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公共性とビジネス

 たいした話ではないが、あるタレントが麻生大臣のテレビ局に対する態度をみて憤慨していた。

 Yahooのニュースページにも出ていたが、コメント欄はそのタレントに対して概ね批判的であり、麻生大臣に対しては比較的好意的なコメントが多かった。

 政治家もマスコミもタレントも目に見えない「世間」を対象に発言する機会が多いが、本来彼らが気を遣う対象はそれぞれ異なる。簡単に言うと飯のタネになるお金をだれがくれるか、と言う話である。

 ・政治家→選挙で自らに投票してくれる票田

 ・マスコミ→広告を出してくれるスポンサー

 ・タレント→ギャラを払ってくれるテレビ局等

 と言う構図になる。

 政治家は国全体を考えると思いがちだが、票を入れてくれた人たちの代弁者なのだから、例えば農業従事者を票田とする政治家からすると農家がいかに発展するかを考えるし、労働者の団体が票田であれば彼らの権利を保全する様に考えて行動する。一人だけみれば片寄っているようにも見えるが、そういった様々な代表者が集まって議論しながら国の進む方向性を決めるのだからトータルとしては国全体の利益になる様に動くのだろう。

 とは言え政治家になり権力や地位を得ると色々な誘惑もあるだろうし、最終的に私腹を肥やすために票を入れてくれた有権者を無視する様な政治家も中には出てくるのだろう。そう言った事の暴露や抑止としてはマスコミは有益な公共メディアであると考える。

 さてマスコミはと言うとマスコミも公共の電波を活用し収益を上げている手前スポンサーが大事なんですとは口が割けても言えず「世間」の代弁者然として行動することになる。

 ただし政治家は国民の投票で選ばれるだけに「民意」が反映されているが、マスコミは一私企業であり別に「民意」を反映している訳ではないことには注意が必要だろう。マスコミの使う「常識」や「一般的な感覚」と言う言葉は彼らが持っていきたい結論を導きだすための方便に過ぎないと思料する。

 一方タレントは直接的なクライアントはテレビ局等であるものの、CMの様な媒体では企業がスポンサーになるし、「世間」からの好感度次第でテレビに出演出来るかが左右される可能性もあるため、「世間」に対して一定の気遣いがあるように見せることは重要だ。

 そうは言っても起用を決めるのはあくまでテレビ局のディレクター等であろうし、最終的には彼らが選んでくれない限り露出できない。世間の評価ぎどうあれ、「ゴリ押し」してくれればギャラには繋がるわけだ。

 そうするとテレビに出演しているタレントがテレビ局に対して批判的な態度を取らないのは「当たり前」であり、はなからそう言うものだと思っていればそう腹立たしくもない。

 ただ公共のメディアを通じ活動しているため「世間」に対して気を遣っていますよ、「世間」の一般的な感覚からするとこうですよね、とパフォーマンスをしているに過ぎないのだ。

 ひねた見方かもしれないが、ビジネスである以上はクライアントに気を遣うのは「当たり前」だろうし、メディアに映る発言や行動を額面通りに受け取らず自分の中で一度疑ってみることは自らの考えを整理する上で有用ではないかと思う。

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