはチャンス」とか言われるが、そんなこと無い。ピンチはピンチ。精神論よりも、ストレッチのように身体を動かすことの方が、よっぽど気が落ち着く。

このをとこ蝮を為留めてくれたのでこれからさきはすこし従ふ 河野純子 「をとこ」は夫か。蝮のいる場所に近寄った主体に、危ないだろう!とか怒ったのかもしれない。でもまあ蝮を退治してくれたから、今まで全然従って無かったけど、これから先は「すこし」従う。あくまで「すこし」、ね。

墓石には本名一行刻むのみ忘れ去られし子規の門人 田山光起  永田和宏
「選歌後記」〈門人の誰なのかは明かされないが、本名だけ一行記されとあるから、私たちが知っている名はペンネームか雅号なのだろう。ほとんど忘れさられた門人ではあっても、作者のようにしっかり記憶している人もいる。文学に携わるとは、ある意味、無名性にどのように耐え、どのようにそのなかで自らの行為に意味を見いだせるかにかかっているのかもしれない。〉歌もいいし、評もいい。そして最後に本質に触れる言葉が書かれていて、沈思に誘われる。

2022.4.1.~2.Twitterより編集再掲