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正しさより、豊かさでいきる

ふと、思い出すと

なーんか、しんどいなぁ、とおもっていた

こどものわたしは

両親や、祖父母や、担任や、その他の先生や、、、
いろんな「大人」を、ジャッジしまくっていた。


この大人の言うことは正しい

この大人は言っていることがおかしい

この大人は、チョロい、、、

この大人は、嘘が多い、、、


と。
こどものわたし、が信じる「正しさ」というフィルターで
「大人」をジャッジしまくっていた。


この大人は信用できない
と思うと、口は聞かず、無視を決め込み、、、


まぁ、イヤなこどもだったろう。


こどもの世界の
せせこましい「正しさ」に
囚われていたわけで


せまっくるしい「正しさ」に
ハマらない大人は否定する。


そりゃ、「しんどく」なるのは当たり前だ。


こどもの価値観と
おとなの価値観は
全く違う


世界は大人の価値観でできていたから
こどもの価値観では太刀打ちできない。


ということに
こどものわたしは、気が付かなかったのか

気が付かないフリをして、
ただ反発していたのか。


こどもの価値観で
大人をジャッジして
大人の世界を否定する。


生きづらいに決まっている。
だから、はやく、大人になりたいと思った。


大人になりたいというより
ジリツしたいと思っていた。


まぁまぁ、しんどかったよ。
よくがんばったとおもう。


だけれど、そんな日々を過ごしたことで
いま、こどもに接するときに


この子はどんな価値観で世界をみているんだろう。


という視点が持てる。
こどもは、こどもにしか持てない
価値観をもっていることを
痛いほど知っている。


その視点を持てることに
しんどかった、こどものわたしに
拍手を送る。


感謝しかない。


ある日。


「サバカズ」


ということばが、わたしの元にやってきた。


「サバカズ」


とても、よい。


正しいか、正しくないか
は、問題ではない。


そのこころは
豊かですか?


こころは、よろこんでいますか?


こどものわたしに言っても
聞かなかったかもしれないけれど。



ジャッジしそうになったときに
そう問う。


正しいか正しくないか
ではなく
豊かなのか、そうでないのか。


こころがまろやかになるのか
そうでないのか。


サバカズサバカズサバカズ


と呪文して
なにをジャッジしたくなったのか
そのこころは?


と問う。


いわずもがな
ぜんぶ、じぶんに還ってくる。



正しさより
豊かさを選べる
じぶんであれ。


と。
稽古の真っ最中。

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