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桜の花を共に楽しむ

「桜、咲いてるね」

昨日、関東地方は雨でした。私の住んでいる地域ももれなく雨でした。ですが、桜は満開になって。まだ満開になったばかりだからしっかり咲けるだろうから花散らしの雨にはならないだろうけれども、来週末にはきっともう散り始めているよね。と、夫と話し、3人でドライブ花見をすることにしました。

以前、書きましたが(こちら)桜の季節は私にとって、とても切ないものに3年前からなっていました。共同注視がないこと。自閉症だ、と確信したあの桜の日を、忘れることができないままこの季節を過ごしていました。毎年、桜の下を通っては、顔のそばで指をさしたり、指で視線誘導したり、声を大袈裟にしたり。どんなに声をかけても、その表情は楽しんでいる様子にはならなかったのです。

寂しい。

本当にその一言に尽きました。自然が好き、花や鳥や虫が好き。芽吹き成長していく様子が好きな私にとっては、それを共に楽しめないことはとても、悲しいことでした。いつか、一緒に楽しみたい。いつか一緒に自然を愛でたい。いつか一緒に。ずっとそう思っていました。

私が今住んでいる地域は夫の地元。ずっとここで育ってきた夫は、桜の名所を知っています。なので、ドライブルートは夫に任せて、私は後ろで息子と一緒に。

土手沿いに桜が見事な並木に差し掛かった時、思わず「わあ、桜、満開だね!綺麗!」と私が声をあげてしまうくらいでした。夫はそれを合図にしたように、並木側の窓を(寒かったけど!)全開にし、息子にも見えるようにしました。

「さくぁ、さいてぅね!(桜、咲いてるね)」

息子が、そう声を上げました(口腔内の発達から、「ら行」の音が、出しにくいので、そう聞こえます)。思わず、息子を振り向きました。目をキラキラさせて、雨に濡れながら、枝が重そうに満開に咲く桜を窓から見上げていました。「さくぁ、いっぱいだね!」と声をかけてくるのです。涙が溢れそうでした。

「◯くん、桜、何色?」と尋ねると「ピンクです!」と大声で楽しげに答え、フロント窓からはトンネルのように道路の方にしなだれかかる桜を見ながら「またさくぁあぅねえ〜。またあった!」と溢れるように楽しげな声が弾んでいました。「そうだねえ、またあったねえ」と返しながら、ミラー越しに夫とちらり、と視線を交わし、本当に嬉しいね、と笑い合いました。

「ママ、さくぁ、好き?」と笑顔でこちらを振り向きながら。(最近、「◯◯好き?」と聞くのがブームです)「好きだよ。綺麗だよねえ」と答えると「◯くんも、さくぁ、大好き!」と答え、しばらくじいっと見つめて、「パパも、さくぁ、好き?」と。「パパも好きだよ」と返事をしてもらうと、満足したようににっこりと笑って。しみじみと「きぇいだねえ…」と見つめていました。

ああ。去年の春、入園直前に大好きな公園からわざと桜並木を通って帰った時、全く興味がない息子を前に、来年こそは、と泣きながら自転車を漕いだっけ…。とその横顔を見ながら思い出しました。入園すると、つきっきりで何かをしてあげるというわけにはいかなくなるからこそ、ラストチャンス、と思って切羽詰まってもいたので、余計に泣けたのを思い出します。

時々土手へのぼる階段があって「階段あった!」と階段も混ざりつつ(笑)一緒に桜を愛でることができた。雨なのに、心は晴れやかでした。

諦めない。

ひとつ、ひとつ。ゆっくりでもいい。もちろん、これから先も程度の差はあれ、いろいろなことは出てくる。そう思います。実際、3歳を過ぎて出てきたことも結構あります。「そうくるか」と、天を仰ぐこともあります。

でも、この彼の「桜、咲いてるね!」は、今までは切なさと、辛さしかこの季節になかった私に希望をもたらしてくれました。障害のある子を育てていると、必ず「親亡き後」のことは考えます。辛いことしか考えられない日もあります。けれど、「桜、咲く」。きっとその中にも咲く花はあるのだと、信じていきたい。今はそう思います。

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