『短歌往来』2021年5月号
①今夜泊めてはもらえまいかという母にいいよといえば深く礼する 加藤英彦 詞書に「ここはあなたの家なのに……」。見知らぬ人に一晩泊めてもらえることになり、礼儀正しく感謝を込めて礼する母。ここは母の家で、見知らぬ人は息子である作者なのに。深い悲しみのこもった歌。
②「遺構なんてなくていいんだ忘れてもいいんだ俺はそう思ってる」 駒田晶子 作者の息子の発言をそのままカギ括弧をつけて一首にした。他の歌から小学校の高学年か中学生に思える。若い世代の本音なのかもしれない。それに対して強いことは何も言えない作者の逡巡が伝わる。
③葛原妙子論 寺尾登志子〈「不達成不達成とぞカフカの耳は異様(ことざま)にひらきゐき 葛原妙子」不達成の漢字三文字は(…)繰り返し発音されることで、意味を離れた呪文となり、漢字の持つ重圧感を免れる。また「カフカ」には「可・不可」の意味を重ねて読みたくなる。〉とても面白い評論だった。難解と言われる葛原の読み解きのヒントになる。言葉が意味を離れてオノマトペ化し、呪文化するということには、私も同感だ。「カフカ」が「可不可」だというのも引用前半から読んでいってナルホド!と思った。
④特集「食べ物の歌飲み物の歌」死ぬ人であるのに流し込んでいるカルシウム入り林檎ゼリーを 鈴木英子 悪性リンパ腫の見つかった母に寄り添い、食事を介助する作者。ただの林檎ゼリーではなく「カルシウム入り」という健康に良さそうなところが悲しい。エッセイも心に響いた。
⑤温まるわれの身体はよろこびてあなたのようなやさしいうどん 三原由起子 これは逆向きの比喩で、うどんではなく、あなたのことを言っている。身体が温まるような誠実で包容力のあるあなた。脳ではなく臓腑で分かる思いやりの深さ。本物の信頼感に包まれた主体がうらやましい。
⑥恩田英明「玉城徹を読む」朝ひらく南瓜の花のへりに来てためらひもなく蜂ぞ入りゆく 玉城徹〈南瓜の花からも前に触れた水仙の花のエロス同様のなまめきを感じるではないか。歌に作るということは結局は人間感情を仮託するわけで、花は花としての生を全うしていることの美しさに心が動くのだ。〉この最後の部分はもはや詩だと思う。生を全うしていることの美しさ、という捉え方に感動する。
2021.6.2.~4.Twitterより編集再掲