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日本語教師養成講座420時間を受講して教師にならなった話。


はじめに

ようやく日本語教師構成講座を修了したので、実体験と合わせて綴っていきます。

私は、2018年新卒入社として半導体関連企業へ入社した。半年近くは研修で各拠点を転々とする期間を経て、その間に通う学校を選出して、2018年10月の本配属と同時に日本語教師養成講座を開始した。

そもそもなぜ通おうかと思ったか。だが、ちょうど就活をしているときに出会った本「LIFE SHIFT」がきっかけで、働きながらの学び直しを強く意識するようになった。

新卒入社した会社では自分なりのMissionを持ちながらも、自分の専門領域としてしっかり片足入れておきたかったし、将来は日本語教育の領域で力になりたいという気持ちがあった。そして何より語学がすきだった。

じゃあ、最初から日本語教育の領域に進めよ。と思うこともあったが、学生時代にライフワークとして日本語教師の活動する中で、拭えないモヤモヤがあった。

「彼らが日本語を学んで、これから働く日本の社会をそもそも私が知らないじゃないか。」

そんなこんなで、ビジネスマンとして働きながら学ぶという選択をした。


養成講座の体験談

知らない人からすると、「日本人なんだから、教えられるだろ…」と言われることもしばしばあったが、専門知識として知っておくと面白いこともたくさんあった。

実際に通った学校はヒューマンアカデミー新宿校。

そもそも日本語教師とは…という方はいないかなと思うが、日本語教師の資格と言われるものが現在3つ存在する。
・日本の大学で副専攻の取得
・日本語教師能力検定に合格する
・日本語教師養成講座420時間を修了する

私は上記の大学副専攻と養成講座の420時間を取得した。

カリキュラムの内容について、まずは講座名の通り420時間の授業を受講しなればならない。

・理論科目:大学の授業のような講義形式でした。全9科目程
・実技科目:全6科目程、講義と実活動を合わせた内容
・実習科目:初級者、中級者向け2実際に授業を組み立て実習
・教育実習:科目を全て修了後、実際に外国人相手に実習

自分が実際に参加した時は講座に来ている約半分くらいは主婦。そして3〜4割が社会人、残りが学生といった割合。男女比でいうと8:2か9:1で女性が多かった。10代〜20代はほとんどいなかった。(と思う。)

仕事をしながら平日の夜の時間を使用したり土日を使用したりして早い人で1年〜1年半ほど(主婦層の人など)、働いてる人で大体2年程かかっているようなイメージ。

自分は2年もかけてられないと思い、最短でスケジュールを組んだ。
理由はいくつかあるが、転勤の可能性もあるし、山梨が最初の配属先だったので、土日しか使えない。何より420時間を2年もかけるなんて嫌だった。

結果1年で完走するわけだが、地獄のようなスケジュールで死にかけた。

金曜日:仕事終わったら東京へ移動(大体深夜1時着)
土曜日:10時-13時/14時~17時/18時-21時(計3コマ9時間)
日曜日:10時-13時/14時~17時(計2コマ6時間)
    →山梨へ移動(22時着くらい)

最初の半年間は休みゼロで、祝日が唯一の休みの日。
営業職だったので、金夜は朝まで飲み会。からの始発で新宿に向かい21時まで講義なんて時もあった。(そして1コマ3時間がきついw)

人間自分が好きな事やってる時は楽しく乗り越えられるものなんだなと痛感すると同時に、2度とやりたくない生活だ。

もちろん辛いのは辛いのだが、仕事と勉強の両立は、良い面もあった。どちらかが上手くいっていない時、もう片方が支えになる。日本語教育の勉強がうまく進まない時は仕事で気分転換して、仕事でミスった時は日本語教育でリフレッシュできた。

物事に対して関してモチベーションが下がる。やる気が起きないという状態はほぼ全くなかった。(辛いとか言っている場合じゃないという状況だったかもしれないが…)これが多動力のパワーかなんて思った事もあったが、その時の状況や環境によるだろう。

ただもしこのエントリー読んでいて、何か働きながら学校行けるかなとか悩んでいう人がいれば、”やればなんとかなる!”ということを伝えたいです。
もちろんゆっくり自分のペースでやるでもOKだと思う。
(私は少しせっかちだったので…)

日本語養成講座修了後

実際に社会人2年目終了手前くらいで本講座も終了しこのまま働くか日本語教師するかで迷った。

土日や夏休みなどを使いながら、知り合いのツテを使い実際にフィリピンの日本語学校で授業させてもらったりしながら模索していた。

大学時代の教授から誘われた研究会に参加したり、そのタイミングでちょうど教授経由で中国の大学の話が来たり…。

ただ一つ体験して思ったことが教師という仕事は素晴らしくて、楽しくて、やりがいのある仕事だと感じた一方で、なぜか踏み込むまでに至らなかった。

きっとそれは、以前自分の中でモヤモヤした、”彼らが日本語を学んで、これから働く日本の社会/会社”というものへの回答がないからだと。

生徒達に対して、日本語学校卒業後の日本でのキャリアまでしっかりとサポートまたは教えてあげれるような人になりたい(教師?)という気持ちがどこかにあった。

それは実際にこれまで外国語を勉強してきた自分の人生に対しての回答でもあるだろう。だから教師活動はライフワークとして続けるが、まだビジネスのシーンに身を置きたいというのが自分なりの回答になった。

日本語教師養成講座を受けたら、教師には進まなかったけど、それでも目指すもの。なぜ目指すのか。そんなことが整理できた。



追記(2024年)

当時書き記してから3年が経った。

最近この記事にアクセスする方がちらほらいるので、少し追記でもしようかと。あれからしばらくして新卒の会社をして退職してエンジニアリングの学校へ通った。

ライフワークで日本語教師の活動しながら、海外の方と仕事をするようになって、彼らが働くための日本語にはたくさんの課題があるんだなと感じることが多く、教師としてサポートするだけでは私の手で届く範囲が狭いと感じてしまった。

きっと広く届けるため、きちんと課題解決された社会を作るには、ものづくりをしなければと解決されないと思い、日本語教育領域でサービス作りをしたくてゼロからエンジニアリングを学びました。

その期間の奮闘記事はこちら


その後スタートアップとして、共同創業するも失敗。
現在、もう一度”ゼロ”からものづくりしてます。
2018年-2019年に養成講座に通ってからの想いは今も変わらず。

また進捗報告します!

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