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角川『短歌』2022年3月号(2)

⑩鼎談 梶原〈この方の一番の功績は、新しいものと古いものの両方を結びつけたことかなと思っています。あたらしいものが出たらぱっと新しい方に行っちゃいがちなところを、自分はやや新派寄りだけれど旧派は捨てないということを言っている。〉なるほどなあ。自分の立ち位置に結構意識的だったんだなあ。題詠的な歌もとても多い。そう思って読むとまた捉え方が変わってくる。

⑪鼎談 吉川〈直文の歌って、キャッチフレーズが無いんですよ。鉄幹だったら「自我の詩」、子規だったら「写生」みたいに、キャッチフレーズがある。直文はキャッチフレーズがなくて損している感じがある。でも今お話しを聞いて、「みなおもしろし」は直文のキャッチフレーズにいいかなという気がしてきました。〉鉄幹は自己プロデュースが上手い人だった。直文はもっと素朴、というか学者気質だったのだろう。現代にも通じる話。
 自分や自分の応援するタイプの作品を、キャッチフレーズを使って上手くプロデュースするタイプの人と、そうでない人との間に差が出来てしまう。短歌だけの話では無いけれど。実質が良ければ必ず認められるというものでも無いのだ。そういう差を意識して埋めていく努力が批評で必要だと思う。

⑫鼎談 今野〈前田透さんは、直文の王朝趣味は服部躬治(もとはる)を介して晶子へと受け継がれるとお書きになっている。本当にそうだという気がしたんです。〉ますます前田透の評論が気になってくる。

⑬鼎談 吉川〈正岡子規が『墨汁一滴』で直文をすごく批判するんですよね。(…)(直文は)円環的な歌の作り方を好んでいたんじゃないか。逆に子規は、直線的で上から下まで真っ直ぐ時間が通った歌を目ざしていた感じがする。〉
吉川〈写実・写生の歌は、近代的な時間の進み方を反映しているわけですよ。でも、円環的な時間という発想もあるはずで、こうした作り方を、子規は単純に否定しない方が良かったと思いますね。〉これもまた重要な論点。吉川は近代以降は読みのスピードが重視されるようになったと続けている。

⑭鼎談 今野〈なんで子規がこういう批判をしたかというのは疑問で(…)〉
吉川〈忘れていけないのは、当時の直文はかなりの有名人で、子規は逆に無名だったこと。今とは全然、力関係が違っていたんですよ。〉
梶原〈子規はそれに頑張って嚙み付いたみたいな。〉
 当時の力関係は今とは全然違うから。文学史は文学上の勝ち組の歴史で、当時は子規がこんなに後世に影響力を持つとは誰も思っていなかっただろう。

⑮「鼎談」ふるさとの野川は今もながれたりおもへばここよ鮒とりしところ 落合直文 
梶原〈「おもへばここよ」という話し言葉的に入ってくるリズム感に惹き付けられるいい歌だなと。〉
吉川〈文体が面白いんでしょうね。文語調の中に「おもへばここよ」と口語っぽい言葉が入ってくる。〉近世和歌と近代短歌を繋ぐ人、落合直文の歌に口語の話し言葉が入っているという指摘。
 色々と教わることの多い、充実した座談会だった。もちろん、特集全体が良かった。20年以上前に読んだ『萩之家歌集』を読み直したくなった。

 引用が抜けていたが、今野が落合直文の『新撰歌典』や佐佐木信綱の『歌之栞』について言及しているのも重要なことだと思う。旧派が新派とまさに共存している時代だった証左だと思う。

戒名にバスケの文字が入っている鴻徳院悠教籠剛居士 荻原伸 父の死を詠んだ一連。詞書に〈住職が高校生のとき父は「保健体育の先生だった」〉 父の教え子だった住職がつけた戒名。「籠」「教」の字の入っていることに驚くと共にじんわりする。父と共に住職の人柄もにじむ。

血だけは少女のころのうつくしさ指を切る紙がをしへてくれる 柳澤美晴 初句四音。どこか渇望を感じさせる。紙で切った指から血がにじむ。血だけは少女の頃のままの美しさを保っている。年齢を重ねれば失いがちな美しさ。常に作り続けられる血だからこそ清新さを保てるのだ。

⑱田中翠香「時評」〈(欲しい歌集に絞り込んでネット書店で購入する)方法は効率は良いが自分が知らない歌集や歌人に出会う機会を逸しがちになってしまう行動でもある。一方、結社に入れば自分が知らない歌人の歌や一般書店では流通しにくい自費出版の歌集に出会う機会も多く〉
 結社とその謹呈文化について考察した時評。最近総合誌で結社論を見ることが多く、タイムリーな論考だと思う。総合誌の「年鑑」から「歌人名簿」が無くなったことから始めて、謹呈文化についてその長短を論じている。長所を論じている文はあまり無かったのだが、この文はとても力強いと思った。
 謹呈文化もそれを含んでの結社制度も、もちろん短所は様々にあるが、この田中の論のように長所にも目を向けて、さらに色々なありかたが模索されればいいなと思う。

2022.4.17.~19.Twitterより編集再掲