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これ一行詩で。 安部聡子

これは地点の稽古場で「Oui Non ウィ ノン」(机上で、使うテキストを監査)しているとき、台詞を割り振ってるときに聞かれる言葉です。ちなみに稽古が始まってちょっと行き詰まってくると、「そこ、なんかいい一行詩ない?」という言葉が聞かれるようになります。そうすると俳優たちは自分の持ち台詞の中から最適と思われる一行詩を引っ張りだして試してみます。見事局面を打開する一行詩が選ばれると、やっと稽古が再開します。

まぁ、その間も稽古中なんですけどね、自分の番じゃなかったりすると頭がぼーっとしてきて、えっと、一行詩、一行し、、「いちぎよういちぎようびようてきな神経がはーりつめていましたー」という声が聞こえてきたりします。なにかと思ったらこれはチェーホフの『かもめ』トレープレフの台詞ですね。ひどい別れ方をした元恋人ニーナから何通か手紙が来てたけどその手紙っていうのが彼に言わせると、一行一行、病的な神経が張りつめていたらしい、そしてその署名が「かもめ」だったというおまけつき! この場合、手紙を書いたのはかもめ(ニーナ)ですが、受け取ったトレープレフも一行一行、病的な神経を張りつめて読んだことでしょう。言葉の持つ執念、一行にしがらみつく青春の渇望のエネルギーに思いを馳せてしまいます。


「一行とて、あだやおろそかにしてはなるまいぞ。」というチェーホフの声が聞こえてきそうです。聞こえてきませんか?聞こえるでしょう?

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失礼、稽古が再開しました、地点の一行詩に戻ります。

初めて一行詩という言葉を聞いたのは、いつだったか‥‥‥作品の構成上、ひとつのシーンとしては採用されなかったけど、消えていくにはもったいない台詞の救済措置として聞いたように記憶してます。

「そこ、一行詩として言えばいいか!」って発見でした。

例えば、

◎配役されてないキャラクターの台詞だけど誰でも言おうと思えば言えそうな台詞

「抜け毛には…ええと、ナフタリン八グラムをアルコール半瓶に…溶解し、これを毎日もちいる…」

チェーホフ『三人姉妹』チェブトイキンの台詞をマーシャが一行詩として言いました。


◎関係性にとらわれない純度の高い台詞

「善意は踏みにじられるためにある。」

松原俊太郎『忘れる日本人』調査員の台詞をAbeが一行詩として言いました。


◎核心をついた台詞

「その意味では、実際問題としてわれわれはすべて、しかもひじょうにしばしば狂人同然であると言えます。」

ドストエフスキー『罪と罰』ゾシーモフの台詞をレベジャートニコフが一行詩として言いました。


◎時間の分断、或はつなぎ、展開の手助けをしてくれそうな台詞

「痛くて泣くのも悲しくて泣くのも、助けを呼ぶのもただ人を呼ぶのも、ここでは引括めて吼えるという。従ってこの土地で吼えるのは熊だけではなく、雀や鼠も吼えるのである。退屈、限りない退屈。何をして気を紛らそうか。ねぇ、ひとつ吼えてみるかね。ねぇ、旦那!ねぇ!」

チェーホフ『シベリヤの旅』の中から抜粋した台詞をチェーホフ『ワーニャ伯父さん』のYukが一行詩として言いました。


◎ちょっと息抜きになりそうな台詞

「いま雪が降っている。なんの意味があります?」

チェーホフ『三人姉妹』トゥーゼンバフの決め台詞を、なんとクルイギンが奪ってトゥーゼンバフに叫んでいました。
おっと、これじゃ息が抜けませんね。

などなど。

このように、単体でポエットとして成立し、機能できるような台詞や言葉を一行詩と名付けて使っています。

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ときには使うテキスト全部を、まるごと一行詩の束として捉えて俳優に割り振っていくことだってあります。
その場合はシーンの題目やテーマに沿って、面白くなりそうな持ち台詞を俳優それぞれが手練手管を駆使して次々と場に放りこんで時間を進めていきます。

一行詩を紡いでいくと演劇ができるんだ!

なんだ可能性に満ち溢れているじゃないか一行詩!!

そんなことを夢見、打ち砕かれながら、俳優たちは今日も、分配された一行詩を一行たりとも無駄にすまい! と、繰り出すタイミングを伺いつつ、自分の持ち台詞がまとめてあるスマホを隅っこで眺めたり、プリントアウトしたものを床に並べては回収したり、驚くほど小さい字で書かれたメモや驚くほど薄い字でびっしり埋められたノートを手に、稽古場をうろうろしているのです。

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