弱みは強みに変えられる
先日、雑で速い人の悩みが記されたnoteを読んだ。
その人の周辺では遅くても丁寧な仕事をする人の方が高く評価されているらしく、自分が雑で速いことがコンプレックスだと綴られていた。
しかし、知人に「今は雑で速い人の方が有利だから自信を持て」といわれ、コンプレックスから解放されたようだ。
私も、その知人の見解に同意する。そして、対極の性質を持つことにコンプレックスを抱いてきた私は、最後まで読んだ時点で大きく自信を失ってしまった。
ちなみに、スピードと丁寧さを兼ね備えた人もいるが、そういう人はもはや別次元の超人。私のような凡人が到底叶う相手ではない。
また、遅くて雑なのは社会人としてどうかと思うのでここで言及しない。
丁寧で遅い人間は圧倒的に不利
お察しの通り、私は「丁寧で遅い」人間だ。絶望的なレベルでスピードが足りないため、他の人の何倍もの時間をかけて記事を書いている。
一時期かなり頑張ってスピードアップを試みたところ、無理がたたって体を壊してしまった。
たぶん、私は努力の方向を間違えたと思う。
◇
スピード重視の現代社会では、丁寧で遅い人より雑で速い人の方が早い時期に頭角を現す確率が高い。明らかに有利だ。
丁寧で遅い人はどうしても社会のスピードから取り残されがちになり、圧倒的に不利だ。
なぜなら、雑な仕事は誰かがフォローすればOKだが、作業スピードの遅さはフォローしようがないからだ。
また、丁寧で遅い人間はなにをやっても低い評価を受けやすく、反応が遅いばかりに飛躍のチャンスを逃すことも多い。
丁寧で遅い自分の性質は、明らかに自分の人生において足かせになってきた。無意識のうちに丁寧さを追求してしまう愚鈍な自分の性質にどれだけ悩んできたかわからない。
とはいえ、別の誰かがフォローできる「そこそこ雑で速い仕事」を狙うと成果物がひどいものになりそうで怖い。
……やはり私は「遅くて丁寧」な路線を行くしかないようだ……と悟った。
遅くて丁寧な人間はスピード社会でどう生き延びるか
そこで、業務のスピード化がますます進む現代社会において、遅くて丁寧な人間がレッドゾーンなライター業界でどうやって生き延びるか?という点についてよく考えてみた。
すると、自分が仕事で客観的に評価されている部分にそのヒントを見つけた。
・仕事の打診があった時、できることとできないことを明示する
・どれほど条件がよくても今の自分にできない仕事は断る
・アクシデントがあっても遅れない範囲内で受注し、前倒しで納品する
・不明な点について細かく質問する
・若干気になる点やこちらからの提案はコメントとして残す
・エビデンスの出典元や正確性にはとことんこだわる(そのため時給換算すると悲惨)
・自分の記事を読む読者の気持ちを考えながら言葉を選ぶ
・どれほどエグい修正依頼でも淡々と応じ、求められた以上の修正稿を出す
・基本仕事にプライベートな事情を持ち込まない(こちらの事情などクライアントにはどうでもいいことだ)
・ただしプロジェクトに支障が及びそうな場合はそれが判明した時点ですぐ相談する
などなど。
どれも私にとっては呼吸をするのと同じく当たり前の行動で、ほぼ毎回全ての作業を行なっている。それができなければ社会人失格だとさえ思っている。
しかし、それは誰もができることではないらしい。
どのクライアントにもその点で「対応が非常に丁寧だ」「安定感がある(常に一定以上の品質を保っている)」などと褒められるので、おそらくもっと対応が雑な人の方が多いのだろう。
そのことに気づいた時、「自分の対応はそんなに丁寧なんだ」と驚いた。そして、その丁寧さこそが私への信用をベースとした継続依頼につながり、いつの間にか大きな強みになっていたようだとわかったのだ。
自分の弱点だと思っていたことが強みになることもあるんだ……と目から鱗が落ちた気分である。
弱みを強みに変えてスピード社会を生き延びる
とどのつまり、雑で速い人も遅くて丁寧な人も一定の需要があり、そこにすっぽりはまればそれなりに役に立つ存在になれるということだろう。
それなら無理に弱点を克服するのではなく、弱点を強みに変えた方が、この世知辛い社会で生き延びることが容易かもしれない。
今の私はフリーランスで、それが自由にできる恵まれた身分。今後もスピードアップは期待できない以上、客観的に評価された丁寧さを追求し、できる限りそのレベルを磨いていこう。
おそらく、丁寧で遅い自分の生きる道はそこから開けていくに違いない。
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