見出し画像

角川『短歌』2022年4月号

ひとりはひとりのかなしみを負い起き伏してつれあいという人の苦も負う 三枝浩樹 人はひとりずつ、自分のかなしみを負っている。その上、つれあいという人のかなしみも負っているのだ。もちろん喜びもだが…。共にかなしみを負うことで、他人がつれあいという関係になるのだ。

因果はいつも認められずに雪暗(ゆきぐれ)のたまたまあなたが病んだだけだと 吉川宏志 知人の死は、被曝のせい、かもしれない。しかし因果関係が認められることはほとんどない。たまたまその人が病気になっただけとされる。主体の暗澹とした思いが雪暗と重なる。

スノーボード空に回転するときを戦闘訓練に雪漕ぐ兵士ら 梅内美華子 オリンピック期間中に今回のウクライナ侵攻の準備がなされたことを詠っているのだろう。しかしオリンピック競技も、自己との以上に他者との闘いの場だ。技を繰り出す選手と兵士が完全な対立概念では無いと思えた。

④「おはやう」と人に会ふたび言ひまはり「おやすみ」を言ふ相手はゐない 矢部雅之 働いていると毎朝人におはよう、と挨拶する。しかしその反対のおやすみは共に暮らす相手がいないとなかなか言わないものだ。当たり前のようでいて独り暮らしの人でも気づいていないことかも知れない。

⑤対談竹中優子×立花開「お互いの歌集を読み合う」 角川短歌賞受賞者の二人が同じ年に第一歌集を出したので読み合うという対談。今まであまり無かった企画。私はどちらの歌集も今年の年明けに十首評を書いたので興味を持って読んだ。自分が評した以外のいい歌に巡り会えた。

働き続けることは食べ続けることだ胸に小さな冷蔵庫置く 竹中優子
竹中〈私は安定した職で、いいわねと言われる。でも普通のことをキープするのだってすごく大変で、大きい会社のコマとして働く大変さみたいなのを意識的に詠んでいきたい。〉共感する。下句の比喩が魅力的。

降らぬ雨にもにおいはあって駅前にペットボトルは溢れさざめく 立花開
竹中〈私は言い切る前の、世の中の価値に当てはまらない未分化なものが好きで、この歌にはそういうものを感じました。〉人の評を聞くのは参考になるなあと思った。特に未分化なもの、という感じ方。意識したい。

立花開『ひかりを渡る舟』|川本千栄|note

顔を仕舞う真白き箱がひとつありその箱もまた顔と呼ばれる 竹中優子
立花〈顔が本人の感情や命に一番近い位置で存在していた顔でなくなっていくのを感じている。(…)顔としての意思がなくなってしまった目だったり耳、鼻、口、そういったものを見て、真っ白であると描いたのかなと。〉歌もいいし、評もいいと思った。竹中のこの歌を含む一連はとても迫力があった。この歌もただならない力を持っている。立花の「顔としての意思がなくな」るという評に驚いた。

⑨「よし、春から歌人になろう-全国の大学短歌会を紹介します。」すごい、壮観!こんなにたくさんあるんだ。これはちょっと感動。問い合わせ先も記載されていて、インカレのところも多い。大学生にどんどん短歌始めてほしいなあ。 

⑩「大学短歌会」「近づきたい だけど理解はされたくない」雨音だけが=のまま 山下塔矢 アンビバレントな感情に実感がある。=も効いている。
あの夏は甘いスプーンを交差させ氷を食べる距離に君がいた 永田玲 甘いスプーン、交差させ、が上手い。下句に響くK音。

⑪「大学短歌会」
君の好きなハムエッグでしょと言われるとそうかもしれぬ五月の正午 矢倉尊 自分で自分の気持ちが分からない感じ。
ホッとしたのも束の間 B子は突然”好き”と優しい嘘をつき(キス) 山下拓真 古いアニメの語りみたいな面白さ。B子という名の安っぽさが◎。

⑫「大学短歌会」
「お値段のつかない本がございます」段ボール詰めの父の半生 吉峯行人 ブックオフか?父の若い頃は本は財産だったはず。哀しい。
目が泳いでいるのか目を泳いでいるのか金魚は鉢か瞳の中か 網長井ハツオ 近距離で見つめ合う緊迫感。相手の瞳に金魚が映る。

⑬「大学短歌会」
僕の底の小規模河床形態を見たことないでしょ、僕もないんだ 神乃 長いし堅い地理用語。どんな形か「見たい」と言いそう。
ボロボロの家から美味しそうな匂い少しうれしいとても長い20代 佐藤翔 結句、大破調なのだが、20代でしか言えない感慨と思う。

⑭「大学短歌会」
手のひらに刺さった棘も抜けぬまま別れを告げた それで正解 仲夏 結句の言い方が今風。何かを諦めるのに適した言い方だ。
うっかりと好きな人に告白をしてしまいそうになるような疲れ 枯芝 全部疲れにかかる長い比喩。不思議な感覚だがどこか胸に迫る。

⑮「大学短歌会」
うつくしいときれいを履き違えたままパラパラ漫画のよう 雪降って 戸海 四句が履き違えたままの人生と雪の様子両方を繋いでいる。「降って」が切実。
国道で約束せずにすれ違う 大きな流れ逆らわぬまま 望月凛香 すれ違ったままか。淡々とした口調がいい。

⑯坂井修一「『白櫻集』の残したもの」〈「女史の歌といへば初期青春時代のものばかりを思出す如きは鑑賞者の怠慢である。『白櫻集』序 高村光太郎」 多くの専門歌人の評価が歌壇、詩壇、あるいはせいぜい文壇の中にとどまるのに対して、晶子の影響は文芸の世界だけに閉じてはいない。思想の世界。演劇の世界。美術の世界。そして社会全体へ。〉『白櫻集』は遺歌集なので晶子自身の構成意識は入っていないが、その分、作者のこだわりを外して歌群を見ることができるとも言える。高村光太郎の序文が既に言っているように『みだれ髪』だけで晶子を語るのは適切ではない。坂井が言うように晶子の世界は他の歌人よりも数段広いのだろう。近年、晶子の功績の再検証が少しずつ進んでいるように思う。特に評論の見直しはこの人物の多面的な活躍を知る上でも必須と思う。

⑰坂井修一〈『白櫻集』全巻を通して夫を失った嘆きの深いことが知られるが、だからといって寛の死そのものがこの歌集の最終的なテーマというわけではない。夫の死は、むしろ通奏低音として聞こえてくる。〉重要な視点だ。挽歌のみでこの歌集を語っては足りないのだと思う。

⑱前田宏「時評」〈歌集の価格や流通経路を見直すだけでなく、歌集の批評や歌集紹介の場の充実、無名歌人の優れた歌集の発掘等、現状でも歌集と読者を結ぶ方法に改善の余地はまだまだあるはずだ。〉確かにそうだ。しかし挙げられている一つ一つは意外に実践の難しいものが多い。
 「歌集の流通経路を見直し」た時に出版社の動向で何かが決まっちゃうんじゃないかというのが、自分的には今一番心配だ。

2022.5.14.~17.Twitterより編集再掲