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【診断まで】2 試行錯誤

初めての指さし

それが出たのは、本当に突然でした。食事時。1歳半になるまさに前日の昼ごはんの時。「明日は、発達相談だ」というその日。ご飯は、1歳ごろはほぼ自分で食べていたのですが、いわゆる「中折れ」というやつです。消失していってしまっていました(2歳半過ぎた今も半分以上支援が必要です)。なので、私が選んで食べさせていたのですが、その時、

「こっち食べたい」

と言うように、自分の好物を指差して来ました。

「えっ?こっち?」と、そのお皿を差し出すと、食べさせてくれ、と言うように口を開けて待っていました。明確な指差しが出たのは、この時が初めてでした。ああ、やっと出た。と、嬉しくて天を仰ぎ「良かった」とホッとしたのと同時に、「やはり、指示の指差しが最初に来たか」と言う複雑な気持ちも同時に生まれました。

どうやって「共感」することを教えたらいいんだろう。どうやって、気持ちを共有しよう。「決意」はしたものの、そこから1年、呼びかけ、働きかけても振り向かない息子の背中を私が追いかけてばかりでした。

1歳ごろから、近くの保育園でされている子育て広場が週2回開かれていました。行かれる時は行って、ざっくばらんな先生とお話しし、解放されている園庭で遊ばせていただく。それが息抜きでもありました。が、やはり近い月齢のお友だちと一緒に見ると、どうしても息子は「違う」ところがあって。

「明日、なんて言われるんだろうか」

そんな不安で息子の初めての指差しを見つめました。

発達相談にて

市の保健師さんを拝み倒して入れていただいた予約。本来なら昼寝の時間のはずだけれども、ちょっとハイテンションな息子は、プレイルームに入ると、そこにたくさんあるおもちゃにさっと目が行き、靴を脱がすと、駆け寄り、遊び始めました。

夫と一緒に行ったので、保健師さんと夫が息子についてくださり、心理士の先生と私が話すことに。初老の穏やかそうな女性の先生でした。私と話をしながらも、息子の様子はちらちらと確認している様子が見て取れました。

「いつも、遊ぶ時はあんな感じで遊びますか。」

そう聞かれた時の光景を、どう表現したものか。保健師さんとも、夫とも、等距離を取り、誰かに寄ることもなく、カラフルなビーズが入っているスパイス入れを振って中のビーズを眺めている。一緒に遊んでくれる誰かを必要とするわけではなく、それが見知らぬ人(保健士さん)だから、と言うわけでもなく。私のところに来るわけでもなく。

「はい。そうです。」

そう答えた時の苦しかったこと。取りも直さずそれは「コミュニケーションが難しい」「ひとりの世界で集中してしまう」と言うことを肯定しなければならないのですから。けれど、この子に適切な環境を見つけたいから。

先生の答えは、とても柔らかなものでした。「人とのコミュニケーションが、独特ですね」「集中すると自分の手元周囲しか、見えなくなってしまいますね」と仰って私の顔を見られて「傾向は、あると思います」とオブラートに包んだ言い方をされました。

「視野を、広げてあげましょう。」

と、先生がおっしゃった時、正直私にはその意味がわかりませんでした。手元の世界しかないから、その周囲のものに目が行かない。そうすると、興味も湧かないし、世界が広がらない、人ともコミュニケーションを取る必要がない。今にして思うと、そう言うことだったのだろうと思います。

そして。突然、遊んでいる息子にたくさんのお手玉を持ってきて、シャカシャカ振って音を聞かせると、息子はパッと振り向きます。「何?」と。それを先生が投げてみせ、はい、と渡す。息子はそれをずっと振っています。先生は、少し離れると、わざと音がするように投げて息子の近くに落とす。息子は音のした方を見て、お手玉を取りに行く。それを何度もしていると、息子はそのお手玉が、自分の背後から投げられていることに気がついて、お手玉が投げられてくる方向を探すように。そして、投げているのが先生であることに気がつき、その軌跡を目で追って、落ちる前に取りに行こうという仕草をしました。

「こうすることで、手元だけではなくて、見えないところにも世界があることに気がつくようになります。また、上下左右にも目が行くようになります。こういう類のことをやってみて、視野を広げてあげると、興味関心も広がります。」

と、教えてくださいました。確かに、ものを探して上を見上げる息子を見たのは、意識してみるとほとんど無かったことを思うと、なるほど…。と納得でした。そうか、音のするもので、飛んでくるもの。飛んでくる方を探すのか。

他に方法を思いつかなかった私は、帰宅後早速お手玉をいくつか作って、遊んでいる息子の後ろから、ぽーん。息子の目の前に落ちるように(時々当たった(笑))。先生の刺激で慣れて来ている息子は、投げているのが私か、と確かめるように後ろを振り向きます。それを待って、なるべく高く投げながら、お手玉をして見せました。視線が上下し、動きに慣れてくると、手元を見、上を見、とあちこちを見るように。

「お、これならもしかして、今年は桜が見られるかも?」と、自転車を走らせて、家族で土手やらなんやら走ってみました。「ちらりと見た」程度。去年よりも関心がない。というか、表情も硬いまま。見ないように、見ないように、心を守って「来年こそ」と心を励ましました。まだ早かったんだ。いや、表情に出ないだけできっと心では綺麗だと思っている。そんな風に自分たちを慰めて。

ちょうどそんな時、今も続く、コロナウィルスが、世間を騒がせ始めました。

庭の色々なもの。シャボン玉、エアコン、そして空へ…

コロナウィルス、と言う得体の知れないものが生活に入り込んできて。だんだん暖かくなるのに、子育てひろばにも行きにくくなり始めた頃。ちょうどいいや、と庭で遊ばせることにしました。半分は花壇、半分は夏野菜を作っていた庭の夏野菜部分を更地にして、息子が走り回れるようにしてみたのです。

子育てひろばの保育園ではあまりボールを追いかけるようなことをしなかった息子。ここではひとりなので、周りに邪魔されないからなのか、ボールを投げると、お手玉を追いかけるようにボールも追いかけて取って来たりするように。

庭の色々な物に興味も出始め、あちこちによじ登ってみたり、ひっくり返った植木鉢に石を入れてみたりするようになりました。小さな、飛び出していくことの無い安心な空間で、次第に、息子の興味は足元から、自分の目線へと広がっていきました。自分の背の高さに咲いている花。近くに連れて行って見せると、そのつるを手繰って否応なしに目線は上へ。後ろからボールを投げると、くるりと振り返る。

そんなことが続いたある日。息子が1度も興味を持たなかったものに挑戦してみました。

シャボン玉です。

え?っと思うかもしれません。普通なら、子どもたちがものすごく喜ぶアイテムです。でも、シャボン玉に興味どころか…吹いてもそこにあることすら気が付かない。何度心を折られてしまったことか。でも「目の前」「手元」しか自分の世界では無い彼には、シャボン玉は「外の世界」なのだと、よく分かってから。「まだまだ」と自制。

ボールを投げると、私の方を見るようになった。満を持して。シャボン玉を取り出しました。輪を振るタイプのシャボン玉で、大きいのがうまくいくとたくさんできるはず…。

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表情は硬いままでした。それでも「お!!なんだ!!」と言う心の声は確かに聞こえました。何度も出していると、上に向かっていく、それを指で追いかける仕草をするように。息子が、確かめるように指でシャボン玉を追いかけていく。たったそれだけのことなのに、嬉しくて、毎日毎日、無くなるまで振ったり吹いたりしました。吹くたびに綺麗な色に感動して、地面すれすれに落ちてくるとそれに触ろうと走って追いかける。そして、吹いているのが私であると気がつくようになり、くるりと振り向いて次を待つようになって来ました。

嬉しいことに。それを繰り返すといつ来るかな、いつ来るかな、と言う期待に満ちた表情が見られるようになっていきました。「いくよー、いくよー」と言う私の笑顔に「早く早く」と言うように身体がそわそわ。ふわっとループを振って、シャボン玉が出てくると、笑顔が出るようになり、両手を上げて、追いかけて走り出し、地面近くに降りて来るものがあるとそのそばへ駆け寄っていく。遠くへ飛んでいくものがあると、じっとそのシャボン玉を屋根の上まで追いかける。

視線は空へと向いていきます。そうすると、たくさんのものにも気がつきます。鳥の声。空が青いこと。息子の視野はどんどん広がっていきました。3月に発達相談を受けてから2ヶ月、緊急事態宣言が出始めたこともあり、庭で本当に「集中的に」息子の世界を広げることに注力していました。

家の中でも視界が上へ広がり「スイッチ」に気がつき、階段にある電気のスイッチを押したがるようになり、玄関の電気をつけたり消したりをしたがるようになり。今まで見るだけで反応をしなかったEテレも、ボールが転がっていく様子を見て駆け寄ってボールを取ろうとしたり、少しずつ生活の中でも変化が見られるようになっていきました。ばあばが、アンパンマンボールを、シャツの中に入れて隠しちゃった、と言うのをなぜか突然思い出して自分のシャツの中に隠してみる、と言うちょっと遅れて模倣するということが出たり、人との関わりも出始めました。

そんなある日。家の中で息子が不思議そうな顔をして上を見上げていました。どうしたのかなあ、とその目の先を追っても何かあるようには思われない。そのまま息子を見ていると、息子がやおら、指をさして、私を振り返ったのです。

エアコン。

そうです。エアコンの羽根が上下に動いていた。「動いてるよ、これ、動いてる。これ何?」と言う顔でした。「エアコンだね」そう返事をすると、指を下ろしてじっと見つめました。「エアコンっていうのかー」というような顔。「これは何?」の疑問の指さしだったのです。じんわりと、喜びが広がりました。シャボン玉の時には私に共感を求めるでも、尋ねるでもなく、自分の喜びをただ素直に表しただけでしたが、明らかに「私を」求めてきた指差しでした。

それからも、晴れた日にはひたすら庭に出続け、時には4段の脚立に登らせ(高いところ好きって、ほんとだわ〜(汗))、降りられるようになるまで、抱っこして振り回しながら下ろす、を繰り返していました。

(その頃、1歳前にできるようになって消失した「はーい」と「ニコニコ〜」ポーズが再発現。それもその数ヶ月後には消失するのですが。)

脚立に登って、空を見上げることが楽しくなっていたある日。じーっと空を見つめていた息子。突然、びっくりしたようにビシッ!と指をさしました。

真っ青な空に真っ白な雲がぽっかりとひとつ浮かんでいました。

そして私を嬉しそうな顔で、振り返りました。「面白いものあった!!」という共感共有の指差し。これを、どれだけ待ったか。「雲、ぽっかりー、あったねえ」と返事をしながら、思わず涙声になりました。

この「共感共有」これが、コミュニケーションの土台になっていく。ここから、始められる。もちろん、今までもコミュニケーションはあったけれど、彼の世界に私がしっかり「気持ちを受け止めてくれる相手」として入り込む場所を見つけた瞬間でした。

人との関わりを自ら求めて

それから、彼の世界は「モノ」から「ヒト」へと広がり出しました。

我が家のお隣には、ご年配のご夫婦が住んでいらっしゃいます。庭の境も低いので庭越しによくお話もしますし、ものの行き来もよくあります。コロナだということもあり、なかなか行き来はしづらくなってしまって、庭ごしにお話しする程度になっていましたが、よく息子に声をかけてくださいました。

それまでの息子は、呼ばれても聞こえていないかのようで。振り返ることもなければ、気にする素振りもありませんでした。

が、「エアコンだね」と、彼の「これなあに?」の指差しに応え始め、「見てみて!すごい何かあるよ!」の指差しに「ほんとだね、雲ぽっかり〜」と一緒に喜び出してから、「人」が応えてくれることの喜びを知り始めたのだと感じます。

次第に「◯く〜〜ん、おはよう〜」と、お隣のおばさんが、声をかけてくれると、嬉しそうに、赤の「ベンツ」に乗って近くまで行こうとやってきたり、気を引くように、声をあげながら脚立まで走っていって、登っているところを見せたり。そのうち、朝早くから外に出ると庭の境まで行って、雨戸が開くのをずっと待っていたりするようになりました。開くと、「ああ〜〜♪」と笑い声と大声をあげて「ぼくいるよ〜〜おばさ〜〜〜ん!」とアピールするように。お隣の大きな庭の、木の間に時々お散歩されるおじさんの姿を探そうと、近くまで行ってじっとしゃがんで目を凝らす姿も見られるようになり。1ヶ月でこんなに変わるかと思うほどの人懐こさになっていったのです。

そして、庭の境でおばさんと「おはよう〜」をした後、そのままチラチラと、誘うようにおばさんを振り返りながら、家の脇道を玄関の方まで走っていき「こっちだよ〜」というように笑いながら待つ。おばさんが来ると、しばらくふたりで笑いあってから「きゃああ〜〜〜」と言いながら庭に戻ってくる。そんなことを楽しんでいるのです。

お隣の奥様は私と同じ、保育士でした。「道で会っても、気がついてもらえないねえ」と仰ることがあり「同じ場面(庭)でないと分からない性質があって…」と話したことがありました。その後しばらくして、「そういう傾向が、あるんです」とお話をしたこともありましたので、この変化に、とても喜んでくださったのが、私にとっても励みになりました。

この数ヶ月が、私にとって、「環境を整え、適切な対応をしさえすれば、この子にとって、楽しいことは増え、伸び代は無限大なんだ」と、今の「療育に関わる」という姿勢の土台になりました。

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