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秋田犬ももこ 4匹の猫と不登校の娘−3

ここまでのお話はこちら↓

9 採用面接ーこばん園長の場合

 いきなりだが、皆さんがおっさん猫に求める理想の色柄と体型とは、どんなだろうか。男の子でもBoyでもダメだ、私の猫の好みは年齢でいうと4歳以上の(人間年齢で30代〜)おっさん猫なのだ。子猫などは可愛らしいが、まだどう成長するのか皆目見当もつかない。だから理想だけをいうとするなら、私の理想はそこそこ世の中を生きていて己を知って、ヤンチャな若いものを遠目から眺めるくらいのおっさん猫がいい。その類のおっさん猫がひだまりでウトウトしている姿なんてのは、本当に地上の楽園だなと実感させられるのだ。
 ついでに私の理想を語る。
 私の理想とするおっさん猫は、オレンジ色に近い茶白、胸元の白はふかふかで、足は太め、ということは体型もやっぱり太め、顔は大きく頬はふっくら、そして望ましいのは鼻の横に鼻くそのような模様。
 性格はどうでもいいが、単純に懐っこいよりは一癖あってほしいし、できれば食いしん坊がいい。
 そう。お分かりだろうか。これははっきりいって、こばんちゃんなのである。
 ちなみに上記の条件に当てはまる猫は、世界中にたくさんいる。血統書などは不要だが、オレンジに近い茶白で太めの短足なら、基本的に私のストライクゾーンのど真ん中だ。だからインスタやなんやで見かけてはいいねだとかハートを押しまくる日課なのだが、その理想的なおっさん猫は我が社のビビリ番長の姿そのものであり、桃ちゃんとのあれこれを語る前にこばんちゃんのお話をすべきだと思う。

 こばんちゃんは個性がすぎる猫である。
 いやいや、どの子も確実に面白い個性を持っているのだけど、私が知る限りではかなりユニークな部類に入ると思う。
 まず、こばんちゃんと出会った日の画像がこちらだ。

足が短めの、茶白。それがこばん。

 どうだ。かわいいだろう。出会ったのは防府市で保護猫犬活動されている青い鳥動物愛護会さんの国衙シェルター。大人猫がたーくさんいる大部屋に、こばんちゃんはいた。こちらのシェルター、人慣れしている子や子猫は別の部屋にいて里親との出会いチャンスを持つけれど、大部屋の子は元野良だったりなんだかんだであまり里親に巡り会って……という可能性が低い子たち。(2020年12月当時の話ですが)
 この時私は自身のネットショップで保護猫ニュースレターを発行しており、(ウメノン珈琲2パックとニュースレター、それからなにかシークレットなものが同封されるサブスクで保護猫活動への支援をする月額500円。現在はマンパワーがなく休止中)ニュースレターに特集するための猫さんを取材しに行っていた。
 この時点で我が家にはうめ、のん、もなか3にゃんがおり、正直にいって猫を増やす気は全くなかった。
 そしてこの日の取材もお目当ては別の猫さんだった……のだが。
「ついでに猫の大部屋も見ていきます?」
 今でもお世話になっているKさんの一言で、その出会いはやってきた。

 体重5キロ。短足。食いしん坊で起きている時間はだいたいご飯皿の隣に居座り続けるネコ。元野良で人慣れしておらず、ボラさんたちに甘えてくることはない。おまけに、ものすごい耳ダニ持ち。たいていの猫とはうまくやれるが、人間はノーサンキュー。
 どう考えても我が家にくる可能性がないはずの、この子が……この子が……がああああ! 

くんくん

 この写真の直後、この短い白い前足で、私の手をちょいちょい、っと触ったのだ。……その瞬間、なんでか知らないが私の中では入社が決定していたらしい。その辺りの記憶がなぜか曖昧なので、何が起きたのか自分でもよくわからない。

 そんな経緯で我が家に来たこばんだが、彼の性格は超絶ビビリ&食への執念とあくなき探究心とねこ思いのいい性格につきる。あくなき探究心についてはまたいずれどこかで触れるが、ひとつ言えることは「こばんはしゃべる」ということだ。それも結構なはっきりとした人間語を話すのだが、それが不意打ちでやってくるので、いまだに録音すらできていない。ちなみに今まで彼が話した言葉は「朝」と「ご飯」「ワンワン(人間ぽく)」である。いずれご披露できる日が来るかも、しれない。
 最後のねこ思いだが、こばんちゃん加入時これには本当に助けられた。初代社長うめちゃん(桃ちゃん加入の一年前に死去)は、本当に難しい性格で天上天下唯我独尊的もなかとは時に合わないことがあった。ボスはあくまでも先住うめ&のんであるわけで、もなかにはやり辛さもあったのだろうが、ここに猫好きな猫こばんが入ったおかげで、実は家の中が平和になった。こばんは空気を読んだのだろう、劣勢もなかサイドにつきながらも先住ボスうめのんを立てつつうまい具合に立ち回った。おかげで平和になったのだから、しばし当社内ではこばんが絶賛を浴びていた。
 空気を読んで立ち回る。それはビビリが野良で生きていくには、必要なスキルだったに違いないとつくづく思う。私もこばんに習って人の世の生き方を学ぶべきだ、ほんと。

 さて、本題だ。こばんちゃんは、生まれてこの方周りに猫がいなかった時期は二年だけという私が知る限り、最もビビリな猫である。よくまあ野良で2歳まで生き抜けたなと感心するくらいビビリで、一緒に暮らして何年も経つ同居人や同居猫がたてるごく普通の物音でさえ、突発的な雷と同じレベルに飛び上がる。
 そのこばんが、3月20日の夜に突然現れた秋田犬のでっかい桃子に驚かないわけがない。こばんは飛び上がってシャーシャー言いながらダッシュで逃げたし、それは翌日になっても数日経っても変わらず、桃子が食べ残したご飯が美味しいことを知るまでは桃子という存在は完全なる敵だっただろうと推測する。
 だが意外にも、ことは人間の預かり知らないところで動いていた。

にいちゃんがあいつといる……(゚ω゚)

 前回お話しした鉄砲玉の現社長、もなかだ。恐れを知らない、もなかはせっかくゲートで区切った桃ちゃんの生活区域になぜか入りたがり、水換えだとかで出入りする人間の足元をすり抜けては、桃ちゃんエリアに入り込んだ。

にいちゃんが、あいつの前でおなかを……Σ('◉⌓◉’)

 挙げ句の果てには、腹は出すはお股はおっ広げるわ、まったりし始めるわ。

も「ぼくここがいい」

 心配げな顔でゲート越しに見つめるこばんの姿が、いつの間にか見られるようになっていた。相変わらず桃ちゃんが立ち上がったりする度にシャーシャーいってはいたけれど。

あいつ、なんもしない?大きいけど、なんもしない?

 この様子に、第二面接をOKをしていいのかどうか悩むところだったが、なんとなく第一次の方は結果的にOKだったらしいとわかったから、まあいいということにした。

 人間たちはなんとなくいい方向に進んでる気になって非常に明るかったのだが、このころ桃ちゃんが自分の存在に右往左往する人間たちと猫たちを見てどう思っていたのか考えると、少し複雑でもある。
 さてお次はお待ちかねの爆走トルネードアタック娘、黒猫の小梅が面接官の回でござい。

10 その猫、危険につきー採用面接 小梅編

 iPhoneは、優秀である。
 特に最近の型になるとそのカメラ機能やたるや、つい最近までiPhone7を死に絶えるまで使い尽くす所存だった私などは、その素晴らしさと値段に思わず悲鳴をあげたほどだ。
 価格は全くもって可愛くないが、カメラは鮮明で素晴らしい。だがしかし、その最高峰の技術を結集して作られたiPhoneでさえ……勝てなかった。
 それが当社が誇る爆弾娘、小さな黒猫の小梅である。

「キヒヒヒ」


 彼女のてってけてってってーと思わず効果音をつけたくなる軽快な小走りと丸顔の兄たちに繰り出す飛び蹴りは、iPhoneをもってしても単なる黒い残像にしかならなかったのだ。そしてそのうろちょろ動き回る危険な存在、小梅こそが桃ちゃん入社に際して最も危険視した存在だった。
 
 というわけで、ここで話さねばなるまい。
 小さな黒猫、小梅のお話を。

あたし、小梅。

 小梅との出会いは、2021年3月18日に初代社長うめが急逝した数ヶ月後。暖かくなったころのことだ。
 うめちゃんをお世話してくださったボイスオブアニマルズさん、そこでお世話になったFさんが数匹の子猫たちを投稿されていた。
 野良猫の黒猫母さんが産んだ、子猫たちだった。
 黒4匹にキジが1匹、全部で5匹。
 その時アップされていた画像に小梅がいたのか、正直のところ記憶にはない。当時の私は、うめちゃんの突然すぎる旅立ちに完全なるペットロスで、うめが帰ってくるならなんだってするがうちの子以外の猫のことはあまり考えられなかった。

 だがそれが、5匹いた子猫たちの奇妙な失踪と、そして受けた傷により話は予想外の展開になっていく。

 5匹いた兄弟たちは、1匹、また1匹と姿を消した。最初は野良の子猫に訪れる自然と環境の厳しさとも、思われた。辺りには車も走っているし、外で暮らす以上は病気にもかかる。子猫はカラスにも狙われるだろう。
 けれど、5匹いた兄弟たちが次々に姿を消して9月に1匹だけになった時にそれ、は明らかになった。
 1匹だけになった小さな黒猫は、血を流しながらFさんの前に姿を見せたのだ。1週間前まで一緒にいたキジの兄弟はおらず、1匹だけ。そしてその姿はただならぬことが起きたことを語っていた。

 右耳が切られ、体にも足にも切り傷があった。
 傷口から血を流していた姿。それも、真っ直ぐ直線に付けられた傷跡だと知った。

 耳も左はサクラ猫を意味するサクラカットだが、右耳は本来とんがった三角があるはずの部分がない。これも切り口は直線である。

奥が小梅。傷が癒えたころだが跡が生々しい。手前は母猫

 この子と兄弟たちはおそらく、人の手によって傷つけられたのだろうと推測するのに十分すぎる状況だった。
 たった1匹だけになった、黒猫。もしかしたら、目の前で兄弟猫が人の手で傷つけられるのを見たのかもしれない。もしかしたら……そんな悲しい推測はしたくなかったけれど、この写真と実際の傷を目の当たりにすると胸の奥が鉛を抱えたように重く苦しくなる。
 そして9月は傷を癒しながら過ぎてゆき、秋は足早に冬の気配をつれてきた。
 人に対して怖い思いをしただろうに、Fさんに甘えるようになったころ。この画像に目が釘付けになった。それがこの、ムッスー顔だ。

ムッスー

 当社の初代社長、うめはムッスー顔が基本だった。だからムッスーとした顔にひきつけられたのかもしれない。
 娘が、うめちゃんに似てると言った。

うめムッスー

 そうして再びニュースレターの取材として伺ったのだが、もはや懸命なる読者の皆様はお分かりだろう。そう、これはこばんちゃんの時と同じパターンなのだ。
 出会ってしまったが最後である。
 その日の夕方には、黒猫は我が家の2階にいたのだから、皆様の想像はきっと正しい。

最初の日。

 そしていわゆるトライアル期間が始まったのだが、小梅に関してはやたらと短縮されたと記憶している。それは切込隊長であるもなか二代目が2階のゲストルーム(和室)への侵入に成功し、なぜかほとんど喧嘩にならずビビリ番長こばんなどは威嚇しようとしたのにすり寄ってこられて狼狽える始末。
 さながら、転入生をからかってやろうと遠巻きに声をかけた男子生徒に向かっていきなり至近距離からアピールかましつつ、適度な距離感を維持できるスーパーコミュ力女子高生といったところか。そうしてチーム兄はやけにあっさり陥落した。
 残るは、そう。我が家の重鎮のんちゃんである。
 のんちゃんについていずれお話しするが、のんちゃんはうめちゃんと同じく保護猫出身で、保護されていたのはボイスオブアニマルズさんである。
 ある意味で関係があると言えばあるのだが、当猫同士は初対面であり、さらにはのんちゃんは3月にうめちゃんが亡くなってからというもの、すっかり元気なく過ごしていた。頑固さには磨きがかかったかもしれないが、食欲も落ちて遊びにも乗らず、最低限の食事とトイレ以外の時間はある場所に座り続けて過ごしていた。
 それは、うめちゃんが息を引き取った場所。
 まさか、猫がそんなのと思われるかもしれないが事実なのである。

のんちゃん、うめの最後の場所から動かない。

 そこにやってきた元気はつらつまだ0歳のピチピチJK、小梅。ばあちゃんとしては拒絶反応を示すだろうと想像していた。
 ところが----

てってけてってけ
ばーちゃんの後ろ
フォーメーション!

 小梅はうまいことやってのけた。というか、のんちゃんが小梅にシャー!と言ったのは最初の2、3回だけである。3年も一緒にいて未だに毎日シャーシャー言われながらかわし続けているこばんからしたら、信じられないアンビリバボーな状況だろう。
 もなか社長だってそうだ。いくら社長でも関係ない。のんちゃんは、相手が誰だってシャーシャー怒る。野良猫だって、宅配の人だって、家庭訪問の先生だって、誰だって気に入らなければシャー!! である。
 その、のんちゃんが叱らない。それどころか、すぐに一緒の部屋に落ち着いていられるようになった。そして小梅は必然のように、うめちゃんが抜けたあとにするるっと座った。
 非常に平和だった。
 その平和にやってきた黒船、ももこ。

 てってけてってけと小走りが基本のちょろちょろ動く小梅は、非常に危険だと思われた。なぜなら、前述の獣医さんにも犬舎のOさん、Fさんにも言われたが秋田犬は狩猟犬である。動くものには本能的に反応する。それが、獲物に手頃な大きさのがちょろちょろ動いていたら……というわけだ。

 果たして丸顔ブラザーズをあっさり陥落させ、重鎮のんちゃんをも黙らせた小梅は、対ももこにどう立ち向かうのか……?

 結果からいうと、判定できていない。ももこがうちに来てから約一年ほど経つのだが、いまだにこの2匹の関係は謎に満ちている。

 初めて小梅がももこの側に自ら寄って行ったのは、もなかの次だった。割と早い段階で好奇心いっぱいの顔で側に行くのだが、ももこが反応する前にどこかへ走り去ってしまう。その繰り返しをするうちに、ももこの方が近寄っていく姿が見られた。遊ぼうよ、というように鼻先でクンクン。
 小梅がどう捉えたかは知らないが、たったかたった〜と走り去ってゆき、ももこが少し追いかける。その繰り返しをいまだに続けているから、もしかするとももこに一番近いのは小梅なのかもしれない。

 年も近い女子ふたり、かわいいツーショットが撮れそうな気がするのだが、いかんせん小梅はちょろちょろすばしっこい。写真にいまいち撮りきる前にどっかへ行ってしまうので、この2枚くらいしか初期のツーショットがない。

あんた、だれよ。
食後のまったり

 これから少しずつこの2匹の写真が増えていくといいなぁと願うばかりだ。
 ともあれ、幼少期から幾度も困難にもめげずケロッとした顔で小走りに走る小梅のことだ、これは合格ということでいいのだろう。おそらく。

11  最終面接ーのん理事長の場合

 弊社には、ドンがいる。
 闇社会を牛耳るフィクサー並みに権力をもち、表に出る仕事は社長であるもなかに任せるが、いざとなったら全てをまるっと解決してしまう。
 まさに鶴の一声、いやのんちゃんのおしゃべりなのだ。

 なんのことですか? とお考えのあなた。まあちょっと聞いてください。
 これは全て通称で理事長と呼ばれている我が家の推定16歳の、ねこ。
 のんちゃんのことなのだ。

ドンである

 のんちゃんは推定9歳くらいの時に我が家にやってきた。コミュ力がなさすぎる上に攻撃性の高い、うめ初代社長に社会性を身につけてもらうことを願われて、やってきた。
 なぜ、のんちゃんなのかというと、うめちゃんがいたシェルターボイスオブアニマルズさんのHPを眺めていた時に見かけた、のんちゃんの顔に社員が「ビビッ」ときた。なんとなく、世話好きな気がする、そんな気がしただけなのだ。
 のんちゃんにしてみりゃ、迷惑千万な話だったかも……しれない。
 しかし社員の勘は意外にも当たっており、のんちゃんはものすごい逸材だった。私が人事担当者でのんちゃんが採用面接に来たら即採用するレベルである。

 何がすごいって、見極める力だ。
 のんちゃん、おそらく最初にうちに来て、うめを見て悟ったのだろう。
 こいつ、やばいぞと。
 なにしろうめちゃんと来たらいまだにボイスさん内では当時を知る方達の間で伝説化するほどのブチギレ猫だったのだ。噛むわ引っ掻くわ、コンビ技も炸裂するわ、という偉大なる暴れん坊だった。本当に手がつけられない酷いもので、ボイス時代にうめを病院に連れている必要がある際は、革手袋(猛禽類とかを扱う時のと同じ)が必須アイテムだったというからすごい。
 のんちゃんは、そのうめちゃんと仲良くなるまでに一年半も頑張った苦労人である。
 そしてその見極め力は素晴らしく、例えば庭に近所の外猫が来たとする。
 でっかい黒猫のオス、ヤマトくん(仮)だ。彼は飼い猫らしいのだが、月に一回くらいのペースでやってきては窓から我が家の中を覗き込み、猫たちを挑発して通り過ぎてゆく。でっぷりと油の乗った艶々の体躯と言い、負け知らずそうな顔といい、非常に私の好みではあるのだが、彼には帰る家がある。
 ヤマトくんの登場には、まず先発隊長のもなかがやいやいやいと名乗りをあげるが、いまだに子猫のような高音ボイスの上に迫力など皆無。勝負にならず、過ごすごと下がるが、だいたいその時後ろで耳をぺったんこにして様子を伺っていたこばんに尻がぶつかって内輪揉めが始まる。
 好奇心の権化、同じ黒猫の小梅だが、あんまり外の猫には興味がないらしくタワーの頂点から見下ろすのみだ。そうなると、若い猫たちトリオは完敗となる。
 ヤマトの勝ちか、なすすべもなく庭にシッコでもされて行かれるのを見送るしかないのか……なんたる屈辱……と思いきや、である。
 そこで登場するのが、のんちゃんなのだ。
 ゆっくり、非常にゆっくりとガニ股でサンルームに近づくと、非常によく通る「シャアアアアアアアッ!」をかましてくれる。
 この、のんちゃんのシャァァッはなぜか強い。あんなに小柄になったばあちゃん猫なのにと思うのだが、なぜか気迫のようなもので気おされてしまうのだ。

うめvsヤマトくん(仮)荷物を持たずにやってくるクロネコだ。


 そんなスーパーばあちゃんの特技はおしゃべり。
 のんちゃんは本当によく喋る。おまけに話し出したら相槌をうたないと「なおーーーぉ!(話聞いてんの!)」とお怒りにもなる。
 苦労人なのはうちに来る前からで、そもそもは野良猫だったのんちゃんが、「のんちゃん」と呼ばれある場所で餌をもらって生きていた。
 シャルターで過ごした期間も何年も、である。苦労に苦労を重ねてきた、のんちゃん。そこらの猫とは場数が違うのだ。
 だからさらに次から次に増える新人に対しても、ある時は寛容であり、ある時は厳しく躾をしてくれ、社員としてはこばんだの小梅だのを連れて帰ってしまっても「ま、のんちゃんがいるし」となんとなく最終的にはのんちゃん頼みになってしまっている。
 
 が、しかし。
 その新入りたちも、今までは同じ猫だった。
 今度は、大型犬だ。それも、秋田犬。

 のんちゃんは、というと。
 じーーーーーーっと面接の様子を観察していた。もなかに始まりこばん、小梅。3にゃんがそれぞれ対峙する様子をじーーーーーーっと、見ていた。

じーっ
じーっ
じーっ

 そして見てどうしたかというと……おそらくだが、理解したのだ。
 これはやたらにでかいが、同じ四つ足歩行の新人であると。
 またいつものように社員がなにかしらの理由で連れてきたのだと。
 さらには、またいつものように私がこいつに世間のありようを教えちゃらんにゃならん、ということも。

 そして最終面接の最終段階であろう、5月のある日。
 ももこは、掟を破ってしまった。
 それは、「のんちゃんの後ろに立つこと」。
 ゴルゴみたいだが、ゴルゴみたいなもんであるのんちゃんは、当たり前のようにシャアアアアアァッ!を炸裂した。
 体重およそ3キロ、小柄に縮んだ16歳のばあちゃん猫、のんちゃん。だがいまだに衰えを知らぬ気合いに満ちたフィクサー魂は、相手が大型犬だろうが熊を対峙する犬だろうが関係なかった。

の「うちの後ろに立ったらいけん!」🍑「ごみんなさい……」

 これが奇跡的に撮影できた一枚だが、日常の中に実はなんどかこんな場面を目撃した5月初旬。
 二周目になる頃には、こんな姿も見られるようになった。

🍑「ばあちゃんみずおいしいね」
の「びちゃびちゃにしたらいけんよ、みんながこまるけぇ」
の「うち、しつけにゃうるさいかもしれん」

 この姿を見て、社員としてはようやく胸を撫で下ろした……というか、のんちゃんならなんとかしてくれるだろう的なものもちょっとあったりしたのだが、最終面接合格とするに至ったのである。

 こうして晴れて弊社の幹部候補生となったももこ。
 この翌週には避妊手術という難関が待ち受けていたのだが……それはまた、次回。

🍑「ごうかくした〜!」

<番外編>不登校からの、娘が卒業しました

 ももちゃんがやってきた、翌月。娘は小学六年生になって初めての学校へ足を踏み入れた。本来の校区とは異なる小学校である。
 我々が住まう山口県防府市には特認校という制度がある。これは、さまざまな事情や理由で居住する地区の学校に行けない子供達が、通える学校だ。
 市内には向島、野島、富海と特認校は3校ある。
 5年生の二学期、完全な不登校になっていたあの、最も荒れていた嵐の最中に私は不出来ながら親としてなにができるのかと模索していた。
 その中で教育委員会の相談員の方々には本当に、本当に親身になっていただいて随分と助けていただいたのだが、その面談の最中にふと思い出したことがあった。
 それは、娘が一年生の時。
 学級崩壊していたそのとき、留守家庭学級(放課後の子供らを見てくれる)のY先生の言葉だった。
「先生がお手伝いしてる学校においでよ、みんなやさしいよ。同じ学年のふたりも、すごくいい子たちよ」
 娘はY先生が大好きで、私も大好きな先生だったから、この時の言葉はずっと胸の中にあったのだが、一年生の段階では決断することができなかった。
 あの時もしも決断していたら。娘の小学生活は全く別の、本当に楽しい6年間になったのかもしれないと思うと、やりきれない申し訳なさでいっぱいになる。
 ただあの時の私は当時の学校長たちの来年以降はこういった事態が起きないよう尽力する、という言葉を信じる気でいた。事実、次の2年生で担任になられたU先生は本当に、本当に素晴らしい先生でいまでも私は市の教育に関係する人にはことあるごとに素晴らしさを語るし、5年時に一緒に不登校になったYちゃんママとU先生の良さを褒め称えるほどだ。
 だが時間は流れてもうすぐ6年生という、5年の二学期。
 精神的にボロボロになっていた娘を交えた相談員さんとの面談で蘇ったのは、Y先生の言葉だった。
 ーーそうだ、特認校。もしも転校できるなら。
 その場で可能性はあるのかと尋ね、そこから話はトントンと進んでいった。
 娘には学校に行きたいという意思があり、できるなら学校で楽しく過ごしたいという強い気持ちがあった。
 学校の見学に、校長先生からのお話、説明に、手続き。転校の許可が送られてきたのは、年があけてしばらくだった。
 
 その小学校に、娘は4月から通い始めた。
 同級生は同じ6年生の二人と、5年生の男子が一人。広い教室に四人の生徒と、先生。全校生徒と教職員の数がほぼ同じ、この広くて伸びやかな場所はとても暖かく娘を迎え入れてくれた。
 車での送迎という大変さが加わったが、そこは実家の協力もいただきつつ、なんとか新しい生活がスタートである。ももちゃんも加わって、穏やかに楽しく……と思っていた。
 だがしかし。ことはそうすんなりとは進まない。
 直面したのは、悪夢の再来だった。

100年以上もここで見守ってきた桜

 再来した悪夢とは、文字通りの悪夢だった。
 娘は、明け方の眠りが浅い時間帯になると悪夢を繰り返し見るようになった。これもPTSDのなせる嫌な技らしいが、おかげで寝起きどころか起きることが困難になってしまった。
 主に見る夢は、死ねと言われた時のこと、いうことを聞かなければお前は不幸になると言った女子のこと、そんなことらしい。
 嫌な記憶は忘れて仕舞えばいいのだが、焼きついてしまったものはそう簡単には消えてくれない。学校まで行けば、毎日がとても楽しいと笑顔になるのだが、朝が来ると再び暗く沈み込む。
 その毎日を繰り返した。おかげで、なかなか朝の支度が早くできず、本来登校すべき時間にはなかなか間に合うこともできない。私は娘を送ってから防府北基地に(余談だが、私は航空学生の英語を教えている)授業開始のせめて10〜15分前には辿り着かねばならない。
 おまけに小学校から北基地に向かう道は、巨大車メーカーとタイヤメーカーの通勤ラッシュにあたりめっちゃくちゃに混む。
 毎朝が、冷や汗ものだった。
 これを書いている昨日、娘は無事に卒業できたので今だから言えることだが、本当に間に合ったことが奇跡の連続だったと言える日々だった。

 唯一の、というよりも最大の救いは担任のF先生だった。
 遅れてもいいですよー、気をつけてきてくださーい、と明るくいってくれるのが本当に、本当に、どんなにありがたかったか。
 そうして春は夏に向かい、娘たちは修学旅行へと旅立つことができた。校長先生と、担任のF先生と、同級生の三人と。六人だけの修学旅行は、広島へ。原爆ドームへゆき、宮島へゆき、カープの試合を観戦し、コロナ禍になってから初めての新幹線に乗って楽しい時間を過ごしてきた。
 笑顔満点で帰宅して、旅の話を聞かせてくれた。
 半年前には自室から出ることができずに暴れていたとは……とても思えないほどの眩しい笑顔。
 土日には、ももちゃんと一緒に二人と1匹で散歩できるようになった。誰かに会うことも恐れず、歩けるようになった。
 外出も、買い物も、ごく当たり前のようにできるようになった。
 ももこと出会って外へと出て、新たな学校で多くの人にあたたかく支えられ、ようやく娘は繰り返す悪夢と付き合いながらも前へと進もうとし始めた、そんな5月の頃。
 犬が、大型犬が、秋田犬が好きというF先生が、家庭訪問に来られることになった。犬好きな人はわかるらしく、桃ちゃんは基本的に嫌がらないし、(嫌いな人は徹底的に吠えまくるが)F先生は前述のようにとても朗らかで優しい。
 これは桃ちゃんと触れ合っていただこう、と娘と一緒にF先生のお越しを心待ちにしていた。

 の、だが。
 F先生、普段はとっても朗らかで優しい先生なのだ。
 だがそれは、秘めたる情熱をそこそこオブラートに包まれていたらしく……
「きゃあああああかわいいいいいいいいい!!!!ももちゃん!? ももちゃん!?いやあああかわいいい!!!」
 勢いよく満面の笑顔でこられたももこは、びびってしまった。
「ウォッウォツ! ウォウォウォウォウォ!!!!(なんだなんだ、いきなり来るのなにあなたなんなのなんなの!!)」
 威嚇しながら後ろに飛びながら下がってしまった。
 ももちゃん、嫌な時は後ろに飛ぶのだ。ゴミ置き場のステンレスのボックスとか、大きな音のする重機とか、キャンキャン吠える小型犬とか、なんかもう、びびってしまうのだ。
 そして後ろに飛び下がったももこに相手の印象を変えるのは、もう無理である。無理じゃないのかもしれないが、相当何度も根気よく会って印象を修正していく必要がある。
 あんなに大好きだとオーラからもう表現してくれているのに、ももこにとってF先生は完全に要注意人物となってしまった。本当に、申し訳ない気持ちでいっぱいである。
 そしてその後、再び遭遇した時も同じことを繰り返してしまい、全く変化なく要注意人物のままなのだ。
 いつか、ももちゃんが忘れた頃にそっと再会して触れ合っていただきたいと、心から願っている。

 なにがともあれ、この小学校に限らずだがこの防府市の特認校制度は娘に通学できる環境を再び与えてくれた。そして、1年間でそれまでの時間を取り戻すように同級生と大騒ぎをし、先生に叱られ、下級生たちと遊び、行事にあたふたしたり、給食を堪能したりした。
 ここに書き記しても読まれることはないのかもしれないが、教育委員会相談員として最後まで親身になってくださったO先生、2年時のU先生、5年時の担任S先生、校長先生、教頭先生、留守家庭のY先生、転校先の小学校の先生方、F先生。同級生の3人とお母さん方。土地のこともまるでわかっていない親子に暖かく接してくださったこと、感謝感謝です。
 そして、防府市教育委員会の方々。一人の小学生を、卒業まで導いていただき心から感謝いたします。
 本当にありがとうございました。


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