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兵馬俑展と古代中国と結局人類は人類でしかなくもなくもないような

兵馬俑展が面白かったよ、という話をずっとしようしようと思って忘れていたのでします。

東方妖遊記という作品で古代中国沼に突き落とされた者としては、これが鼎か〜!みたいになって感動しました。
あと刀剣乱舞とかいうゲームやってると妙に感傷的になっちゃうんですが、兵馬俑の兵士が持っていたという、いわゆるハルバード(正確に言えば戟)の、木の柄の部分は朽ちてしまって青銅でできた刃の部分が残っているとなんかこう、ぐっとこみ上げてくるものがありました。一緒に埋葬された周りのものは朽ちていくけれども彼ら()は残っているんですよ。いにしえの神話の時代の生き証人として。……厨二臭くなってきたので次の話題いきましょうか。

馬の話

兵馬俑、皇帝と共に埋葬された等身大の陶器人形たち、ですが、このルーツではないか?ということで、馬と共に埋葬された、70%大くらいのお世話役の人間(の陶器人形)があったようで、古代中国人の動物への優しい眼差しとか言っていて、「いや単純にヒトより馬の方が高い時代だっただけじゃないかなァ」とか身もふたもないことを考えていました。

井戸の効用

井戸は、昔はゴミ捨て場でもあったそうです。つまり、普通であれば朽ちてなくなってしまう木材でも千年以上前のものが、文字を読める状態で残っていたりする。……つまり、に違和感がありますか?海に沈んだ沈没船へのトレジャーハント、とか聞いたことありませんか?海といった水の中にあるからこそ、土の中で酸化していくよりよっぽど長く残るんです。1000年以上前の木簡に、帳簿的な雑事が書き付けられているのを、今の私たちが普通に見られる(なんだったら数字を読める)のいいよなあ、なんて思っていました。
ついでに、ふと思ったこととしては、ゴミ捨て場って、不潔なんですよ。病は不衛生から発生します。もうちょっと言うと、原因が不衛生である、とクリティカルにわかってはいなかったとしても、ゴミ捨て場にはなんか嫌な感じがある。臭いとか。そういうところは、怪談の温床なんですよね。井戸からお化けが出てくるのはゴミ捨て場だったからか、とすごく納得していました。いやだってほら、井戸が清水溢れる神聖な場所だったら、怪談の舞台にはならなさそうじゃないですか?井戸から女の人が出てくるホラーとか有名な気がしますが、それはゴミ捨て場だったというバックボーンがあったからなのだな、と。

ソフトパワーについて思うこと

そう、日中国交正常化50周年とかで、パンダ外交と似たようなソフトパワーみを覚えていました。私はソフトパワーのことをあまり否定する気はなくて(洗脳まで行くのは断固反対だけれど、暴力すなわちハードパワーほど警戒する必要もないというか、自国も素敵だし他国も素敵で良くないか…?という立場)、むしろ日本人って古いものをありがたがる傾向にあるから、パンダも良いけれどこういう文化的な話ももっとやってくれて良いのに、なんて思いながら見ていました。
ところが、見ていると、中国→日本のソフトパワーというより、欧米諸国→中国のソフトパワーをすごく、ひしひしと感じたんですよね。もちろん、中国の文化が日本に影響を与えていないわけがなくて、漢字とか仏教(ルーツはインドだけど経由した中国の影響も多分に受けてると思う)とか、挙げればキリがないほど、むしろ、中国と日本は切り離せないほど影響を受けているのは間違いないと思います。
そのうえで、展示されている青銅器に、平然と白いインクで描かれた数字やアルファベットを見ていると、むしろ欧米諸国から中国へのソフトパワーを妙に実感させられたのです。大森貝塚を発見したのも日本人ではありませんし、考古学という概念そのものは、イギリスに代表される欧米から持ち込まれた価値観です。まあ人類身近なものは当たり前にあるものとして、価値を感じにくいといえばそうなんでしょうけれども……。そう、展示を見ながら思うのは、あえて露悪的に言えば、墓を荒らし、出土品の価値の重みづけをし、出土品から過去の様子を描いて見せようとした、それは中国の人々ではなくて、というところにソフトパワーにようなものを感じてしまったというか、そういう話です。センシティブな話なのでこのあたりで切り上げますが。

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