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『塔』2020年3月号(2)

なくしたくないんだ君をシグナルはもう点滅で加速する靴 中井スピカ 信号が変わりそうで点滅している。足を速めて横断してしまおうとする作者。その少し追われるような、切迫した動きにつられて、君を失いたくない、という気持ちが強く心に湧き上がる。語順がいい。加速する「靴」も。

⑨広瀬桂子「私の先生」〈その頃の叔母は東京の三越デパートのファッション関係の仕事をしており(・・・)裏千家と池坊の師範の免許を持つ叔母の元で、行儀を習いなさい、と母に言われ(・・・)〉叔母の縁でお茶お花を習った、と。モノクロ映画のような昭和レトロの世界。なごむ。

また会いたいなって気持ちはほんとうでぬるい炬燵に賀状を書けり 魚谷真梨子 年賀状の「また会いたい」「一度会いましょう」は毎年のお約束の言葉だけど、書いてる時は本当にそう思ってる。きっとみんなそう。一二句は「また会いたい/なって気持ちは」と読みたい。「なっ」が強い。

行列舞踏(パヴァーヌ)がはじまるようなうつくしさ朝の車輛にみな向かいあう 中田明子 パヴァーヌという語がとても華やか。通勤列車内がベルサイユ宮殿の広間のような…。今月の一連は連作として読んでも完成度が高い。一首目の「花弁の水脈」が繊細。二・四首目も踊りで響き合う。

秋になると緊張すると言うきみのおそらく金木犀の前世 多田なの 前世が〇〇、という表現は何度も見たことがあるけど、金木犀という発想には感動した。とても詩的。「金木犀の前世」という語順もいい。「きみ」を見ていて自然に浮かんだのだろう。

今日の僕は今日で会社を辞めるから、その楽しさで正気を保て 吉岡昌俊 わかる、毎日会社を辞めて帰って行くんですよね。それを楽しみに一日耐える。でも次の日が来たらまた昨日と同じ。「、」で一息入れて、自分に「正気を保て」とまで言うところに追い詰められ感あり。

謝って楽になりたいだけの君銀糸の雨が降り続いてる 王生令子 相手がそう思って謝っている時は分かるものだ。謝られる側の心に広がる空しさ。その空虚な心に銀糸のような雨が降ってくる。

よくがんばっただが残念ださようならと言われる夢でうなされている 田中しのぶ これは……うなされるわ。一番アカンやつ。

2020.4.19.~22.Twitterより編集再掲