映画『ルックバック』を読む――外に出ることと喪の作業

外に連れ出されたのは京本か、藤野か

劇中では主人公の藤野が京本を外に連れ出したことになっているが、この作品ではいたる方向に「外に出る」という動きが起こっている。

不登校だった京本は、藤野が学級新聞に載せていた4コマ漫画に感銘を受け、卒業式の日に藤野に卒業証書を家まで届けに来てくれたことをきっかけに彼女の部屋を出て、藤野の部屋に上がり込む。

主人公の藤野歩は、画力において太刀打ちできない京本に対して対抗するのを諦め、漫画を描く習慣から離れて「漫画を描かない普通の小中学生」の文化圏に移るが、卒業式の日に京本の口からベタベタに称賛の言葉を受けたことで「普通の小中学生」の文化圏からは「外部」にある漫画家的な文化圏に戻って来る。

京本を襲った男は、他の美大生の作品に対して「パクられた」という妄想を抱き、彼の部屋を出て京本が進学した美術大学の校舎へと侵入する。

京本が男に殺された事件の後、藤野は「あの時、外に連れ出さなければ」と後悔するが、彼女が連れ出さなくてもいずれ京本は絵を極めるため美大に進学し、事件に巻き込まれただろうと彼女が理解するのは空想のシーンで描かれる通り。

「外に連れ出す」というモチーフに注目するのは、誰かが誰かを外に連れ出すという運動が、彼女らの人間関係、より直接言うなら「依存関係」の変化に繋がっているからである。

京本の死後、藤野は鬱のような状態に陥る。これは京本を外に連れ出してしまったことに対する後悔というより、京本に依存できなくなったからだと考えられる。

劇中では都会の中で藤野が京本の手を引っ張り、後ろを振り返りながら街を進むシーンが繰り返しのように”二度”描かれる。これは藤野が京本を外に連れ出している様子というより、藤野がその背中に京本の存在を必要としていた関係性を描いていると言えよう。

藤野が京本に依存していたのは、画力の高い背景美術が藤野の構想する物語に必要だったからではない。

そもそも藤野自身の漫画に対する愛があまり描かれないのに対し、同級生や京本、プロの編集者からの評価を露骨に鼻に掛ける描写が何度も描かれていることから、藤野のモチベーションの源泉としては漫画愛よりも第三者からの評価の方が大きかったことは明らかだろう。藤野が一度折った筆を再度持ち直したのも卒業式の日に京本から大絶賛の評価を貰ったからだ。

また、京本が美大に進学するためこれからは漫画の背景を手伝えないと打ち明けた時に、京本あんたが美大で一人でやっていけるわけないと罵倒し、狼狽したことからも藤野にとって京本の存在がどれだけ重要だったかが察せられる。藤野の連載漫画がヒットした後も、京本ではないアシスタントに対する不満を編集者に漏らす描写もそれを補填する。

そのような依存状態にある時に、藤野の元に突然京本の訃報が届く。

京本がいた頃に戻れる可能性を頭の片隅で信じていた藤野は、これにより完全に京本という安心圏の外に放り出されてしまったのだ。

「藤野キョウ」になる藤野歩

藤野は引きこもりだった京本を外に連れ出したが、逆に藤野は承認欲求を安易に満たせる京本という保護圏に徐々に依存していく。京本が美大進学を決意し、藤野と離れることで、藤野は京本の承認を得られない「外の世界」に行かざるを得なくなる。安全圏を出て美大に進学した京本もまた、事件に巻き込まれることで生の世界から死の世界へと追いやられ、藤野は京本という安全圏から完全に隔絶される。

京本を失った藤野は、自分が京本を外に連れ出さなければ死なせずに済んだかもしれないと後悔しつつ、漫画的な空想を経由して京本の死を受け入れ、自身の部屋へと帰る。

そして京本が生前そうしていたように、部屋の作業机正面の窓に4コマ漫画の枠だけが描かれた紙を貼り、自身の漫画の続きを描き始める。

藤野の京本に対する喪の作業は一言で言えば「京本への依存からの卒業」であるが、この作業を無事に終わらせられたのは、二人が互いに互いを外に連れ出したことで生まれた「藤野キョウ」という主体があったおかげではないかと考えている。

二人は高校卒業で別れる前まで「藤野キョウ(言うまでもなく藤野+京本の京の合わせ文字である)」というペンネームで書き切り作品を掲載していたが、その過程で彼女らは二人で一つの主体として自分自身に拠って立つ「自己満足状態」を実現していたはずだ。藤野歩が一人で『シャークキック』という連載作品を描き始めてからも「藤野キョウ」のペンネームを使い続けていたのは、彼女が潜在的にこのことに気付いていた証左だったのではないか。

葬式の後、時間の止まった京本の部屋の中で藤野は『シャークキック』を見つけ、その最新刊を読んで部屋を後にする。『シャークキック』を描いたのは「藤野歩」ではなく「藤野キョウ」である。喪の作業を通して、藤野歩は「藤野キョウ」としての自己に気付き、京本への依存状態から卒業するのである。

それゆえ喪の作業を終えた後の藤野に京本が半分乗り移っているように見えるのは偶然ではあるまい。京本によって自分が外に連れ出されたことを再確認し、これによって藤野は自己の内にある京本を確認し、自分自身に拠って立つことが可能になったのだ。

「ルックバック」という英語は「後ろを見る」とも「背中を見る」とも解釈できる。かつての藤野は自分の漫画の背景美術に京本がいることを確認し、彼女の後ろを京本が支えていたことで、自分自身に価値を感じることができていた。京本亡き今、彼女の背中に貼り付いてる京本の存在を信じることで藤野は次の作品を描いていくのであろう。それはあたかも「藤野歩」のサインが背中に描かれた服を京本がずっと持ち続けていたように。


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