見出し画像

【掌編小説】線香花火

はっと目が覚めた。ゆっくり、視界と現実が結びついていく。体全体がじっとりと汗で湿っていた。嫌な夢を見た。

日中、窓から降り注いでいた光の筋は今はもうなくて、同じ場所に目をやると、濃藍色の空に変わっていた。時刻は午後7時を10分ほど過ぎていた。遅刻だ。

枕元の携帯電話を手に取り、奈津の名前を探して電話をかけた。

――もしもし? 谷上?
――ごめん、奈津。今起きた。
――えーまじか。もう俺10分くらい待ってるんですけど。
――だからごめんって。あと15分くらいでつく。急いでいくから。
――うん、まぁいいよ。谷上が遅刻するなんて珍しいから許ーす。誘ったの、俺だし。
――ごめんね。じゃ、またあとで。

はいはーい、という声は耳から話した携帯から聞こえた。急ぎ足で洗面所へ行き、顔を洗う。鏡を見ること数秒。夜だけど一応、軽く化粧をしていこう。
昨日洗濯したロングワンピースを被って髪を一つに結び、少し大ぶりのガラスドームでできたピアスをつける。残暑にぴったりな気がした。
使い慣れた小さなバッグを手に取り、履き慣れたスニーカーに足を入れて私は家を飛び出した。

家から駅まで徒歩五分の見慣れた景色がいつもより速く動いている。想定以上に早く到着できそうだ。

駅の改札へと続く最後の角を曲がると、自販機に持たれて携帯電話に目を落としている奈津がいた。特段、おしゃれというわけではないのに全体のバランスがいいのは相変わらずの奈津。手にはスーパーのビニール袋らしいものを提げている。
「ごめん、遅れた」
息を整えながら謝る私を見た奈津は待たされた感なんて全く無かった。
「おー、意外と早かった。じゃ、いこっか」
そう言ってゆっくりと歩き始めた。
二人でいる時のいつもの歩くペース。私にとって丁度よいペース。

私の家から駅を挟んで向こう側へ歩くこと10分。そこには小規模な浜がある。今日は奈津と、花火をする。

先週末、突然、奈津から電話がかかってきた。
――なぁ、谷上。今年、花火した?
――してないけど。急だねぇ。
――俺もしてないんよ、花火。だから来週、花火大会しようと思ってんだけど、一緒にどう? 
奈津はいつもタイミングが良い。なんなら、私のことを見張っているんじゃないかと思うくらいに。電話があったときもそうだった。

夏のセール品を漁りに街に出ていた私は偶然、入社した頃から大好きだった八重樫先輩に遭遇した。素敵な彼女とデート中の八重樫先輩に。

彼女がいるのは薄々勘付いていたけれど、二人の雰囲気を見て“入る隙間なんてない”と直感で感じた。漂う空気が、無言で私に語りかけていた。そこからは買い物をする気にもなれず、家に帰ってすぐに寝た。視覚から入ってきた情報は想像以上に強烈で、私の脳がそこに勝手な妄想をつける。夢で会える日は増えたけれど辛い夢ばかりで毎日少しずつ胸が締め付けられていった。

奈津が電話をくれたのはそんな頃だった。迷惑だ、申し訳ない、といった感情が浮かぶより先に返事をしていた。
――いく。

夜8時前の浜辺。人はまばらであるものの、花火をしている人たちも何組かいた。先を越された、なんて少し悔しそうにつぶやきながら奈津が近くに水を汲みに行った。その間に私はパックされた花火を開けていく。開けていて気づいた。2/3が線香花火だった。

「奈津ってさ……線香花火が好きなの?」
「え? 花火といえば線香花火じゃないの?」
と目を丸くしながら奈津が言う。
「なんかこう、シューっていうやつとか派手なやつとか、色々売ってなかった? そこ」
私は奈津が買ってきてくれた花火が入っていた袋を指していった。夏の初めにその店に行った時、花火の種類がたくさんあって驚いたのを覚えていたからだ。
「うーん。あったかもしれない。でも、女子、線香花火好きでしょ」
「人によるんじゃない?」
「まじか。谷上は?」
私はどちらかというとシューッと金色の光が出る花火が好きだった。といっても、子供の頃以来、手持ち花火なんてしたことがなかったから今はまた感じ方が変わっているのかもしれない。だから、奈津に気を遣った。
「私は……なんでも」
「そか。よかった」

奈津が、花火に火を付ける。勢いよく、金色の光が吹き出す。
「ん」
手渡された花火は煙を発しながら次第に色を変え、勢いを弱らせて数十秒で消えていく。派手な花火を最初に使い切った頃、奈津が口を開いた。
「……気分転換になった?」
「うん。ありがと」
どこかから何かを聞いたのか、聡い奈津なりに何かを感じ取ったのか。どこまで知っているのかはわからないけれど、気遣いからの花火だったのかもしれない。今まで忘れていた八重樫先輩と遭遇したときの景色が一気に蘇ってきた。また胸が、苦しくなる。

奈津はいよいよ、線香花火を取り出して、火をつけた。
「思い切って進んでみるってもの一つの手」
線香花火が一つ、手渡される。
「やめちゃうってのも一つの手」
線香花火がもう一つ、手渡される。
小さく紅緋色をした赤い玉が次第に黄色くなり、微かにチチチチチと音を立てる。細い火花が、弾けだし、散っていく。

「谷上。泣いてる?」
奈津の問いかけに私は黙って首を振った。両手は塞がっていてどうにもならなかった。音の勢いは弱まり、ポタっと落ちたのは花火が先か、涙が先かはわからなかった。
「自分で消火して、エコだな、谷上は」
奈津が少し丸めの親指で私の左目の涙袋のあたりを拭う。

「はい」
線香花火がまた一つ、手渡された。
「これが、俺の手」
「……奈津、散っちゃうじゃん」
私が笑いながら言うと奈津は照れくさそうな顔をした。
「比、喩、だ」
「ご、め、ん」
「今日、奈津に謝ってばっかだね。……ありがと」
「まだまだ線香花火のご用意がございます。ご入用でしたら私共一同にお申し付けください」
奈津は自分の手に持った線香花火を見つめながらまるで、機械のように棒読みでそう言った。
「一同って奈津……一人じゃないんだ」
「はい、左様でございます」

それから、なんだか少しへんてこな設定を演じ続ける奈津“一同”とともに、私は線香花火を心行くまで楽しんだ。

* - * - * - *

百瀬七海さんのサークル、「25時のおもちゃ箱」に参加しています。
こちらの掌編小説は8月のテーマ、「花火」から考えたものです。(裏設定としてaikoの『花火』から部分部分を拝借しました。)


いただいたサポートを糧に、更に大きくなれるよう日々精進いたします(*^^*)