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『短歌往来』2021年1月号

①森垣岳「資料のデジタル化」〈戦後短歌を支えた巨人を次第に失いつつある今こそ短歌は積極的に資料の整理とデジタル化を進めるべきだ。特に短歌結社やそれに繋がる歌人たちは断片的であってもアーカイブを作る必要〉がある。このコラム全面的に賛成だ。結社の存在意義もそこだ。

感情の現実にふかく負けゆかむ冴えたる比喩も濃きてにをはも 米川千嘉子 「感情の」の「の」は「は」だろうか。感情は現実に負ける、感情は詩歌の情、と取りたい。比喩や助詞を工夫しても、詩歌は現実に勝てない。歌詠み人のそんな諦観。「ふかく」が抑えた気持ちを表す。

「感情の現実」は修辞の無い、むき出しの感情表現のことではないか、というご意見をいただきました。そういうストレートな表現に、心の微妙な陰影を表す修辞である比喩や「てにをは」が負けてしまうということか。なるほど。

はちみつの、おそさ、あかるさ、垂らしつつつぎ会えるときまでの日数 千種創一 確かに蜂蜜を垂らすのはじれったい。けれど段々細い糸状になっていく蜂蜜が明るい日射しに透けるのを見るのは楽しい。切れ切れの上句が遅さを表す。次に会う日が待ち切れない気持ちも重なる。

④雁部貞夫「自然詠断想」〈「山」の名を詠み込んだ作品に出会うことも多い。総じて、山の特質に踏み込んだ作に乏しく、「山」が単なる歌の添え物にされている例が殆どである。〉これは厳しい、難しい意見だ。自然を詠っているのか。自然を歌の添え物にしているのか。自戒を込めて。

もう二度とあはぬことさへ分かつてる照り翳りきみは美しい崖 楠誓英 もう二度と会わない。そしてそれが分かっている。そんな刹那的な関係。崖という言葉が行き止まりを表す。日の当たる角度によって崖に照り翳りが生まれる。作中主体の心にもその美しい照り翳りが映るのだ。

⑥持田鋼一郎「短歌にって思想とは何か」〈短歌が思想を表現できないという考え方は、思想が抽象用語でしか表現しえないと考えるからだと私は思う。〉表現できない、とよく言われるけど。ここにあるように、まず「思想」とは?ということを考える必要があるのだろう。

2021.1.18.~19.Twitterより編集再掲