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会釈ができる人間でいたほうが平和じゃないか

「出たとこの横断歩道で立ってたら市バス止まるやん?」
「止まるねぇ。横断歩道を渡る人が待ってたらドライバーは止まらなアカンからな。宮崎では一般車も止まるけど関西ではバスしか止まらんよな」
「朝てみんな急いでるやん?」
「朝は時間の経過が2倍速やからな」
「それな。市バスって基本大幅に遅れてるやん?」
「時間通りに来たことないからテキトーに出るけど、どれに乗ったかはわからんよな。42分のバスちょっとしか遅れてへんやんおもたら、むっさ遅れてる33分のバスやし」
「電車との兼ね合いあるから困ってる人多いやろな。電車の時間考えて1つ前のバス乗ってんのに改札通ったら電車行っちゃってるとかやで。そんな人たちを何十人も乗せてるのにボクひとりのために止まらんといて!そんなことするから大幅に遅れるねんお願いやからはよ行って!て思うねん。やからバス道出た時にバス見えたらちょっと下がって自転車のカゴの中の何かを取るフリしてる。今日も市バスの遅れをちょっと取り戻しといたで」
「アンタやるな」
「やろ?交通弱者には譲るもんや。バスに乗ってる人たちより自転車のボクのほうが駅には先に着くからな」
朝の交通弱者は目的地に着く速さで決まる。

巷にはポリスが溢れている。
マスク警察に消毒警察に自転車警察。
「交通弱者が『こっちが正しいねんから』で突破したら死ぬで。交通弱者は道横切れるし~て飛び出て轢かれたら、死ぬ。正しいけど死んだら意味ない、止まってくれたと会釈のひとつが出来る人間こそが生き残る。止まった車に会釈しといたら一般車もだんだん止まるようになんねん、それが会釈の効能やんか。労力もたいしたことないし出し惜しみする場面あるけ?会釈」

ドライバーは道を譲って当然だから会釈する必要はないという意見があって驚いたことがある。
これまで私がドライバーで一旦停止した時には、子供も老人も日本人なら会釈をし、外国人なら片手をあげて道を渡る人しかいなかったから。
会釈が必要ないと感じてやらないて行動を取るのか~と思って。
自然と出ちゃうのが会釈だと思ってたから。
必要ないから会釈をしない人間関係で物事が良く変わるとは思えないから、気持ちよく会釈で終えておきたい私は。
それを「必要ない」と否定される日が来るとは思わなんだ。

私は道路交通法を完璧に守ってるかと言ったら守っていない。
自転車で今のは赤だったなてタイミングで渡ることもあるし、右側通行をしている時もある。
だから正義のポリスぶらずにお互い様ポリスでいってるの。
完璧になれないのはお互い様。

右側通行自転車のおばちゃんに「もう!危ないな!」て言われても「ごめんごめん自転車は左側通行やで~」てすれ違いざまに左側通行してる私が謝るし、右側通行で並進までしてる学生にすれ違いざまに「せめて一列にはなろうや」て私も含めた提案にしてる。
おばちゃんには睨まれ、学生には「きっしょ!」て言われることもある。
きっしょてえぐられるワードだよね、立ち直るのに10秒かかる。

許し合って声掛け合って笑顔ですれ違って、良く変わっていきたいなら行動は自分から。

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