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[創作大賞感想] これ母さん著『すべての子どもは消耗品じゃない』/いつか誰かが直面した時に思い出してほしいお話

多くの人に読んでもらいたい、という私の勝手な熱意から、今回はこれでも母🐿みんみんさんの『すべての子どもは消耗品じゃない』の感想を書きたいと思います。

このお話は、ある二つの家族の物語です。

冒頭の何行かで衝撃を受ける人もいることでしょう。

今どき、こんなことあるのか??? って思うでしょう?

なかなか障がい者に対して差別的なことを、面と向かって言ってくる人はさすがに減ってきてはいると思います。思いたい…。
ですが、このような考え方を当たり前にする人は実際にいます。

障がいがある子と我が子が遊ぶことを嫌がる、とか、同じクラスにいることを嫌がるとか。

※実際に私はまだ出会ってないけど、話には聞く…。

例えば、これが、自閉症だったりダウン症だったり、知的障がいだったり、身体障がいだったり比較的わかりやすい障がいだった場合、あからさまに排除するのは倫理的にNGという心理が働くことが多いでしょう。

だけどね、心の奥底で、ちょっと面倒だな、関わりたくないな…って思ってしまうことはあると思います。

だって怖いから。
それは当然の心理だと思います。

例えば、これが、すぐ癇癪を起して暴力をふるう子だったり、物を盗む子だったり、酷いいじめをする子だったり、小動物を虐待するような子だったりしたらどうです?
非常識なこと言ったり、やったり、勝手に家に入って来たり、煙草を吸ったり酒飲んだり。

「あの子と遊んじゃダメ」って普通に言うでしょう。

悪影響があると思うので当然です。
怖いし。

これと、この冒頭のショッキングな会話には違いはあるのかな…って私は最近考えるのです。

私の息子はダウン症なんだけど、ダウン症だからって排除されるようなことがあったら、やっぱり腹立つわけですよ。
ちゃんと向き合ってよ。知ろうとしてよ!…って。

…ってゆうか、クソだせぇぞクソがっ!!
くらい言ってしまうかもしれません。

だから、反対の立場になった時、いくら相手がどんな奴でも、例えサイコパス級でも、なんかそれだけの理由で排除できない自分がいるんです。
わたし…この人のことを害があると決めつけて、知ろうともしないで一方的に排除しようとしてないか?? って。

そりゃぁ、殺人鬼とか、詐欺師とか、ひどいいじめをするような人に積極的に関わって行こうとは思わないけれど、どうしてそうなっちゃうのか、知りたいと思うかもしれません。

そして、自分の価値観や倫理観だけでは理解できない世界があるのだと、思い知るのです。
とても理解はできなくとも、そういう人がいるんだ、ということを知ることから始めたいのです。

なんかいきなり盛大に脱線してるんですけど、『すべての子どもは消耗品じゃない』は、そういったことを踏まえて読んでほしいのです。

このお話に出てくる、ちょっと酷い…と思うことを言う大人たちは、決して “悪” ではなくて、ただ知らなかっただけ…。怖かっただけ…。それだけのことです。
そこから、知ろうとして向き合えるのか、向き合えないのか…そこに大きな分かれ道があるように思います。

あなたは誰に感情移入しますか?

向き合っていくことは本当に難しいんです。

例えばね、保育園や幼稚園、学校で、発達相談に行くことを進められた時。
頭ではわかっていても、それをすんなり受け入れられるかどうか。

他の家の子の場合だったら、「大丈夫、素晴らしい個性じゃない?」って考えることができるのに、我が子となると、できない場合も多いんです。

…なんでうちの子が…!!!! ってなってしまったり。

自分自身や家族に診断名が付くことで、ほっとする人もいれば、ショックを受ける人もいる。

発達相談に通うことや、支援級、支援学校に通うことを “劣っていること” “社会から区別される場所” と捉えてしまい、そこへ “行けと言われてしまった…” と、どうしようもなく差別された気持ちになってしまう人もいます。

…うーん、てゆうか名称もっとどうにかならんのか…と私は常日頃思っているのです。
発達障害です! って言われたらそりゃショックですよ。

発達相談は、できれば全ての家族が一度は受けられたらいいような場所なんですよ。
それくらい番人に有効な場所です。できれば子供がいない人でも見学してほしいくらい。

子育て何かやりにくいな…何が正解かわからない…子ども自身が生きづらそうだな…と感じる時に、どのようにして家族でコミュニケーションをとっていくのがよいのか、子の状態はいまどんな段階なのか、今後どういう成長をしていくのか、社会とどう折り合いをつけていけばいいのか、そして、自分自身が自分らしくあるために、様々な場面でどう自分をコントロールするのか、などなどのヒントをもえる場所…それが発達相談なんです。

少なくとも私が経験した発達相談はそんな感じだった。

そして、支援級や支援学校も、大勢の中では本来の自分でいられない子たちが自分らしくいられる場所、家族や本人にとって最適な環境を用意してくれる場所なのです。

みんなと一緒のことができない子たちが行くところではないのですよ。この違いはわかりますか?

これ母さんの物語では、子供目線で支援級に行くことが語られますので、ぜひ読んでほしいなと思います。

この物語に出てくることは、当事者じゃないと解らないこともいっぱいあると思います。
心優しいこれ母さんのお友達だったら、そうだよね、そうだよね、って読めば読むほど胸に来るお話かと思います。

このお話は、実際に自分が受け入れがたいことに直面した時に、羅針盤のように心の示す方向を教えてくれる物語かと思います。

不安な時って、同じ状況の人の話を聞きたくなりますね。
そういう人たちにぜひ見つけてほしい物語なのです。

もう一度、リンクを貼っときますね。

子育ては自分とは関係ないや、って思う人も、ぜひ読んでみてほしいです。
これは、自分の芯を作っていくお話なのですから。

なんか取り留めない感想になってしまいましたが、これが私の感想文です。

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