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子供が0から英語で生活するようになるまで~息子編 その1

3歳11ヶ月でカナダに連れてこられた息子。知ってた言葉はおそらく・・・・

Hi, Yes, No, Bye, Thank you, See you(←最後のは叔母が渡加直前に教えた)

カナダに来たと言っても「・・・・で、どうすればいいんだっけ?」状態だったので、まず偶然知り合った人やインターネットでメジャーな子育ての流れを知るところから始めました。(コロナ前のBC州の情報です)

1 子供が小さいなら、「Strong Start」

これは、将来的にもジワジワ助かる素晴らしいプログラムです。地域の数カ所の学校で開催されている無料のプログラムで、いつでも来て帰ることが出来る(但し定員ありのため、人数がいっぱいになると「また明日来てね~」となる)システムです。私たちはこれにほぼ毎日通いました。まだ車も無かったので、毎日重いストローラーを押しながら4キロの坂道を登ったり降りたり。

【Strong Startのスケジュール(私の通ってた所8:30-11:30)】
・季節のクラフトやおもちゃが各テーブルに置かれているので、到着後自由に遊ぶ
・時間になったら体育館で走ったり、ボールで遊んだり
・30分ほど体育館で過ごしたらおやつタイム(順番に手を洗う練習をして、テーブルにつくと、先生が軽食の入ったオードブル?を持ってきてくれる)
・食後は、皆で片付けて、読書と歌の時間
・天気が良ければ学校のプレイグラウンド(遊具)で遊んで
・11:30くらいに解散

【親のすること】
・基本的には自分の子供は自分で見る
・時々、先生が子供の相手をしてくれる
・時々、周辺の保護者が子供の相手をしてくれる
・コーヒー、紅茶、ココア、、、等飲み物は自由に飲める
・おやつの後の片付けは、手伝うと先生も助かる

とにかく、家では考えられないくらいのおもちゃがあったので、毎回毎回いろいろなおもちゃで遊ばせてくれました。ドレスを着て歩く男の子も、消防士の格好をして絵を描く女の子、買い物ごっこを楽しむ子に、ブロックで遊ぶ子。また、季節毎のクラフトも楽しく、ココア(ホットチョコ)の絵を描く時は、本物のマシュマロを食べながら紙に貼り付けるという日本では考えられない芸術を楽しませてくれました。ジンジャーブレッドクッキーもシナモンロールも、カップケーキも、ペパロニも、私はココで教わりました。

ここで顔を合わせた人たちは、子と同世代だったりするので、買い物やイベントで顔を合わせる確率が高いです。偶然SS以外で会っておしゃべりしたら「あぁ~この町にも私のことを知ってて声をかけてくれる人がいる」と思うと嬉しかったですね。

2「Pre-school」

カナダの未就学児童の教育費は結構高いです。フルで入れると大人1人分の給料のほとんどが飛んでいくほど。そして、教育は・・・・施設によるかなぁと言うのが唯一最大の印象。結構ビジネス的なところも多いと思います。

3 Immigrant servicesの「Childmind」

永住権が取れると無料で受講、ワークだと時間当たりの受講料を払うと受けられる英会話クラスに子育て中の親が参加した場合に用意される託児(こっちは無料)

いくら子供が大好きとは言え、大人としての時間も欲しいところ。全てのImmigrant Servicesに託児があるわけではないし、やはりここでも当たり外れがあったりしますが、やはり便利でした。特にうちの子ども達が通っていた時期は、最高に素晴らしい先生達がそろっていましたね。簡単な英語を教えるだけじゃ無く、社会性も教えてくれました。

【私がchildmindでやったこと】
・英語の練習もかねて、毎日、先生達に連絡ノートを書く(時々育児相談)
・あちらからしたら当然のことでも、子ども達にそれが必要な事だと理解できていない部分もあるので、感謝を添えつつ報告(例えば、子供に「学校の先生が質問するような事を英語で繰り返し質問し、意思を伝える事が大事だと教えてくれてありがとう」とか)

(余談)
childmindの先生達からすると、私の連絡ノートには時々いろいろな仕事上のヒントもあったらしく、「新しいニーズを知ることが出来た」と重宝がられました(笑)この感謝と不備を報告することは、本当にすごく喜ばれます。なぜなら、彼らのサービスが更に素晴らしい物になるからです。特にこういう施設はエージェントから活動資金を手に入れるためにいろいろ活動報告をしています。私の報告はこれまで何度彼らの資金獲得のための活動報告で使われたことでしょう(笑)しまいには、識字率啓発キャンペーンのインタビューまでうけて地元の新聞に載ったり、アートやスポーツの活動資金獲得インタビューも受けました。

こうして、息子はkindergatenへ行くことになりましたが、それでも、まだまだ人間的にも、言語的にも大変だったことは言うまでもありません。

また「その2」でお伝えしますね。

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