見出し画像

警告音

18歳から家出て
自炊してるのに
まだ、餃子が上手に焼けん。

焼いてる時に、
皮くっついてるん
へらで取ろうとして
皮破いてもうたり
水分入れすぎて
べちょべちょなったり。

材料はええから
食べたら旨いけど
見た目がぐっちょぐちょで
「もう~ごめん
食べたら美味しいから
堪忍な。」って食卓へ置く。

ほぼ毎日、料理してんのに
全く上達せえへん。

料理を好きになれん。
できるならしたくない。

お母さんになったら
当たり前にご飯作れてって。

でも、学校の教育で
習ったんって
ご飯を炊飯器で炊くんと
みそ汁のつくり方と
野菜炒めぐらい。

いつも
家事しながら思う。

学んで学習してないやん。

今どき活用で
ネットで検索してみても
「レンチン」とか
「鶏がらスープ」とか
「ミックスパンケーキの粉」とか
簡単にできるもんを
使って、誰でもできるで~~
みたいなんはいっぱい出て来るけど
わたしそんなん求めてない~~~~。
って、検索するんやめて
また同じもんを作ってしまう。

料理教室やっていっぱいあるけど
「白砂糖」「小麦粉」
「ドライイースト」「バター」
「牛乳」
そういうの使えんしよ~~。
って。

世の中の人と求めてるもんが違うって
ほんましんど。

ふ~~~~~~~~。

自分の目指すおかん料理。

たまに友達が来て
ちゃちゃっと作ったおかずに
めっちゃ感動してくる。

「ど~やって作ったん?」って。

え、こんなもんちゃちゃっと
できるよ。
なんも創作してない。

たぶん、調味料が
そもそも美味しいからちゃう?
素材とな。

計量したりしたことないし
そもそも料理本は目が悪くて読めんし
全部適当。
味見しながら、自分の舌のみ。

やからご飯タイムはもうわたしは
お腹いっぱい。

ストック料理とか
しといたら
楽なんやろうけど
それもあんまり好きちゃう。

次の日経ったら
古いもん。っていう感じが
今も抜けん。

というのも
自分のおかんがその日に作ったもんは
その日のうちに食べて
食べきれんかったもんは
全部その夜のお片付けの時に
全部捨てとった。

ひろしは逆で
おかんが何日も
同じものを出して
食べ続けるみたいな
環境で育った。

わたしのおかんは
ものすごく胃腸が弱かっんと
看護師?ってのもあって
やたら食い物にはデリケート。

おとんに
「あいつの飯は
焼すぎ、煮すぎ、炊きすぎやから
旨くない。」って
わたしによく愚痴を言ってた。

ほなら自分で作ったらええやん?
って言うたら
「めんどくさいが勝つから
黙って食っとる。お前言うなよ。」って。

わたしが
その日はお腹いっぱいやから
明日食べるわ、言うたら

「ほなもん、腐ったもん食べて
腹壊したら、食べても意味ないやろ!
介抱するこっちの身になれ」言うて
全部ごみ箱行きやった。


でも面白いことに
こういうのって身に染みてしまう。

今はお母さんほど
デリケートじゃないけど
わざわざ作り置きとか
そういうのが好きじゃない。

今日食べれる分だけ作る。
食べきれんかったら
次の日の昼ぐらいまでが
賞味期限。

でも、毎日ご飯作るん
ほんましんどい。

ストック料理も
レンチンも、
簡単ないろいろ混ざった
調味料でできるやつも
便利なんやろうなと
気持ちはわかる。

でもできひん。

でも、ぷつっと
糸が切れる日もある。

なんか、もうええわ。って
時が年に何回かある。

その何回かの1回が昨日やった。


ちょうど私、夢の中で
前の旦那と殴られそうな瞬間に
うわ~~っってなってる時に
携帯電話の地震速報の
サイレンが大爆音で鳴って
目が覚めた。

大きな地震が県外で合ったみたい。
地上波のテレビがないので
状況はわからなかったけど
ひろしがネットで調べて
非難しなくて良いことが分かって
布団でボケーとしてたら
あんじ(次男)がやってきて

「地震起きたらよかったな~」と
ぼやいた。
たぶん、学校が休みになるとか
そういう安易なことだったんだと思うけど

ブチ切れた。
「なんて?地震起きて欲しい?
ほんまにそんなこと思っとん?」

そこで、
いや~ごめん、ちょっと口が滑って
とかすぐ謝るならまだしも
無言。

「そんな風に思うやつ
人として嫌いやから、あっちいって」と
言うと
すーーーと謝ることなく出て行った。

布団の上であおむけになって
本気で嫌いになりそうじゃ
わが子やけど。って
思った瞬間。

わたしの身体のどっかの神経の
一部が静かにゆっくりと
「ぷつ」とキレた。

階段織りて
座って、静かに言った。

「あんじ、もう受験やめようか。」

全員がえ?ってなった。

「ほんで、今から
地震が起きた場所へ
あんじ連れて行こう。」って言った。

「あんじ、勉強なんてな
やりたい、知りたいと思ったら
いつでも始められるし、
本気出したらじじいになっても
賢くなれる。
でも、心が育ってない。
地震が起きたらええのにって。
人の痛みって、人の気持ちを
ぶつけ合うんって今しか
体験、経験できん。
大人になったらな。
そんなこと言ってもな。
言っていいことと悪いことがあるよ。って
教えてくれる人おらんからな。
それって、愛なんよ。
教えてくれる、だめなこと指摘するんは
その人に愛がないとできんことなんよ。
わかるか?あんじ。

子供の時代はな。
なんでそんなこと言うん!
あんじなんて嫌いって。
言ってくれるんよ。

そもそもな、そんなこと言い合わんでも
こんなこと言うたら
相手が傷つくだろうなって
わかるんやけどな。
でも、みんながみんなそれが
勝手にできるって思うこともまあ
考え方を変えたら脳の障害もあるしな。
発達問題もあるしな。

あんじがこの学校へ行きたい。
だから勉強頑張るって
塾にも通って、怒られながらも宿題して
ゲームもテレビもやめて
友達とも遊ばんと
自分の意志でここまでやってきたのは
ほんまにあんじの頑張った成果やし
勉強ができるようになって
会話力もすごい上達したことで
子ミニケーションもとれるようになった。
それは支援学級に通ってた
時代に比べたら、大きな成果だと思う。

でもな、今度、心が育てる時。
無茶苦茶大事。

なんぼ頭良くてもな
人の痛みや気持ちを察する洞察力
こんなこと言うたら傷つくなって
そんなことわからんやつ
一緒に仲間としておりたいと思うか?
仕事したいか?
信用できんやん。

そんな人になってほしないねん。

バスケットしたいからこの学校へ
行きたいって言うて、受験しようと
ここまで頑張ってきたけど
あんじとしてはむっちゃ頑張って
成長したけど
世の中の中学受験するやつらの
受験に対する姿勢と、能力と
勉強の時間は全然かなわへんのよ。

バスケットもな、自分がどうしても
したいもんじゃないんちゃん?
ゆあん(長男)が大好きなことで
やりたすぎることが
たままたバスケットで
家にたまたまバスケットできる環境
やったからちゃん?
あんじは運動神経もめっちゃいいから
できただけちゃん?
そんな寝ても覚めてもバスケット好きか?

ゆあんやすみれみたいに
やりたいことが明白に見定められるなんて
ほぼ奇跡でな。
小さい時はあれやってみたり
これやってみたりって
タイミングとか縁とか
興味を持ったりとか
そういう中で
いつのまにか人生にないとならないものに
なっていくん。

やらされてるんなんか
一等賞は取れんから。
どんなに頑張って辛抱しても。

どうなん?
またやっぱりバスケット好きやな。
おれやりたいなって
思ったら、いつでも再開できる。
生きとるだけでな
なんでも、何回でもやり直しって
きくんよ。

そんなことよりも
今友達と遊んだり
家族でいろんな場所へ行って
いろんなこと経験するほうが
ええし
あれやってみたいな
これやってみたいなってこと
ないか?

ここまで言われても
バスケットがやりたいん?
一応言うとくけど
今の感じでは
受かるんはほんまに難しいし
やるならもっと
頑張らなあかん、
でもやれやれ言いたくない、こっちはな。
やって、あんじが
やりたいってことやろ?

勉強するにこしたことはない。
勉強をやめろって言うてるんやなくて
受験せんでもええんちゃん?って
思う。

親としても
公立より、私立の方が
環境も講師もええって思うけど
公立のいろんなタイプの子供が
通う学校へ行け!

嫌なこと言われろ!
ムカついたり、傷ついたりせぇ。
自分で経験しろ。

今日学校行って
「地震起きてたら学校休みやったら
良かったのにな~」いうアホに
なってみ?

知らんやろ?
クラスの子のおじいちゃんや
おばあちゃんが地震が起きた場所に
住んどったら?どないするん?
東北大震災で家族全員審で
神奈川に一人やってきて
親戚の家でおるこがおらんって
言い切れるん??
知らんやろ?

もし、今日徳島で
地震起きて津波来て
アンジの大好きなじいじやばあば
ゆあんがみんな死んでても
おんなじこと言えるか?

そういうことやねん。

ママがなんて
こんなこと言うてんのか
わかるやろ?

今日ポロって言うたことと
受験と何が関係あるん?って。

受験なんてやめて
今年の夏
東北へみんなで行こう。
実際どんなことが
起きて、たくさんの人の人生が
一瞬で狂った日のこと
知らなあかん。

神奈川へ引っ越してきたところまでは
大きな決断やったけど
してよかったし
こうやっていい学校を知って
そこへ行きたいから勉強するって
頑張ってきたこともすごいこと。

ゆあんがやってきたこと
真似せんでいい。
これは大人たちが悪かったと思うし。

自分でこれからは
人とぶつかり合って
体験して、決めて行かんと。

それをサポートできるんって
10代まで。

心友欲しいやろ?
仕事したいやろ?
結婚もしたいやろうし
子育てもしたいやろ?

頭より、心。

心育てんと。
今ギリギリセーフ。
な。

今日の出来事は
そういうことやったんやと思う。

あんたがやりたいことは
なんでもさせてやりたいと思って
稼いでるしな。

挑戦したいことが
できたら自分で言うて来い。

こっちも、あれええんちゃ?
これええんちゃん?って
言わへん。

サポートは全力でする。
それはこれからも変わらへん。

勉強する習慣のきっかけになって
良かった、
それが大きい。
なんも無駄してない。

あと3年、心育てて
知識も増やいて
経験も増やして
痛い思いしてから
進路決めたって遅くない。」


というわけで
受験もやめて
バスケットも一旦手放すと
本人も。

塾の先生が
お勉強も大事やけど
一週間の中で友達と遊ぶ日を
何日かあってもいいんじゃない。と
言われたことを
思い出し。
そういうことやったか。。。。
ベテランはもう悟ってたか。。。と
改めて今お世話になっている
塾の先生に感謝。

ただ、変わらないのは
学生も忙しいってこと。

勉強は高校受験で
行きたいってなった時に
必要なこと。
塾は週一にして
遊ぶ。

ゲームは
受験で手放したことで
スーーーーとやめられたから
今更もうやらなくていいって。


なんかようわからなんけど
肩の荷が下りたきがする。
ニュアンス的に。

でも、その日。
すみれも学校代休で
ひろしも全部スケジュール手放して
朝ッパからずーと
話をした。

あんじもなんかすっきりしたのか
「今日友達と遊ぶ約束してきていい?」って
ものすごい機嫌よく
遅刻して学校へ向かった。

・・・・・・・・・・・。
今日なんか、日々のことから
一旦離れたい。

どっか産み見ながら風に吹かれたい。
と、江の島を見ながら
3人でランチして
そのあと湘南の海岸へ行って
気持ちを開放してきた。

20年も子育てして
3人も違う人間と剥き買ってるけど
正解ってないな~~~。

ボーボーに生えた草を
必死で刈り取って
道作って
砂利拾って、転ばんようにして
道筋作って
自分で歩いてるように見せかけて
親が求める目的地まで導く。

どこまでやってやるべきか。
その道筋すらほんまにそれでええんか。
目的地はその子にとって
幸せになる場所かどうか。

そんなことや本人もわからんし
ましてや親なんて自分の人生じゃない。

自分はどうだったんだろうと。
子育てに悩んだ時に
自分の小さい時の気持ちを
思い出して、向き合うようにしている。

わたしは
親が刈り入れ追いつかず
好奇心が多すぎて
草むらだろうががけだろうが
ケガしようが転がり落ちようが
どんどん走って
親が追い付けないかった。

傷ついて痛い目にも散々あった。
普通に歩めば到達しない場所へ
いっぱい迷い込んで
足を踏み入れ失敗したけど
経験した。


いじめはよくない。
でも、わたしは
「存在が嫌い。」って
意味わからん理由で
はみごになってたけど
きっとわたしも
悪いところはあったんだろうと
今思う。

子育ても結婚生活も
商売にも
失敗した私。
いろいろ失敗してるから
人の痛みは
こう見えてわかる。


どんな道に進んでもいい。
死にさえしなければ
痛みも味わわないと。

あんじを世界で一番愛しているからこそ
もう手をつなが仲くても
後ろの方で
見守る年頃になった。

他人があんじを愛してくれるように
することが
私の母としての使命。


「ただいま。」と
学校から帰ってきたあんじ。

「俺、受験やめる。
バスケットも一旦やめる。
勉強は続ける。
塾も行かせてほしい。」と。


「おれ、サーフィンしてみたい。」


今日の出来事は
いつかの未来で
理由がわかる日が来る。
それまで
楽しみにしておこう。

サイレンが教えてくれた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?