#お菓子にまつわるエトセトラ -かぼちゃのパウンドケーキ-
「ほら、ちよちゃん! この電子レンジはどう?」
「あー……。でもこれって温め機能だけでしょ? オーブンレンジがいいのよねぇ」
すると彼女は怪訝な顔をした。
「オーブンレンジ? オーブンなんて使う?」
「だってほら、急にグラタン食べたい! ってなったときに電子レンジだけだったらグラタン食べられないでしょ?」
「ちよちゃん、グラタン買おう?」
「いや、急にケーキが焼きたくなったときに焼けないじゃん!」
「ちよちゃん、ケーキ買おう?」
私はこのとき、彼女との間に埋めることのできない溝が見えたような気がした。
8月のことである。私は同期である彼女と家電屋に来ていた。
いくつか家電を新調するのだけれど、店員と話すのが苦手で……という話をしていたところ、じゃあ一緒についていく! と言ってくれたのがきっかけだ。確かに彼女は社交的で誰とでもすぐ打ち解けて話せる。心強い味方ができた。そう思った。
そしてそれは紛れもない事実であったことを店頭で思い知った。
彼女はパンフレットを以て店員と交渉を行い、店頭に置いていない型落ち商品を引き出してきてくれたのだ。スペックは店頭にならんでいるものと遜色はなく、十分満足のいくものだった。しかし彼女はそこから価格交渉までやってのけたのだ……!
入社した頃から仕事への取り組みや考え方など、彼女には助けられてばかりだ。いつも頭が下がる。どうしてこんなに私によくしてくれるのだろうと疑問に思って聞いてみると、「ちよちゃんには辛いとき助けてもらったから」と言ってくれた。自分では全く役に立った覚えがないが我々は知らないところでお互いを助け合っているのかもしれない。
しかし、オーブンレンジのこととなると話は別だ。
「オーブン機能はいらない。絶対に使わないよ!」
「いーや。ここは譲れん!」
何度か問答を繰り返した後、彼女は折れた。私は赤いオーブレンジをゲットした。財布は私が握っているのだから当然の結果なのだが。
「じゃあちよちゃん、落ち着いたらこのオーブンでグラタン焼いてよ? グラタンパーティーしよう」
「わかった。責任持って焼いたげる」
そう返事をし、オーブンレンジが我が家にやってきてから約2ヶ月。私は未だにオーブン機能を使用したことは無かった。言い訳をすると、忙しかった。土日もだいたい家にいないことが多かったし、平日、仕事が終わってからグラタンを作る元気なんてない。
だけど10月22日は休みだった。休みだということを1週間ほど前まで気づいていなかったため、珍しく何の予定も入っていなかった。
21日の帰り道、「明日は何をしようか」と電車の中で考える。久しぶりに手の込んだご飯でも作ろうか。冷蔵庫には何があったかな。私の思考は「食」へ走りがちだ。
ーかぼちゃのスープが食べたい。
ふいにそう思った。と同時に頭の中に浮かんだのは彼女だった。
私と同じく“芋栗南京”好きの彼女に以前、「かぼちゃのスープを作りたい」という話をしたからだ。
「かぼちゃのスープ? ちよちゃん家、フードプロセッサーかミキサーあるの?」
「ううん。それを使わなくてもスープができるレシピ、見つけたの」
「じゃあ上手くできたらグラタンパーティーのときのスープにしてよ」
そういえば、グラタンパーティーはいつ開催しようか。いや、その前にオーブンでなにかを作ってみた方がいいかもしれない。丁度、明日はいい機会ではないか!
そこまで考えてふと、1つのアイデアを思いついた。
彼女の誕生日は今週の木曜日だ。既に誕生日プレゼントは購入しているがせっかくだからオーブンで日頃の感謝を込めてケーキを焼いてみるのはどうだろう。なかなかいい案に思えたため、即決で行動に移した。
帰り道、パウンドケーキ型とふるい、マッシャーを購入した後、スーパーへと向かった。野菜コーナーで鮮やかな黄色いかぼちゃを手に取る。次に普段は行かない製菓コーナーにてベーキングパウダーと薄力粉を購入。携帯電話を片手に店内をうろつき、必要な材料をどんどんかごへ入れていった。
そして今日。「パウンドケーキを作る」という使命感から目が覚めた。
良い目覚めだ。
朝ごはんを食べ、早速ケーキ作りに着手した。
オーブンレンジを予熱している間に、大きなボウルにマッシュしたかぼちゃ、バター、卵、クリームチーズ、砂糖、ベーキングパウダー、薄力粉を次々に投入していく。少しずつ右手に生地の重さを感じるこの感覚が懐かしい。お菓子を作ったのなんていつぶりだろうか。実家を出てから一度も作っていないためもう……3年以上前になる。
そうこうしている間にオーブンレンジの予熱が終わった。
170℃に熱された扉を開けると、独特の香りがする。今から焼くぞというオーブンレンジの心意気を存分に感じた私は黒い天板の中心に生地を流し込んだ型をゆっくりと入れ、扉を閉めた。
待つこと25分。
オーブンレンジが私を呼んだ。
目の前にはふっくらと膨らんだパウンドケーキ。取り出してナイフを刺してみると……中は生焼け。残念。ただ、このちょっとした「がっかり」は、お菓子作りによくあること。レシピとオーブンレンジの相性によって焼き時間が異なるのだ。
めげることなく同じ温度で5分、加熱を繰り返すこと2回。
ついにかぼちゃのパウンドケーキが完成した!
パウンドケーキは焼き上がりよりも一日置いた方が味が落ち着いてしっとりとして美味しい。だけど、焼き立てが食べられるのは作り手の特権。右端の形が崩れているところを切って、味見をしてみた。
ほわほわの生地は口の中で湯気を発し、幸福感で満たしてくれる。その後に来るかぼちゃの甘味。噛む度に耳の奥の方でシュワっという音が聞こえる。もう少し食べたいという欲が出てくるのをぐっとこらえ、パウンドケーキの粗熱が取れるのを待つ。
粗熱が取れたケーキはカットし、一つずつ丁寧にラップで包む。一番大きくて綺麗な真ん中の2切れを選び、彼女に向けてラッピングを行った。
明日の朝、ケーキを彼女に持っていったとき、彼女はどんな顔をするだろうか。小さめの口を卵型に大きく開けて固まった後、優しい笑顔を私に向けてくれるだろうか。彼女のリアクションを想像しながら、付箋に簡単なメッセージをしたためた。
プレ HAPPY BIRTHDAY♡
これがオーブンレンジの力です!