鬱作品として拍手喝采を送りたい作品を見た話

こんばんは。千歳ゆうりです。

とあるミュージカルを見たのですが、感想が、
「不快感が降り積もっていき、限界突破するように、こういう結末だったら救われるのに、と陶然と思ったとおりの結末を迎え、自分が救われてしまったことに気づいて絶望した」
という鬱作品なら100点、鬱作品の意図が作者になければただの悪口、という感じだったので、タイトルは書きません。

鬱作品としては褒め称えたいんだけど「不快で絶望しました!鬱作品好きなら心の準備してから見ると得られるもの多いと思う!」という感じで、興味があるなら調べればタイトルわかると思いますので、足を運ばれてみては。

さて、以下、不快感を紐解く過程をうにゃうにゃ書いていこうと思います。

まず前提として、「イギリス人が作った黒船来航とかで右往左往している日本の様子を描いたミュージカル」の、日本語版
という感じなので、原作(イギリス人作成)と日本語版で意図が違ったりとかもしそうなのがあって、演出家や脚本家の意図というものを私は調べていません。なので、製作陣の意図はわからないがエグく良質な鬱作品を提供された、と思っています。製作陣の意図によっては悪口になるのは百も承知なのですごいビクビクしています。褒めてるんですって!

不快感の一つ目は、海外から見た(突っ込みどころ満載な)日本、をお出しされるわけですが、それが忍者とかゆるく受け止められるネタならまだしも、黒船来航~開国、っていう、「忍者とかいないから!!!wwwww」みたいなテンションで見られないものなのでどう反応すればいいかわからない、という点です。いやもうだって大砲ちらつかせながら開国迫ったのあなた方でしょう?面白おかしくネタにして歌とダンスしてるけどブラックユーモアということでいいのか?人の心ある?????????……だいぶ砕けた表現になりましたが、なんとなく伝わっていますでしょうか。

徳川将軍とかまっきんきんな着物なんですよ。黄金の国ジパングってわかりやすいね!!!!!!!
……マジ?ってなりませんか私だけでしょうか。

「籠の上に乗って偉い人感を出したいよ!」とか確かに日本人にはない発想ですが……籠って上に乗るもんじゃないって思っちゃうもんね。(ちなみに時代劇用に売られているものは当然上に乗っかることは想定されていないため、新しく作ったそうです。屋根の一部を外して座布団を敷けるようにトランスフォームできるよう改造済み!
……はい。熱意は評価できるんですよ。小道具中道具大道具どれもしっかり作られていましたし)

とまあ、一事が万事そんな感じで、海外から見た日本ってこんな感じなんだあ〜と半笑いで見られるんですが、これが、違和感ではなく不快感まで行っているのには理由があって、

・地の文はただひたすらに、鎖国をしアメリカ人を野蛮人扱いする日本人を野蛮人だと思っていること
・名誉と誇りの概念が(あえてかはわからないが)実際の日本人が思っているものとずれていそうなこと

あたりが、この違和感を不快感まで昇華させていると思います。繰り返しますが、鬱作品として違和感を不快感に昇華させるのは必要な過程ですし、意図してやっているなら拍手喝采を送りたいと思っています。本当に。

・地の文はただひたすらに、鎖国をしアメリカ人を野蛮人扱いする日本人を野蛮人だと思っていること

まるで、黒船来航までは戦いの無い平和な世界ででもあったかのように、日本を描いている。文明化されていない、牧歌的な農耕民族ででも、あったかのように。百歩譲って、そこはまあ、良いとしましょう。それでも、「変わらない明日」という表現だけは、納得がいかない。慣習を重んじるのは、まあ、事実だからからかってくれて構わない。公務員の友人は何人かいるが、皆が皆、口をそろえて、「今までどういうやり方でやってた?」が一番最初に聞くことだ、なんて宣ったりする。ただ、変わらない明日、というのは、納得がいかない。断じて、ループではないはずだ。ループと螺旋は違う。真上から見れば、同じところを回っているようにしか見えないだろうが。着実に、積みあがっている何かはある。そうでなければ、……そうでなければ、豊かな文化が、豊かな文化として、後世に受け継がれるわけがない。詠み人知らずの無数の歌を、六歌仙の雅な歌を。世界最古の長編文学を。私たちが、読めるはずがないと、思いませんか。ループと、螺旋は、断じて違う。違うのだと、私は思います。

・名誉と誇りの概念が(あえてかはわからないが)実際の日本人が思っているものとずれていそうなこと

名誉、とか祖霊、とかそういう言葉をちらほら口にします。その名誉の意味が、本当にわかって言ってるか?と思ってしまうのです。うまい具体例が思いつかないのですが……。けれども、この「名誉」は違う、そう、私たちにとって名誉とは、おかめさんが死なねばならなかった理由のようなものであって、ここで言っていることとは少し違う、というのが私の考えではあります。

また、祖霊の宿る神聖な土地、と言われると違和感を覚えるのは私だけでしょうか?アマテラスの子孫である天皇を神のように祀っている、いや字面はそうなんだけど、その、森羅万象に神が宿る、その中の一つとして祖霊があり、天皇があり、山や川、つくもにやどる神がある、というこの感覚が、英国人に理解できないことだけはわかる、という感じでしょうか。田畑、山、神社、土地に宿る神とご先祖様と、あまり区別せず優劣つけず、ただそこに神があるのだ、という感覚だと私は思っていたので、一部分だけ抽出してそれがすべてだ、みたいに言われると違和感がありました。なんだろう、トンボの話しかしてないのに昆虫全部の話をしているような体をとられるとちょっと違和感があるというか。

とまあ、海外から見た(突っ込みどころ満載な)日本、というもの、そしてそれへの配慮の無さから来た不慮の事故、のように見える良質な不快感(制作陣が意図しているならマジで拍手喝采を贈りたい)、というのが不快感の紐解きの一つ目です。不慮の事故説も微レ存ですが。私は考えないことにしていますが。
日本ってそう見られているんだ、という意味では本当に発見は多かったです。
あ、ここらで一応言っておくんですが、「不快感」というのは主人公たちが感じるものではなく、観客へのダイレクトアタックの話をしています。だから欝作品として作ってるなら褒めてると再三申し上げているわけです。はい。……はい。

さて。二つ目の不快感は、「バッドエンドのつもりで書かれた結末に救いを感じてしまう絶望感」です。

ネタバレ配慮……と言うほどでもないかもしれませんが少しぼかして書くと、個人的に、「こういう結末だったらせめて日本人らしい誇りは守られるよな」と思った結末でした。ただ、それは、異国船を問答無用で打ち払う日本を野蛮としている地の文からすれば、バッドエンドのつもりで書かれたと思う、ただ、そのバッドエンドに救いを見出してしまう、自分が日本人であることに絶望した、と言えば伝わるでしょうか。おそらくこの人たちが思うグッドエンドには私は救いを見出せないんだ、という絶望感とでも言いましょうか。英国人が日本のことを調べて書いた、にしては、感じられたものは歩み寄りというより、彼我の間に防弾ガラスがあるという冷然とした事実だった、とでもいうかのような……考えすぎかもしれないのでこの辺で言及は終わらせようと思いますが。

それから、最後に、「傲慢さというヒールで踏みつぶされた花を見ているような、そして、同時に、自分が傲慢さというヒールで踏みつぶしている花は自分には見えないんだ、と気づかされるえぐみ」のようなものも、不快感の一因だったと思います。

欧米諸国に踏み荒らされ、無理に開国と治外法権を認めさせられた日本は、その技術力を何とか盗み、何とかして対等になり、そして同時に、それを善として韓国、台湾、満州に強いていくことになります。それを示唆する終わり方、そして……その、なんとか技術力を吸収しようとする、刀を捨て、洋服を着ることを、まるで良しとするような価値観。お前らが蒔いた種だぞ、と思わず突っ込みたくなるような感じ、でしょうか。欧米諸国が日本に強いたことを、日本も他国に強いていくのです。虐待を受けて育った子供が、大人になって、自分の子供を虐待するように。呪いとは、受け継がれていくものです。傲慢さというヒールで踏みつけられたものを、そして、私たちが気づかず踏みつけてしまったものを、突き付けてくるような、えぐさ、と言えば伝わるでしょうか?
ちなみにこの手の傲慢さは「アメリカの中学生が学んでいる 14歳からの世界史」という本でも感じましたので、ぜひお手に取ってみていただけるとわかるかなあと思います。これはどちらかというと(わかりやすく露悪的できつい言葉を使うなら)ピューリタンみというほうが正しいかもしれませんが。聖人を気取りつつ、自分は正しいと思っている感じ、とでも言うべきでしょうか。

とまあ、良質な欝(と言い張る)を摂取したわけですが、所感をまとめると、欝作品だと思ってなかった(じゃあなんだと思っていたんだと言われると難しいんだけど)し、キャラ萌えかわいそう萌えがあるかと言われるとそれもないので、歌上手かった演奏素晴らしかった、ストーリーは不快と絶望というわけのわからない後味、という感じです。
まあ最初に書いた通り、「不快で絶望しました!鬱作品好きなら心の準備してから見ると得られるもの多いと思う!」という感じでしょうか。制作陣から観客へのダイレクトアタックの準備はした方が良いでしょう。おそらく。

ただ、後味は不快と絶望なんですが見る価値はあった、という本当に不思議な気持ちです。もう一回見たいとは思いませんが。

最後に、少し話が逸れつつも、関係する話だと思うので書かせてください。

ポケモンレジェンズアルセウスというゲームをご存じでしょうか。昔のポケモン世界へと異世界転移されてしまった主人公が頑張るお話なのですが、異世界転移者である主人公は、「働かざるもの食うべからず」と村で施しを受けるための試練を受けることになります。
……この流れを、つまり、役に立たなければ存在してはならない、という暗黙の了解を、努力を礼賛する空気を、自然に、美徳のように受け入れてしまうのが日本人なのだ、と思います。私も、友人から指摘されるまで気づきもしませんでした。確かに、子供に「役に立たなければ存在してはならない」と教えるのは危険です。少し神格化もあるでしょうが、田尻さんであれば、そんなストーリーにはしなかったでしょう。役に立たなくても存在して良い。子供にはその手のメッセージを向けるべきだし、そこまで配慮できず自然とそのストーリーを作ってしまったのであれば、それは、わかることでは、あるのです。同時に、無意識に受け入れてしまう自分を、すこし、空恐ろしくも感じます。

私は、あまり翻訳文学が得意ではありません。それは、海外の暗黙の了解を、了解できないことによる、違和感のようなものを、強く感じてしまうのだと思います。そのくせ、自分が無意識に受け入れている、美徳、美意識、誇りのようなものは無自覚だ。自分の傲慢さには無自覚なのです。人間とはそういうものなのだろうと思います。

ちょっと観客へのダイレクトアタックの準備ができていなかったのでびっくりしましたが、得るものは多かった(じゃなきゃここまで文字を綴ったりしない)ミュージカルでした。
ので、得たもののおすそ分けくらいの気持ちで書いています。ここまで読んでくれてありがとうね。

くどいようですが最後にもう一回だけ言っておくと、欝作品として拍手喝采したいですし、悪口を言う意図は全くありません。悪口になっても困るので、タイトルは言いません。気になる方は調べてください……が、怒られたら消します。よろしゅうに。

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