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【診断まで】4.親子発達支援クラスと初語

市の親子発達支援クラスへの参加


コロナのため、遅れに遅れていた、親子発達支援クラス。本来なら4月開始だったのが、遅れて7月から開催しますという連絡が来た。当然参加登録。本当は半年のところだけれども「プレオープン」ということで、3ヶ月からのスタート。月2回、午前中2時間。何をどうするんだろう。と言う不安の中、参加した。

時間までの自由遊び、朝の会、運動遊び、制作、終わりの会、と言う流れで進んでいく。保育士と心理士が一緒になって行われている。市では初めての事業ということもありこちらから見ても「手探り」ということが分かる。明らかに発達障害について明るくない保育士(ベテラン保育士なのだが)もいたり、目的がよく分からない活動もあった。が、その中で、息子を見ていて「これが苦手なのではないかな」「これは、興味なさそうだな」「これは好きだ」「こういう場はちょっと嫌なのだな」ということが、活動を通して分かってきた。それらの特徴を合わせて、「うん、家ではどうやって対処したらいいかな。」ということまで考えるには、私は素人すぎた。それでも、そうした特徴が分かることは、私にとって、大きな収穫だった。

息子は特に「座って何かをすること」が苦手だった。その年齢だと大好きだろうと思われる「お絵描き」や、ビンにボールを入れたりすることも。おままごとの道具を持って、打ち合わせ、「かちゃかちゃ」と音を立てる。中に何か入っているとマラカスのように振ってひたすら音を出す。ドアがあると、開けたり閉めたりを繰り返す。感覚刺激と常同行動。私には、もうこれ以上、「様子を見ましょう」は必要ないと、強く感じるほどだった。

「生活リズムを崩したくない」そんな気持ちもあり、11時40分ごろ終了するので、12時まではいていいよー、と言っていただき、お弁当を持参した。終わってからおかずだけでも先に食べさせる。そうでないと、帰ってからでは疲れすぎてご飯ががべられなかった。

今にして思えば、刺激が多くて疲れてしまっていたのかもしれない。

関心が同年代へ

親子サークルへも相変わらず通っていた。緊急事態宣言が解除されて、制限付きで再開した子育てひろばへも通った。そうして、同年代のお友だちに、多く接することを、意識的に心がけていた。

息子は、この記事の最後の項目で書いたように、何度も何度も出会うお隣の奥様には、親しみを示し、会いたくて庭の境まで言ってウロウロするようにもなった。まだ言葉にならない喃語で、声を発するようにまでなっていた。なので、「同じ顔ぶれに何度も会ってみる」ことを目指した。

そんな試みを続けていたら、ある日、親子サークルで、息子に関心を示し、相変わらずどっかりと水溜りの中に座って温泉状態の息子のところにやってきて「何してるの?楽しい?」と声をかけてくれたお兄ちゃんがいた。息子は当然返事ができないが「ああー」と、彼なりに喃語は発していた(そちらを向いて目を合わせることはしていない)。お兄ちゃんは、会話にならなかったので、ちょっと詰まらなさそうにその場を離れた。その瞬間、

「え?行っちゃうの!?戻ってきて!」

と言うようにパッと顔を上げて、そちらを見て、「ああ〜!」と言いながら、手をのばした。

その仕草を見て、私は息子が「人に関心がないのではなくて、どうやってそれを示したら良いのかを知らない」だけなのだと、気がついた。どうやったら教えてあげることができるだろうか。療育方法を模索し始めたのも、その時期からだった。

親子教室でも、同年代のお友だちにそれからは興味を持ち始めていることが、観察していると見えてきた。自分の興味のあることをしているお友だちがいると、チラチラ見ていたり、自分はできないし関心もない活動なのに、お友だちがしていることが気になって行ってみたりする。

が、子ども(しかも、特性があれば尚更)は相手に合わせて調節してくれるわけではない。そこは「並行遊び」でもいいのでできるようになることをどうやって教えようか…。

それでも「この子は人に関心があり、それが表出し始めている」それは、大きな希望だった。

言葉や動作の逆模倣とコミュニケーション

この頃には、1歳過ぎから少しずつ固くなっていった表情が、私や夫に向けての笑顔が増えてきた時期。なので、それが嬉しくて。

息子が指を指すと、すかさず私も真似をしてそっちに向けて指をさし。息子が何か喃語で言えば、それを真似して同じことをし。私がそうすると、彼は私がしたことを繰り返し。私にとっては、それが彼とのコミュニケーションなので、あまり意識てはいなかった。が、後で考えると、それが「逆模倣」と言うことだったのかもしれない。

彼は、相変わらず「じゃあじゃあびりびり」の絵本をよく見ていた。私に「これは?」と言うように、ページを開けて顔を見上げてくる。「わんわん」「踏切、カンカン」と読みながら、彼の顔を見る。そこで目が合う。と言うことが増えてきた。よし、三項関係が築けてきたかな。と、ちょっと思ったり。

親がしていることへの興味も、どんどん湧いてきていた。自分が飲んでいるのと同じようなものを飲んでいるから欲しい。とグラスに入っているものを覗き込んで、炭酸の泡を見てびっくり。怖いもの見たさで一瞬口にし、ひゃあ!となった時に

「これ面白いね!もう飲まないけど!」

と満面の笑みを浮かべて私を見てきた。喃語と身体全体で

「その美味しそうなもの!ちょっとちょうだい!」

とプリンを要求することも出てきた。

「自分一人ではできない遊び」(座布団に座らせ床を引っ張り回してあげる、など)をたくさん持ち込み始めてはいたが、飛び切りの笑顔で要求してきてくれるようになり、こちらが楽しくなり始めたのも、この時期だった。

アイコンタクトと、身体の表現、喃語。たくさんコミュニケーションを取りたいお思っていることが分かるような、そんなことがあった。

ちょうど、その頃レスパイト(休息)のため、週1回シッターさんをお願いしていた。その会社の規定で既に疑いがあって、支援を受けている場合「障害児対応」のシッターさんでなければならず。お願いした方は、とても気さくな方で、児発勤務経験もある方だった。息子の言葉にならない言葉を聞き取り、一緒に「遊ぶ」方法を編み出してくださり、こちらにも工夫を教えてくださった。足裏鈍麻を発見してくださったのもこの方だった。

言葉の代わりになる「サイン」を教えてくださったのもこの方だった。マカトンに近い「おしまい」や、「ください」のサイン。お茶が飲みたい、パン食べたい。その要求を表すときにやってきて、パンを指差す。「パンパン、欲しい?」と聞くと「ください」のサインをする。それが頻繁に出るようになった。

この方に出会って、私はますます「専門家」の支援の必要性を感じるようになっていった。

そうすればもっと、コミュニケーションを取りたい、となるのではないか。

それが私たちの思いだった。

突然の「初語」

それは突然やってきた。

忘れもしない、7月7日。七夕の日。午前中は外で水遊びをしたが雨が降っていたので撤収。川遊びにも行かれず。息子は家で遊ぶことに飽きても来ていた。それは、ほんの出来心だった。

じゃあじゃあびりびりを見ながら踏切のページを見ている息子。

実際の電車の映像を見せたら嬉しいかなあ。

ただ、本当にそう思っただけなのだ。スマホで検索し、新幹線のYouTubeを見つけ、そして「ほら、電車だよー」と見せた。その瞬間、彼の中の全てが停止して、画面に釘付けになった。目がキラキラとして動く電車をじっと眺めていた。

こんなに好きなんだったら、とテレビの大きい画面で見せてあげることにした。色々な動画を検索した。そうすると、彼が注目したのは「踏切」だった。踏切が映る動画には、ものすごく喜んで、踏切を指差す。

電車だけじゃなくて、踏切を通る電車が好きなのか!

ニッチだな。と思いながら探すと、そういうチャンネルが、あるんだなあと。それが、この「ふみきりんチャンネル」との出会いだった。

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その踏切を指差しながら、今度はじゃあじゃあびりびりの絵本を開いて持ってきて、踏切のページを私に見せる。

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「そうだねー、ふみきり、カンカンカン、だね」

そう言った時。

「カンカン」

小さな声だった。

ともすれば聞き逃してしまうような、小さな声だった。一瞬、時が止まったようにすら感じた。

「そうだね。カンカン、だね。踏切カンカンカンカン、だね。」

息子は、私に通じたことが分かり、大きな笑顔を見せて、より自信たっぷりに

カンカンカンカン!

と叫んだ。「カンカン」これが、今につながる彼の最初の一語だった。

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