見出し画像

もうすぐ稲刈り 米が作れない未来に向かって

↑YouTubeに収穫前の稲の様子を載せました。

今発生している米不足と1993年に発生した米不足では1993年のときは企業にお米が流通しておらず、企業側からの苦情が政府に行ったので政府もいろいろと動いたと思われるのだが、今年は企業側が何も発信しないし、外食すれば普通にお米は食べられるし、スーパーにはパックご飯がいっぱい並べられている。

JAにはお米はたくさん余っているとも聞く。でもその流通先が企業であって、一般顧客ではないということ。そして一般顧客がどんなに困っていると訴えても政府は動いてくれないということ。

企業が困らないといけないんですねきっと。

企業はいいなあと思う。仕入れた米よりも高い値段で利益がでるように設定できる。

末端の農家は機械代が二倍になっているのにもかかわらず、引き取ってもらえる値段は変わらない。

もうお米なんか作りたくなくなるよね。

たぶん両親がお米作らなくなったら私たちきょうだいはお米を作らない。だって機械買うお金がないもの。生活費もカツカツなのにその生活費から補填しなければ成り立たない農業なんかやってらんない。

だからお米が食べられる今現在のありがたみを実感して、両親に感謝をしながら、農業を辞める日がくるまでの日常を楽しみたいと思う。

作りたい野菜はあるんだけど、米だけは作る気がしない。

それだけ過去のみんなが米をないがしろにして消費もせずに農家を苦しめてきた結果なんだと思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?