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【診断まで】1.微かな違和感から始まる疑い

初めの微かな違和感

産後。私のメンタルが不調なこともあり、3ヶ月は息子の様子を発達目線で捉えることはしませんでした。息子は読み聞かせや絵本を見せたり、おもちゃの刺激にも敏感に反応し、クーイングも早く、笑顔を見せることも、目もよく合わせて笑う。本当に、何も、何も疑問を抱くこともありませんでした。

それが私の頭に「微かな」疑問が浮かんだのが、おそらく5ヶ月ごろ。寒かったけれども、それでも家の中にいるとどうしても煮詰まってしまう私は、ベビーカーを出して、よく散歩に行きました。近くのコンビニを経てお茶を買い、そのまま川岸の土手まで。その時、よく、歌を歌ったり、「あれはね、〇〇って言うんだよ」と見えるように指をさしたりして、声をかけていました。それに対する息子の反応に、微かな違和感を覚えたのです。

これです。私が声をかけ、何かを示そうとしたり、歌を歌ったり。ベビーカーに収まった息子は、とても不安げな、訝しげな、なんと表現したら良いのか分からない、そんな困ったような顔で私を見るのです。私が指し示したいものが「え?なに?どう言うこと?」と言うかのように。ただ、私の顔を、見上げている。その時「何か違う?」と、微かな違和感が首をもたげました。

共同注視がない

それは、しばらくずっと、薄紙が積み重なるように積み重なっていきました。なんだろう?なんだろう?そう自分にも問いながら。その頃のことを思い出してみると、実はいくつか思い当たる節が、ないわけではなかったのです。

・人見知りをしない

・激しく揺らされることが好き

・ひとり遊びが好き

だからどう、と言う決定打になるものではありません。人見知りをしないのは、トッポンチーノをずっと使っていたからだと思っていましたし、激しい遊びが好きなのは「男子だしね〜」と思っていました。ひとり遊びが好きなのは、集中力があるだけだと。できた!の時に、こちらを振り返ることも、ありました。今にして思えば稀に、でしたが…。

喃語も出るようになっていて、そんな時、マタニティクラスで一緒だったご近所さんと一緒にお散歩に行った時。息子よりちょっとだけ先に生まれた娘ちゃん。ママの言葉に、その娘ちゃんが反応して返事を返すような声を上げていました。そして、「音声模倣」が出ていることに気がついたのです。「青だね〜」と言う言葉に「あ〜〜」。青、と言いたいのですね。そして、ママの指す方を、見ている。ママはうちの息子を指して「〇〇君だね〜」「う〜うん」。このやりとりに、ハッとしました。ないのは、これだ。

さらに、娘さんが、鳥を見て「ああ〜!」と指を差しました。

その様子に頭の中に、「あ。共同注視がないのか」と言う言葉が、流れたのを、憶えています。

共同注視がない。どう言うことかというと、興味の対象を共有することが難しいと言うことです。相手が興味があるものを指し示すために、指差しをします。自分はその興味を共有するために相手が指した先を見ます。あるいは、自分が興味を持ったものを「誰かと共有したい」と、指をさして、相手の注意を引き、相手と対照を共有します。それが「共同注視」です。

それが、ない。

共同注視がない。それは、自閉症スペクトラムの特性のひとつです。しかも、かなり特徴的な特性のひとつです。保育士として、数年働いてきた自分の「勘」のようなものが「確かにこの子は共同注視がとても低い」と言うことを告げていました。でも母として。そんなはずはない。と言う叫びが、心に渦を巻いていました。

共同注視がない。

これがはっきりしたことが、私の中で全ての始まりでした。

一緒に、を決意する

桜が、咲き始める季節。一緒に「桜きれいだね〜」と、言いたい。一緒に見て、きれいだねえ、と目を見合わせて笑いたい。その思いで、いっぱいでした。ちらホラと咲き始めた桜を何度となく、見せに桜並木に連れていきました。

「お花、咲いているよ〜」

と指差して見せても、私の顔を怪訝そうに見上げるだけの息子に、胸をグッと押さえられたようなそんな気持ちになって、涙を堪え続けました。

田舎の風習で、旧暦の三月三日が大事な地域なので、親戚に初顔見せに帰らねばならず。幸い土日に被ったので、二泊三日で帰り、帰宅。もう4月になっていました。まだ桜は咲いている。

その日のことは、忘ようにも忘れられません。

「また同じかもしれない。」そう思いながら、同じ桜並木へ。「お花咲いてるね〜。ひらひら、散ってるね〜」そう言いながら、指を指しました。怪訝そうに私の顔を見ている息子。指をさす方向を見ようとはしません。ゆっくり、ベビーカーを回転させ、桜がより見えるようにして、側に座りました。

一陣の風が吹き、桜吹雪が、バアッと辺りに散った時。息子の顔が、ぱあっと変わるのを、見たのです。「うわあ〜!綺麗だ〜!すごいよ〜〜!」と言う心の声が聞こえてきそうでした。感動して、心が打ち震えているのが分かるほどの、心の奪われようでした。目がキラキラしてぎゅっと手を握りしめて、笑顔で息をのんでいる。その表情は、とても美しかった。その顔を見られただけで涙が溢れました。

でも、その目が「きれいだね!」と言うように、

私に向けられることは、ありませんでした。

それが、「共同注視」、「共感したいと言う気持ち」がとても低いと言うこと。それを、実感した日でもありました。けれども息子は、私が感動する美しいと思う桜吹雪を「綺麗だ!」と感動する、その感性は、そしてそれを素直に表現できる力はある。それを、心に刻みつけました。

その日から。私は息子と、「一緒に感動する」ことを、決意しました。いつか、この桜並木で、一緒にお花見をする。そして「桜綺麗だねえ。ご飯、美味しいねえ」と言いながら家族で満開の桜を、一緒に、愛でる。一緒に「お花咲いてるねえ、綺麗だねえ」と言い合う。その当たり前の幸せを、いつか掴み取る。そう、決めたのです。

少しずつ現れ始めるASDの特性

それからは、ひたすら観察し、ひとつひとつ、発達段階の発現を確かめる日々でした。

観察していくと、少しずつ、「あ。多分これもかね(汗)」と思う特性が、ひょこっと顔を出してきます。1歳半でようやく周りが動いてくれるまでのことを、書いていきます。

・くるくる回るものが好き:お隣さんが、お孫さんが大きくなってもう使わないから、とミニカーをくださいました。ハイハイのまま、ひたすら、タイヤをいじっていたのを思い出します。

・キラキラしたものが好き:R-1の空いた容器で、にぎにぎガラガラを作っていました。中には、キラキラしたビーズ、鈴、色々入っています。同じ容器で、にぎにぎスノードームも。キラキラのラメを入れ、大小様々なビーズで作りました。どちらも振ると、キラキラするのですが、ずっと、長い時間それを振って遊んでいました。

・過集中:1つの物に夢中になると、本当にそれに集中し、こちらの声が聞こえません。呼ばれてるの分かってるかーい(汗)と、思うくらい、1つのことに集中し、それ以外のことに、意識が向かないのです。

・「いないいないばあ」など「顔」の変化に反応が乏しい:これは本当に、「共感力が本当に低いんだな」とぎくりとしたことでした。「いないいないばあ絵本」、「いいお顔」(松谷みよこさん)や、ベビーくもんの教材にある「笑った顔」「怒った顔」の表現。そして、親の「いないいないばあ」。全てに対して反応がとても低い、というか「ない」。ベビーくもんの「あけてあけて」と言う、箱を開けると何か出てくる、と言う絵本に対しての反応はとても良かったのですが。

・動作模倣の兆候がない:Eテレの子ども番組のダンスや体操。音楽がかかると、おそらく好きなのか、一生懸命集中して見ています。が、音に合わせて体を動かす、とか。そう言った様子が、見られませんでした。ただ淡々と集中して見ている。そんな感じ。でも、「好きなようだ」と言うのは伝わってくるのです。

そして、歩けるようになってきて。ますます、出てくるようになります。

セーフティゾーンがない:ママと離れてもここまでは大丈夫。ここからはちょっと不安、と言うゾーンが、子どもにはあります。歩き始めた息子には、それがありませんでした。ひとりで、私のことを振り向くこともなく、どこまでも行ってしまうのです。それに気がついた時、怖ささえ感じました。

社会的参照がない:何か新しいことに出会った時、「これは大丈夫?」「やってもいい?」「ちょっと心配だなあ」そう言うふうに、信頼できる相手のことを見たり、その人がやっていることを真似してみたりしようとします。息子には、それがありませんでした。何か新しいことがあった時。突進するか、固まるか。「どうしよう?」と、私に問いかける、と言うことはなかったのです。

指差しがない:早いお子さんだと7〜8ヶ月ごろに「あ!あ!」と「感動の指差し」が始まり、「共感を求める」ものになり、「指示、要求」と進んでいきます。が、息子にはある段階まで、ありませんでした。「共感してほしい」と言う「他者との関わり」への関心が低いことで、外へ発信する必要がなかったから。と言うことが言えるのかなと思っています。初めて出た指差しは、「指示・要求」の指差しでした。指差しが逆に発現するのも、自閉っ子ちゃんならでは、と言えるのかもしれません。

感覚過敏・鈍麻:シンプルに言ってしまえばそう言うことなのですが…。ブランコを握ることができない(手のひらの感覚過敏)。手掴み食べがしづらい(のちに、ほぼ手掴み食べになりますが)。手のひらにご飯がつくと、ものすごく戸惑う。そして、歩き始めの頃、靴を履かなくても、靴下で公園を歩きたがりました。足裏の感覚が鈍麻気味(後で分かったことですが)なので、足裏の刺激が欲しかったのでしょう。そして靴を嫌がらない。積み木や、何かしら、角のあるものを踏み締めたがる。

・自傷:気に入らないことがあると、床に頭を叩きつけるようになりました。もちろん、定型発達のお子さんでも、する子はいます。言葉が出ないから、不満のぶつけ方が分からなくてそんな形になってしまうのですが。でも、頻度が違いすぎる。これは、見ていて心が痛くなりました。

言葉が出ない:喃語はよく出ていました。が、「音声模倣」と言う、これも他者との関わりによって生まれるものであるため、周りの音を「模倣する」と言うことがなく、言葉として発せられることは、ありませんでした。

目合わせ・表情:1歳を過ぎると、視力は大分はっきりしてきています。だからこそ、1歳すぎての目合わせが減ってきたことに、少し焦りを感じることもありました。自分で遊んでいる時に、その遊びが楽しくて笑顔になっていることも多くありましたが、こちらの笑顔に対して、笑顔を返す、と言うことが少しずつ減っていき、表情が少しずつ内向きになって来ているような気がしたのが、とても怖かったのを憶えています。この頃の写真にも、こちらに向けての笑顔、が月齢が低かった頃に比べて少ないです。笑顔にはなるのですが。

周囲への働きかけ

もちろん、毎日こんな観察だけをしていたわけではありません。楽しいこともたくさんあったし、息子の成長もたくさんありました。が。もし息子に何かあるのであれば。早いうちにその特性に合った方法で、環境で、育てる必要がある。私はそう信じていました。

「まだ早い」「今では判断きっとできないよ」周囲の声はありましたが、自治体の担当の保健師さんとマタニティクラスや、その他で懇意にさせていただいていたこともあり、拝み倒し、何度か見に来ていただき。1歳も大分過ぎた年末。「発達相談」と言うのがあると言うことを教えていただきました。もう、一も二もなくお願いし、取れたのが3ヶ月先。ちょうど1歳半になる、その日でした。ようやく、求めた支援のために車輪が回り出した。そう思いました。

周囲の反応は、冷たいものでした。悲しいことに。

保育士になるための勉強をしていた時、私がお世話になった恩師は「くるくる回るものが好きな子がみんな発達障害というわけではない」と、励ますつもりだったのかと思うのですが…決めつけることはないだろう、というような主旨の話をなさって。私は「息子を障害児にしたいわけではない。もしそうならそうで、適切な環境を与えたいだけだ」と反論して、それっきり疎遠になってしまうという、本当に悲しい出来事もありました。

息子がお世話になっていた習い事の先生は、「そんなはずはない」と。息子が可愛いからこそのお気持ちであるのですが。息子は好きなものに対しての集中力がものすごいので「賢い!」と喜んでくださっていましたので。「そんな風に言われると違和感があります」と、やはり「ママが息子くんを障害がある、と決めつけている」というような反応が返って来ました。

それでも。

障害があることは「悪いこと」ではなく。「生きにくい」ことであると思うのです。「のんちゃんの手のひら」というダウン症の女の子の成長を綴ったマンガで「圧倒的な健常児の世界で、この子がどう育つのが幸せか」という言葉であったかと思うのですが、まさにその通りです。圧倒的な「定型児」の社会の中で、「偏り」を持っている息子が、この社会で生き抜いていくために、息子らしく「幸せに」生きていくために、知らなければいけないこと、学ばなければいけないこと。それがきっと、普通の「定型の」お子さんより多い。それを支える環境を作りたい。そのための働きかけを始めて数ヶ月でした。

Twitterで、同じ「療育を頑張ろう」としている親御さんが「育てにくいんじゃない。育ちにくいんだ」と、仰っていらして、それが心に響いています。

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