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慌てない、急がない、プンプンしない

小学校入学式初日から
いじめにあってた。

ひとりっこってのもあって
すんごい弱かった。
毎日泣きながら学校へ行って
帰りは家までダッシュして
帰った。

そんなわたしを見かねて
おとんが
「ええか、やられたらやりかえせ。」
と。
「目には目を、歯には歯をって
言葉があってな、ちづる。
泣いとるだけやったら
いつまでたってもやられ損。
女の子と思って
なめとったらしょーちせえへんぞ
ぐらい、強ならなあかん。
小突かれたら、
思いっきり箒でしばいたらんか!!!」って
言われてからというもの

私は無敵になった。
そっから、40歳になるまで
「やられたらやり返す、
目には目を」を貫いてきた。

地域性もあるし、時代もあるけど
「喧嘩は売るな絶対に。
でも売られたら絶対に買え。」というのも
周りがそういうことを
普通にやっていたのもあって
当たり前に
売られたら、きっちりのしつけて
買って返すというのが
身に沁みついてしまっていた。

やられたら、絶対に
やり返す。
コテンパンに。


絶対に負けへん、
度胸と口は身についた。

口は一級品に
悪い。

だっておとんも
おとんの仕事仲間も
おかんもおかんの友達も
学校の連中も
近所の人も
テレビから流れてくる言葉も
みんな
口が悪い。

そうやって育った。
その中で生き抜く力。

一瞬でゴングが鳴って
スイッチも入れれる。

「お前なんやコラ」って
言われたら
速攻
「なんじゃお前、誰に
言うとんねん。」って
頭で考えんでも
出てくる。

そういう地域で
育った。

そんな時代を否定してはない。
あの時代はそんな思想を
教えてくれたからこそ
ひとりっこの弱っちい
一人で生き抜いていかなあかんソールが
身に付けれたし
自分で自分を守ってこれた。

だから今がある。

ひろしに出会う前に
始めたお店でのこと。
隣の店と速攻もめた。

隣に来る
客のペットたちは
当たり前のように
外の駐車場で用を足したり
私の店の駐車場の入り口に
平気で車を駐車したりで
散々で
ほんまに何回
注意してもあかんかった。

ひろしと一緒になって
隣の店のやつらの
態度を話してたら
「わかった。
じゃあさ、お菓子でも
持ってお願いしに行ったら?」と。

はぁ~~~~~?????
なんでムカついとる奴に
菓子持ってのこのこと
ニコニコして
お願いしに行かなあかんのん?
お願いちゃうしな。
わたしの店の敷地で
好き勝手やられてるんやで?
わかってる?????」と。

「でもさ、好きな人に
ひどいことってしないでしょ。
好きになってもらえばいいじゃん。」
って。

はぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ?

生きてる人生で
そんなこと考えたことが
なかった。

でも、ふと。
確かにそうやな。と
納得した自分もおった。

ひろしと一緒になって
初めのころ。
「ちょっと聞いてくれんのん!
めっちゃムカついてな。
さっきな!!あーだーーーこだーー
ぶらぶらぶらぶら~~」って
昔からの当たり前の
行事、なんかあった時の
ムカついたこと
イラついたこと
腹立ったことを
言うやつ。

あれを言ってたんやけど
ひろしは
にこにこして
「わかった、言いたいことは。
でもさ、それっていつの話?」

ん???は????どういうこと?
と、私。

さっきの話。
さっきこんなことが
あったんよ。と。

「でもそれって、終わったことでしょ。」と。

は????
終わったこと?
いや。終わったことやけど
腹立つやん。
そう思わへん?ってことを
共有したいから言ってる。と。

そしたら
「だって終わったことでしょ。
今そんな一生懸命大事な時間使って
振り返って腹が立って
なんか意味ある?無駄じゃん。
それより今とか未来とかのこと
考えたほうが有意義でしょ。」と。

ぽっか~~~~~~~~ん。

この人はどういう生き方を
してきたん?

旅人の一年を
普通に生きてる人の年数に
換算すると
10年だという人がいる。

それぐらい一年で
いろんな人と出会い別れ
いろんな景色を見て
いろんな経験をする。

ひろしは4年半やから
ひろしの歳プラス45歳。

わたしより9歳も年下やのに。

ひろしと出逢って
ひろしと一緒に生きて
もうすぐ7年になる。


自分が生き抜いた
過去は変わらないけど
自分は勝ち気で
せっかちで
余裕がない性分ってことを
受け入れたとして。

どう生きるのが
自分にとって楽なことか。

生きながら
いろいろ自分の中で
自問自答してきた。

やられたらやり返すは
もう沁みついて
なかなか解放できない。

ならどうする?

瞬発的に
すぐゴングがなって
戦闘できる。
そして、ずっと
ムカついて
引きずる。

戦わないように
戦いの場にならないように
するしかない。

どないしたらええんやろうか。。。


ひろしと一緒に
一緒に生きるようになって
度々に
「おちづ、それっていつの話?
それを一生懸命考えて
好転するん?」と
何回も何回も言われ続け
少しずつ執着から解放されてきて
今はありえないことに
興味すらなくって
人に
「それって今そんな必要?
もうええやん、いつの話?
どんなに考えても
腹立っても帰ってこうへん過去やん。
そんなことより、
これからどうするか、していこうか
って考えるほうがええで。」って

言えるようになったし
本真にそう思いながら
いろんな出来事を
吸収して代謝できるようになった。

ひろしと暮らしてなかったら
未だに
ブチブチ切れていたとともう。

昔、たけしの医学っていう
番組があって
脳科学者の話を今でも記憶に
残ってる。

脳って
どんな頭の良い人でも
自分の発した言葉も
相手から放たれた言葉も
どっちも
相手から言われたことと
捉えてしまう。
という話。

小さい赤ちゃんや
かわいい動物を見て
「かわいい~~。」て
綺麗な花を見て
「綺麗じゃ~。」って言ったら
脳は自分が
そう言われていると誤解する。
だから、
相手に言った言葉かけでも
笑顔なんだと思う。

でも、相手をコテンパンに
言い負かしてやろうって
思って暴言吐き続けたら
いつも、なんか
めっちゃ疲れてるし
心が痛い。
自分も凹んでる。

それは自分が言われたと
脳が勘違いするから。

そういうこと。

でもわたしは
わかっていても
それができない。


神奈川に引っ越してきて
歩いたり、自転車に乗ったり
自分で移動しないと
いけないことが多いし
都会だから
どこを歩いていようが
走っていようが
どこに行こうが
人だらけ、車だらけで
チャリだらけ。

わたしはなんで
キレるんやろう。

日とは何でキレるんや???

それは心に余裕がなくなるから。
時間に余裕がない。
スペースに余裕がない。

そうか!!
それを確実に回避していけば
ええんや。

心に余裕を持たすのは
時間。
いっぱい寝ること。
これがまずわたしには
マスト。

しっかり、休養すること。

無理なスケジュールは組まない。

時間に余裕をもって行動する。

狭いところを通らない。
狭い苦しい場所に居ない。



ものすごい生きやすくなってる。

一休さんのアニメの
CMに行く前の言葉。
「慌てない、慌てない
ひとやすみひとやすみ。」って
フレーズが
43歳になっても蘇る。

そっか。
「慌てない慌てない。」

どんな時も慌てない。

決められた時間が
とても苦手で
逆算ができない。
これは性質で直らない。

だから、いつも
バタバタして、急いで
鉢合わせして、譲れず
ブチ切れて。。。みたいなこと
だったんだと思う。

毎日幼稚園のバスの
時刻があって
それに遅れると
クレヨンしんちゃんの
みさえみさえみたいに
幼稚園までチャリでさらに
30分漕がないといけなくなる。

焦る。

どんなハプニングが起きるか
わかららない。

だから、めっちゃ早く
どこへ行くにしても
到着時間は余裕を持って出る。

ゆっくり歩きたい。
ゆっくり漕ぎたい。
ゆっくり、ゆっくりスケジュールを
こなせるように
自分が治せない部分を
受け入れて
それをどういう風にもってけば
回避できるか。

「逃げるが勝ち」って
言葉はやっぱり好きじゃない。
自分じゃない。

とにかくぶつからない。
いつも、自転車で
訓練してる。

とにかく余裕を持つ。
遅れそうでも急がない。

自分が一番優先順位が
ないって、思う。

歩いてても
自転車、自動車を優先する。
道は狭くて、交通量が多くて
近道があっても
遠回りでも
道幅に余裕がある道を選ぶ。

そもそも争いになるような
場面に遭遇しないように
そうならないように
事前の工夫。

逃げるも戦うもない。

そもそも
そこに行かない。
そうならないようにする。

「慌てない、急がない、
プリプリしない。」
後ろですみれが
ミュージカルしてる間に
わたしは呪文のように
自分に言い聞かせながら
前からきた車を見つけたら
だいぶ先で待機する。

歩行者が前を歩いていて
気が付いてなかったら
いつまででも
気づいてくれるまで
後ろにいる。

昔は
「すいません~~どいてください~~」って
言うてた。

自転車の方が優先やと
思ってた。
自動車に乗ってた時は
自転車と歩行者に
クラクション鳴らした上に
どかんか!って言ってた。

自動車同士なら
絶対に引かへんかったし
自転車同士で
ぶつけられた
「なにしてくれとんじゃ~」って
歩き同士でぶつかられて
なんか言われたら
「なんやて?今なんて言うた?」って
言い返してた。

チンピラみたいな性格。
自分でも思う。
でも、ぐっと下の方へ。
出てこんように過ごしたらええ。

性格なんて直れへん。

普段から誰に何を言われようが
思われようが平気やし
向こうから喧嘩売られたら
絶対に買ってしまう。
おばあちゃんになっても
これは変わらへん。

「ばばあが、じゃまやねん。」って
おばあちゃんになって
言われたら
「ごめんね~足が悪くてね~。」なんて
言わへんと思う。

「誰に言うとんじゃぼけぇ~~い!!
こっちこんか、こっち脚悪いねん。
おい、ガキが、こっち来い!
ばばあと思ってなめとんか!!」って
言うと思う。
否めん。

でも今は、避ける。
逃げへん時は
買うけど。

とりあえず、避ける。

終わったことは、もう過去のこと。
過去を一生懸命考えても
しょーがない。

そういう思想のしこりの
癌は、ひろしとの生活で
ポロリと落ちた。

憎たらしくてしょうがなかった
前の旦那の事も
今は、心から幸せになってたら
ええなと願う。

私の過去のなにか学ぶべき
刺客だと
どんな嫌な出来事も
思えるようになったし
そんな出来事がやってきたら
「今回は何の学び?」って
思える。

運が悪いなんて
思わない。
運勢が悪いだの
大殺界だの
厄年なんか思わない。

悪いことは気付き。
絶対にそう。

気付くってことが
大事。

失敗せんと、痛い目味わんと
ほんまのほんまが
わからん自分なんや、
まだまだ未熟なんやって
思うだけ。

ひろしみたいな
ええ人に巡り合って
ほんまに良かったな、
うらやましいって言われるけど
どんなけ私が
男性といろんな経験を積んできたか。

一発でひろしになんて
出逢えてないし
一発目でひろしに出会ってたなら
ひろしの良さはひとっつも
わからへんあほな女やったと思う。

失敗して経験しての繰り返しは
たぶん誰よりもしている。

なんでかって、チャレンジするから。
とりあえず。

失敗も成功も人一倍。

これからも
なんでもやりたいことは
やってみる。
ほんで知って
経験の一部にする。
失敗もするし成功もする。

そうやって
自分をどんどん上へ上へ
連れて行ってやる。

そのためにも
避ける殺法。

「慌てない、急がない
プンプンしない。」

平常心、平常心。




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