短歌月評Ⅱ

「短歌研究」三月号
花の茶を深きカップに注ぎ分けてふたりの支流しばし寄り添ふ  栗木京子
恋ふるとは距離おもふこと寒空に嵌め込まれたる半月の見ゆ

「浮世絵の旅」三十首より。一首目、ポットで淹れたハーブティーをカップに注いでいる場面。ポットの口から流れ出すお茶と、二人の心の流れを支流という言葉で捉えた。二首目、前後の歌からおそらく他界した母を恋うている歌。空に嵌め込まれたかのようにくっきり浮かぶ月を見つめ、それより遥か遠くに行ってしまった母を思っている。
歌びとに戦争特需といふ美味のありにしことを忘れざらめや  阿木津英
「石の椅子」二十首より。先の大戦で歌人達は競って戦意高揚の短歌を作ったが、それはマスコミの依頼を受けてのことだった。それを作者は「戦争特需」と捉える。鋭い視点だと思う。そしてそれは歌人達にとって「美味」だったとも。決して忘れてはならない歴史である。
意思を持つ派遣社員は代えられき人事評定システムにより  大井学
人ならば背骨が割れる音だろう引張試験の最後の音は  奥村知世
角砂糖取り落としたるかそけさにピアニッシモの鍵盤鳴らす  川口慈子
魔女裁判の精緻さを講じたる教授のレジュメ日にやけていて  竹内亮
傘は傘立てに荷物はクロークに 馬をくれたら王国をやる  吉田恭大

特集「歌人、「わが本職」を歌う。」より。十九人が七首の短歌とエッセイで自分の職業について語る、非常に面白い特集だった。引いた歌の作者は順にシステムエンジニア、製造業研究開発職、ピアニスト、弁護士、舞台制作者と多彩。特に面白いと思ったのは川口の歌とエッセイ。ピアノを弾く力加減を表した掲出歌は比喩が抜群。エッセイは音楽家としての集中力や緊張感について語っており、興味深く読んだ。他人の職業を少し見せてもらう感覚で、他にも味のあるエッセイが多かった。

「現代短歌」三月号
たたかいとたたかいのあいだ 尖りたる器官を持ちて男は並ぶ  吉川宏志
待つあいだ兵士は見しや葉の上に粘膜をひろげるカタツムリ
夕暮れの小部屋で顔は見えなかった 傷のような器官が俺を見ていた

「人形器官」十首より。従軍慰安婦問題を扱った連作。歴史上のこと、他者のこと、というスタンスで詠まれていた歌が、連作の中盤から自分のこととして詠われ出す。女性をモノとして人形のように扱った兵士の心情が、作者の口を借りて語られる。男性である作者が、犯された女性の痛みに言及していないことも象徴的だろう。
不登校は悪くないといふ物言ひに悪意はなくて慰めもなし  大口玲子
「霜野の阿修羅」十首より。「不登校は悪くない」と言った人は何の悪意も無かったのだろう。しかし、少しも親身になっているわけではない。あくまで他人事として一般論として言っただけだ。そうした物言いが当事者を傷つけるものであることを、この歌は静かに語っている。まさにごく普通の、自分は善意と思っている人の中にある無神経さを抉り出した歌と言えるだろう。

「歌壇」三月号
埋葬の日どりを兄と決めてゆく月間行事予定表眺めて  田中拓也
宝製菓ニューハイミックス摘みおり義姉の仕事の話聞きつつ

「九月十五日空晴れわたり」二十首より。一首目、他界した父の火葬を待つ間に兄と埋葬の日どりを決めていく。本来は死者のための行事なのだが、生者の都合が最優先なのだ。二首目、生者はもうどうしようもなく生きている。遺体が焼けるのを待ちながら、昭和レトロな名前の菓子を摘み、仕事の話をする。どんな非日常にも日常が張り付いているのだ。
怒りには怒りの重さのあることを知ってキャベツの芯切り落とす  小山美由紀
物語にしんと読点打つように夜半に切り揃える爪の月

「ながい瞬き」三十首より。第三十一回歌壇賞受賞後の第一作である。自らの怒りの重さを、手に持ったキャベツの重さから実感する一首目。夜、爪を切る行為を何らかの読点、つまり区切りと感じている二首目。いずれも日常生活の一コマを巧みに歌にしている。作者は清掃に携わる仕事を主題に歌壇賞を受賞した。今後どんなテーマを詠んでいくか、これからが正念場だろう。

「短歌往来」三月号
いつ来ても墓地に季節の光あり 仏花に一本アイリス青し  香川ヒサ
「祈り」二十一首より。季節ごとに光の射し方は違えど、墓地にはいつも明るい光がある。その光は供花にも及んでおり、作者の目は鮮やかなアイリスの色に惹きつけられる。穏やかな心境を感じる歌。
長い長い雨宿りのような一生を思えり今朝は春のホテルに  谷岡亜紀
「移動祝祭日」三十三首より。春のホテルという気怠さを感じさせる場面に「長い長い雨宿りのような」という鬱屈感のある比喩。結局一生を通じて何かが変わるのを待っていたという感慨だろうか。
風邪ひいて長く休める三月の茶の間に籠もる春場所の声  高島裕
オリオンの騰(あが)る夜更けの冷たきに人語のごとく水ゆく音す

「母に還る」三十三首より。連作の最初で作者は母に会いに行き、最後で母を置いて自分の生活に戻る。中盤は少年時代の思い出で、そこから二首引いた。昭和の地方都市での家族の姿が詠われ、それが終盤の母の孤独へと収束していくのである。

2020.4.角川『短歌』