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36.ホッと一息つける割烹屋

週に 1 度、大阪府の北浜にある割烹屋「杉風料理すぎはら」にて 17 時半 から 22 時までアルバイトをしている。以下は筆者が体験した、とある日の割烹屋の様子を記述したものである。この何気ない 1 日を記述することにより、常連客たちが見せる「ホッと一息」つく様子がどうしてこの店で生まれるのか、「ホッと一息」つける空間をつくる秘訣とは何なのか、を考えた。

※2年半前、大学で課されたエスノグラフィーの一環として、大好きなアルバイト先『すぎはら』について描いたものです。

割烹屋「杉風料理すぎはら」とは?

この割烹屋は、気の良いご夫婦二人で営んでいるアットホームでこじんまりとした店であるが、8割方席が埋まるほど毎日盛況だ。ビジネス街にあるだけあって、家庭料理を中々 食べられない単身赴任中のサラリーマンや、ほっと一息つこうと店にやってくる仕事人が 多い。ご夫婦二人のお人柄、濃すぎない味付けの料理故か、リピーターが非常に多い。

仕事前のほっこりおやつタイム

店に着くと、店内で料理の仕込みをしていたケンさんと、毎日書き変えるメニューを書い ている最中のアケミさんがあたたかい笑顔で「今日もよろしくね。」といつものように迎え てくれた。挨拶をした後、エプロンを着け、改めて「今日もよろしくお願いします。」とご 夫婦に言うと、いつものように以前お客さんから頂いたお菓子の数々を食べないかと勧め てくれた。いつも店で使っている薄いピンクのゆのみに生暖かいウーロン茶を入れ、その ウーロン茶と、勧めてくれたお菓子のうちのバームクーヘンと羽二重餅を頂いた。その後、 始業時間の17時半からすでに4分ほど経っていたが、まだお客さんが来ていないからと、焼き立ての安納芋の焼き芋をくれた。わざわざ奈良などやや遠方まで毎週買い出しに行っているだけあって、ここのお店の野菜や果物は本当に新鮮でおいしい。今回の安納芋も例 にもれず、甘みがしっかりあり、かつ、ほくほくで今まで食べた焼き芋の中で一番のおいしさだった。

仕事スタート

焼き芋を食べ終えると、ケンさんが仕込みで使った鍋や菜箸などの洗い物をした。
カウンターには、ほうれん草の和え物やツルムラサキのお浸し、ひじき、おから、里芋の 煮つけなどのお番菜に加え、スペアリブの煮込み料理や落花生などのお酒のアテも並んで いる。

お客さんが来ない・・・

いつもなら18時前には何人か来るはずのお客さんが今日はなぜか一人も来なかった。

やることもなかったので、お店が毎年お客さんに出している年賀状の住所を手書きで書くお手伝いを奥さんのアケミさんとしていた。沢山の名刺が入ったファイルの中から、今年書く必要のあるお客さんをファイルの見開き1ページが終わるごとにアケミさんから指示を 受けながら書き進めていった。縦書きは普段しないので、ガタガタになってしまったが、 枚数を重ねるごとにそのガタガタは解消されていった。

そして、20時をまわってもお客さんは一人も来なかった。私がこの店でアルバイトをさせていただくことになってから初めてのことだった。

お店のオレンジ色に近い暖かい照明と、暖かい暖房のせいか、私は頭がぼんやりしていた。

ちょうどそんなとき、以前別のアルバイトの子がオーストリア旅行のお土産として持ってきたカモミールティーをケンさん が淹れてくれた。枝豆茶のような香りがほんのりしたそのお茶のおかげで、ケンさん、ア ケミさん、私の眠気を拭い去らせると同時にリラックスさせてくれた。

ついに・・・!

カモミール茶でゆったりとしていたところに、突然「こんばんはーーー!!」と威勢の良 い声で中年のガタイの良いサラリーマンが入ってきた。そのサラリーマンに続いてぞろぞ ろと店内へ 15,6人ほどの客が入ってきた。

がらーんとした店内が突然賑やいだ。急いで人数分のおしぼりとコースターを用意した後、お付き出しを急いでセットした。

このサラリーマンは店の常連客で、週に一回しかこの店にバイトしに来ない私でさえ、何度もお会いしているので、かなりの回数を通ってくれているはずだ。

二次会の場として来たらしく、すでにできあがっている人が何人もいた。 

いつもの常連客が「大吟醸 2 升出してー!」と威勢よく言った。すでに出来上がっている人が何人もいる中で「まだ呑むのか。この状態でもまだ更に呑めるってすごいな。」と思った。

海外事業担当の方々らしく、海外の方との接待で呑み慣れている人が多いため、お酒に強いと伺ったことがあるが、それにしてもこの状態でまだ二升瓶呑むのは凄い。

豪快な酔っ払い客たち

お酒の空いたグラスを探し、ひたすらお注ぎする作業をしばらく続けた。酔っぱらったお客さんに「大学でどんなことしてるの?」と質問され、「ミャンマーのビルマ語を勉強して います。」と答えると、恒例の非常に驚いた反応が返ってくる。最近ではその驚かれる反応を楽しんでいるくらいだ。

カウンターは横に長く、常連客である B さんは一番奥にいた。この人の周りにいる人はみ んな呑まされまくり、かなり酔っぱらっていたので、この人から離れた表の戸側にはこれ 以上酔わないよう自制している人が集まっていた。

奥では豪快に呑む人ばかり、表では自分のペースで平和的に呑む人ばかり、でカウンターの中央に立っていた私はその温度差を 見るのを楽しんでいた。

少ししてから、近江牛の握りずしができたため、3人で1つのお皿をつつくくらいの配分でお料理をお出しした。大吟醸に近江牛の炙り寿司、さぞかし合う だろうな、と思いながらおいしそうに食べるお客さんを眺めていた。

奥に座っていたお客さんの一人が酔っぱらった勢いでバシャっとグラスに入っていたお酒をこぼしてしまった。一昨日にアルバイト全員が集まり、お店のご夫婦と共に、店中の大掃除をしたばかりだったので、あちゃー・・・と思っていると、隣でアケミさんもあちゃ ー・・・というような表情を浮かべていた。

その後も酔っぱらった勢いで床にお酒をこぼす、というような出来事が何度も起きたので、これはまた大掃除をしなければ・・・と少 し気が重くなったが、楽しそうにしているお客さんを見て、そのような気持ちは少し薄れた。

幸せなまかない時間

てんやわんやしているうちに、業務終了の 22 時を迎え、いつものようにおいしいまかない をいただく時間になった。

カウンターにはお客さんがびっしり座っていたため、私は奥の お座敷スペースでまかないをいただくことにした。

今日のまかないは、ぶりの照り焼き、 豚の塩コショウ焼き、お晩菜の盛り合わせ、お刺身、トマトすき焼き、ごはん、納豆だっ た。

いつもバイトの分際でこんなにも豪華なまかないをいただいて申し訳ない気分になる が、本当においしい。なんだかんだで 17 時半~22 時の労働は結構疲れるのだが、その疲れ が吹っ飛ぶくらいおいしい。

カウンターに座っているお客さんが、私のまかないが豪華でおいしそうだとアケミさんに 言いながら、うらやましそうにこちらを見てくる。まかないをいただく時間になってお客さんがまだいらっしゃる日は多々あるが、こんなに大人数のお客さんがいる状態でまかな いを食べることは結構珍しいので、面白い光景だなぁと思いながら、味わって食べた。

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以上がある日の割烹屋の一日だ。このように、この店の夫婦はただのアルバイトに対してお菓子を食べさせてくれたり、栄養満点ボリュームたっぷりの豪勢なまかないを用意して くれるなど、客商売とは関係のないところでも気の良いところからもこの夫婦のお人柄の 良さが伺える。

他にもこのお二人のお人柄を感じることが沢山ある。この店は一日に一人 しかアルバイトを付けないため、現在4人でまわしているアルバイト同士が店の中で顔を 合わせることは基本的にない。このバイトはそもそも紹介制なのでそのアルバイト同士が 全く面識が無いというわけではないが、私たちアルバイトの親交を深める場も兼ねて、それぞれの誕生日の近辺にケンさんアケミさんチョイスの美味しいお料理を出すお店に連れ て行ってくださる。しかもその食事代は全部ご夫婦持ちなのだ。

他にも、私の両親が客と してこの店に来た時も高いお酒を母が沢山呑んだにも関わらず、お会計の際に「ちよちゃ ん(アルバイト)のご両親なのでお代はいりませんよ。」とにこやかに、でもきっぱりとご夫婦から言われたそうだ。よくよく聞けば、ほかのアルバイトのご両親が来られた時も同 じ理由でお代はもらっていないらしい。実をいうと、このように懐が深すぎては利益をき ちんと得ているのか僭越ながら少し心配になったこともある。

しかし、その懐の深さ、お人柄の良さ故に人脈を広げているのも確かだ。この店が開店した当初は平社員だった人々 が20年以上経ち、会社の重要なポストに就任し、取引先のお偉いさんを店に連れてくる ことが多々あるからだ。実際、常連客の一人から「この店は昔から客筋を掴むのが上手い。」という言葉を聞いたことがある。

昨今の合理主義とは異なるものを、このお二人のもとで アルバイトをさせていただくようになってから肌で感じた。「情けは人のためならず」情けを人にかけておけば、巡り巡って自分によい報いが来るということ[大辞林]を実感する。

ほかにもこの店の魅力は沢山ある。
いつだろうか。30代前半に見えるカップルが「すぎはらさんの料理はいつもおいしいわぁ。ちょうどいい頃合いの味付けっていうか。」とポロッと言ったことに対して、アケミさ んが「濃い味付けのほうがおいしく感じるんです。でもうちの主人がいつも言ってるんで すけどね、濃い味付けは毎日食べると飽きてくるでしょう。うちの料理は少し薄めですが、 毎日食べても飽きひんくらいの味付けにしてるんです。」と答えていた。
「毎日食べても飽きない」料理、味付け。これがすぎはらのどこか「ホッとする」味の秘訣なのだと思う。
しかし、「ホッとする料理」は一見パンチに欠け、地味に見えるかもしれない。が、それは 違う。ケンさんの作る料理はひとつひとつの工程がとても丁寧なのだ。例えば、ハモのお 刺身を用意するとき、丁寧に丁寧に骨を取り、余分な部分は過不足なく綺麗に切り落とす。 卵焼きは丁寧に丁寧に巻き、三角柱型の完成形は本当に美しい。こうして作られた料理は、 どんな派手な料理にも劣らず、究極の料理だと私は思っている。

そしてアケミさんのトーク力。ケンさんが作る料理の盛り付けやその他様々なことをこな しながら、カウンターに座る客の相手をしているのだが、返しが本当に上手なのだ。作業をしながら客の話を聞いているはずなのに、どれもきちんと頭に入っており、その会話の キャッチボールも長々と返すのではなく、要点を押さえたものをバシッと返す。しかもそ れがアケミさんの天然っぽさが少しはいったものなので非常に面白いのだ。私もカウンタ ーのお客さんとお話しさせていただくことが度々あるのだが、頭の回転の遅さと経験値の差故か、アケミさんほどの返しができるようになるまでには相当の時間がかかりそうだ。

また、店内はラジオ、有線、音楽をかけていない。このことを以前、常連客の一人が指摘 していた。その人曰く、このことは「おしゃべりが弾む空間」を作るのに良い影響をもた らしているそうだ。最近食事中もテレビをつけたままにしておく家庭が増えており、テレ ビがついていると必然的にそちらに集中してしまう。そのことが家庭の会話減少、家族間 のつながりが弱くなることを助長させているとその客言っていた。確かにその通りだと思 った。この店では、いつも会話が絶えない。一人で来ている客も近くに座る客と話したり、 アケミさんを交えて楽しくおしゃべりをしている光景をよく目にする。
だが、それ以外に もラジオ、有線、音楽をかけない理由はあったようだ。その客が褒め称えているとき、ケ ンさんが苦笑いをしながら本音をぽつりと漏らした。それは、個性豊かな客が多いすぎは らでは、お客の好みがそれぞれあり、例えばラジオをかけるにしても、野球好きな客から は野球の中継をしているチャンネルに変えてほしいだの、音楽好きな客からは違う音楽に してほしいだのそれぞれの好みのぶつかり合いになり、大変なことになるのが目に見えて いるからだという。客にさえも、苦笑いをしながらも素直な理由をいうところがケンさんらしいなと思う。

穏やかな性格ではあるが、常におっとりのんびりしているわけではない。
お客さんから「『杉風料理』ってなに?」と聞かれることが度々ある。そうすると、アケミ さんが「うち、主人が『すぎはら』って名前なんですけどね、その『すぎはら』の杉から、 『杉風(さんぷう)料理』って名前を付けてるんです。つまり、すぎはら風料理、うちの 主人の料理って意味です。」と朗らかに答える。確か、商標登録もしてあるとうっすら聞いたような記憶がある。
ただの和食、ただの割烹料理ではない、世界に一つだけの、ケンさ んが作る『杉風料理』。確かな芯、プライドをもって、お二人はいつも店に立たれているの だと思った。穏やかさはそのままに、たまに見え隠れする芯の強さがお二人の素晴らしい ところであり、一代で 30 年近く続くこの店の魅力なのだと思う。

このように、ケンさんの丁寧な「毎日食べても飽きない」料理、アケミさんのトーク力、 お二人の懐の深さ、話が弾む空間、そして確かな芯の強さ・・・それぞれが相互作用を及 ぼし、「ホッと一息」つける割烹屋「杉風料理すぎはら」の今があるのだと改めて感じた。

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