[コラム] 21トリソミーの息子と、自分中心に世界を回している娘と共に
「子どもに教えられたこと」というお題が募集されているので書いてみようと思う。
(ちなみに、この話題からこの記事を見てくれた人にお伝えしておくと、これは普段、SFばっかり書いているアカウントです。)
◇ ◇ ◇
2016年の11月。私は第一子となる、男の子を出産した。
初めての出産なので、わが子を胸に抱いたらどんな気持ちかしら? どんなことを言ってあげようかしら? とか事前にいろいろ妄想していたわけなんだけど、想像をはるかに超えてくるのが世の常であり。
産まれたばかりの息子は、「なーっ」とかわいい声を出して泣いたと思ったら、そのまま助産師さんたちに連れていかれて、私の胸にはやって来なかった。
その後、私が彼をこの胸に抱いたのは1週間も後になった。
生まれたばかりの息子はケースに入れられて、いろいろなコードが付けられていた。
小児科の先生の話では、息子の心臓には穴が空いていて、それで産まれたときに低酸素状態になっていたとのことだった。
息子が入っているケースの中は地球よりも酸素が濃い環境になっていて、いろいろ付いているコードは、心電図を取るものと、血中酸素濃度を測るものだった。
そして、先生は言った。
「息子さんはダウン症だと思います。」
ダウン症。もちろん「ダウン症」というものは知っていた。遺伝子疾患のひとつで、時々街で見かける可愛らしい人たち、というくらいの認識だったけど。
高齢出産なので、可能性が高いこともわかっていた。(出生前検査はしない派)
ああ、ダウン症だったのかぁ。
意外とあっさり受け止める私たち。
「みんな違ってみんな良い」をモットーに生きてきた私たちにとって、「ダウン症」という強烈な個性を受け入れる土台は既にできていたんだと思う。
それより、心臓に穴ってどういうこと??? とそっちの方が気になってしまった。
産んだ病院ではちゃんとした処置ができないので、息子はひとり、大学病院へと転院してしまった。
出産から2日目には母子は離れ離れになってしまったのだ。
私は赤子がいない状態で産後入院の1週間を過ごさなければならなかった。
それは今までの私の人生の中で一番苦しい1週間だった。
よく漫画とかで、子を奪われた母親が「私の坊やぁぁぁ、ぎょえぇっぇー」って発狂するシーンが描かれたりするけど、あれは決して大げさではなかったんだ……、とこの時知った。
いや、マジで産んだばかりの子がそばにいないというだけで、気が狂いそうになるのよ。
ダウン症だとか、心疾患があるとかいう現実的な心配ごとよりも、まず、子がいないということだけで、発狂寸前だった。
精神が不安定すぎて、心の中に暴れ狂う竜がいる感じ。
そいつを押さえつけるので必死。
もう3日くらい経っただろうと思っていると、数時間しか経ってなかったりして、とんだ精神と時の部屋に迷い込んじまったと、焦ったのをよく覚えている。
とにかく油断すると、すぐにギャーッと叫びそうになるので、息を吸って吐いて…のみ考える…をひたすら続けて何とかやり過ごしたんだ。
そんで地獄の1週間が終わって、私はめでたく退院し、息子の待つ大学病院へと行った。
そこで彼はもうケースから出されて地球の空気を吸っていた。
ここから、人生で初めて知ることの連続だった。
ダウン症についても詳しく知ることとなっていく。
ヒトの染色体は46本あり、2本づつのセットになっている。
ダウン症というのは、そのうちの21番目の染色体が3本になっていて、それによって、心疾患があったり、発育の遅れなどある。
21番目が3本なので、21トリソミーとも言う。
ダウン症の子たちは、基本的には両親によく似ているんだけど、同じ設計図を持っている者どおし、どことなく似ていて、共通する身体の特徴なんかもある。
それが、ダウン症の家族を持つ者の萌えポイントだったりもする。
それから、心室心房中隔欠損症という言葉を初めて知った。
息子の心臓は、真ん中の壁に大きな穴が2つ空いていて、新しい血液と古い血液が行き来してしまっている。
こうした状態は、超音波、つまりエコー検査で見て知ることができる。
手術しないと彼は生きられないだろう、と厳しい言葉をもらった。
とは言え、産まれたてでは体も小さく、手術には耐えられないので、ある程度体重が増えてからやることになった。
息子は生後6ヶ月になるまでに3回の心臓手術をした。
私も息子の付き添いで、1週間とか最長で2か月とか病院で寝泊まりして暮らしていた。
これまでに病院とは無縁な私だったので、病院の、しかも小児病棟のすさまじい現場を目の当たりにして、今までの自分がなんと生ぬるい世界にいたのだろうか…と痛感したのだった。
先生たち、そして看護師さんたちのすごさ。
そして、長期入院をしている幼子を抱える家族たちの日常。
特に、母さんたちはすごい。息子よりもずっと容態の悪い子たちもたくさんいたけど、みんな明るくて強かった。
みんなつらいことも葛藤もいろいろあんるんだよ。でもね、どこかの時点で達観してしまうんだね。
お母さんどおしが、お喋りしたり、子供がギャーギャー泣いたり、カーテンの中に籠っていてもみんなの話は聞こえてくる。
そんな嫌でも孤独にはなれない環境で、私もずいぶん鍛えられ強くなれたと思う。
ちなみに、心臓の手術は10時間以上かかる。その間、家族の待機室で待っているんだけど、さすがの私もこの時間は不安でいっぱいだったよ。
手術が終わると、ICUに呼ばれ眠っている息子と対面する。
笑ってしまうほど大量の点滴がついてて、人工呼吸器を小さな口に入れられて、シュコー、シュコーと息をさせられていた。
この時、思ったんだ。
いつでもユーモアを忘れてはいけないって。
わが子のこんな状態、深刻に捉えたらもう超悲劇になってしまうのよ。
でも、なんかウケる…って思うと、未来を明るく捉えることができるんだな。
いつかこの時のことを詳しく書きたいとも思っているけど、ものすごい勢いで忘れている。
子育てしていると、記憶喪失かってくらい、どんどん大変だったことを忘れちゃうんだ。
予定していた手術を終えると、息子はめきめきと体力をつけ、おちゃらけひょうきんな性格が全面ににじみ出ている男の子へと成長した。
ダウン症の子や発達がのんびりな子たちのための療育にも通い始めて、私は、この世にいろいろな子供がいることを知った。
自閉症とかダウン症なんかは割とポピュラーな症候群なので理解もされやすいけど、さらに稀な症状の子たちや、問題を認識されにくい特徴の子たちもいるんだ。
こういう子たちがいるということを、もっとみんなにも知ってほしいなと思うよ。
自分とは違っているけど、でもみんなとってもかわいくて面白いんだ。
◇ ◇ ◇
そして、息子が生まれて、1年と半年。
2018年6月。私は第二子である娘を出産した。
これがまた大変だったのよ。
切迫早産と診断されて、自宅で3ヶ月くらい寝たきり、最後は1ヶ月入院した。
息子の時はだいぶアクティブな妊婦で、出産の前日まで自宅で仕事してたのに、この真逆の事態は想定外だった。
何事もやっぱり想像していたとおりにはならないんだね。
身体は元気なのに寝てないといけない辛さは、なかなか言葉では表現しきれない。
がまんにがまんの日々。
家族もがんばった。息子もがんばったよ。
そして、娘は約2時間という超スピード出産ですぽんとこの世に出てきた。
娘は標準的な赤子なので、2~3時間ごとに泣き、乳をほしがった。
むろん、夜間も同様のペース。それが3か月くらい続いた。
正直、このころの記憶はほぼない。
息子はおとなしい赤ちゃんで、ひたすら寝ている子だったので、逆に起して飲ませていたくらいだったのに。
今思えば楽だった。。
第二子とは言え、娘は息子と何もかも違うので、子育て経験者とはもはや言えない状態。
成長のスピードも全く違う。
通常の半分くらいのスピードで育つ息子が、私にとっての基準だもんで、娘はあっとゆうまに歩き出し、喋りだし、赤子じゃなくなった。
息子は入院とかが大変だったんだけど、娘はとにかくこちらの思ったとおりには何ひとつ進ませてくれれない大変さなのだ。
これが通常の子育てなのだろう…。
今、2歳の娘は絶賛イヤイヤ期で、筋が通ることは何ひとつしない。
服着ない、風呂入らない、服脱がない、靴はかない、歯磨かない、母ちゃんから離れない、トイレ行くのゆるさない……。
おかわりくれないと死ぬ、おかわりいらない(投げ捨てる)、アンパンマンを一生見続けたい、絆創膏を体中に貼らないとゆるさない……。
自転車乗らない、自転車降りない、砂利を食べたい…。
2歳児と付き合うためには、不条理さを全て受け止めることである。。
温和な兄ちゃんはじっとがまんしている。申し訳ない。
早くこの時代を経て、話の通じる奴になってほしい、、、母さんは疲れたよw
◇ ◇ ◇
今、子供たちは二人とも保育園に通っている。
息子はダウン症ではあるけど、集団生活には問題がないので、障がい児枠で一般の保育園に受け入れてもらえた。
入園当初は2歳になっていたけど、まだ二足歩行ができず高速高這いで移動、食べ物もドロドロでなくてはいけないかったけど、入園前に体験保育をやってもらえ、事前にいろいろ確認できたので、心配なく通い始めることができた。
公立の保育園は横のつながりもあるので、ダウン症やそのほかの特徴のある子供たちの保育のノウハウがあり、こちらから事前に心配な点を伝えれば、しっかり対応してくれる。
また、息子の発達を見てくれる療育の先生たちも保育園と連携してくれる。
お友達と馴染めるかしら? とかそういった心配は、娘も同じで、保育園2年目のふたりは、いずれも人間関係を学習中。
息子はもちまえの人なつっこさで、お友達にも愛されている様子。
家で女帝のように振舞っている娘は、私に似て人見知りなので、保育園でももう少し自我を出してもいいのかなーという感じ。
子育ての楽しみや悩みは、ダウン症だろうが何でも変わりないというのが私のたどり着いたところ。
◇ ◇ ◇
というわけで、子供を産んでからの約4年間で、私が今までの人生で思い込んでしまった ≪常識≫ ってやつをことごとく破壊されてしまった。
人間をイチからやり直しだぜ。
子どもに教えられたことがありすぎて、うまくまとまらなかったけど、「今までの自分を全て捨てる」かな。
自分が「こうだ」と思っていたことは単なる決めつけでしかなかったのだ。
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