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母娘の呪い

妊娠、出産、子育て。

この女性特有のライフイベントを乗り越えた後、がつんと落ちてしまう母達がいる。

数年前と比べ産後うつという言葉は確実に浸透してきたと感じる。振り返ってみると「あの時の私、産後うつだった」と思う方も多いのではないだろうか。

産後うつまではいかなくても、なんとなく涙が出てしまうとか、赤ちゃんに泣かれるとソワソワしてしまうとか、いつもと違う自分に直面し戸惑う人も少なくない。

妊産婦のメンタルヘルスは私も日々仕事で考えさせられる分野だ。そして考えていくにつれ数年前から気になっていたことがある。

母ー娘の間を脈々と受け継がれる呪いの存在だ。

この呪いはとても厄介で、呪いにかかっている女性(娘)が母になるときに非常に強い影響を及ぼす。そしてより厄介なのが、女性自身がこの呪いにかかっていると気づいていないときだ。

例①

※この事例は改変しています

私と同じ年代の母親がいた。頑張って育児をされていたが、時々気持ちが大きく揺れてしまうことがあった。

ある時泣きながら電話をかけてきたことがあった。訪問してみるとうずくまり、しゃくりあげて泣いていた。どうしたのか尋ねる。彼女は「お母さんが…」と実母に対する思いを語り始めた。

「お母さんー」「お母さんー」「お母さんー」

まるで小さい子が「お母さん」を呼ぶような声で。感覚的には幼児に近かったと思う。

それまで何度も彼女と話している中で、私は残酷なことに気がついていた。本人もわかっていたと思う。

彼女の呼ぶ「お母さん」という切実な声は、過去も現在も未来であっても実母には届かない。

娘の声が届くような人ではなかったのだ。

自分と同じ年頃の人が、お母さんを欲して泣いている。

いたたまれなくなった。一緒に涙を流すこともできた。でも目の前に泣きじゃくる彼女を見て、泣けなかった。哀れに思ったのだろうか。同情したのだろうか。私は背中をさすり、一番届いて欲しい人に届かないその声を、ただ聞くことしかできなかった。

例②

※この事例も改変しています

一見すると普通の妊婦さんだった。

経済的にも安定し、夫の協力も万全でないなりに得られ、念願叶っての妊娠・出産となった。

彼女の人生は出産とともに一変する。

妊娠中も特別心配な様子がなかったため、私もノーマークだった。赤ちゃん訪問で初めてお会いしたとき「この子が怖い」と話されて少し驚いた。

何がママを怖いと感じさせるのか?と聞くと、赤ちゃんが泣いていると自分が落ち着かない感覚になり、何をしてしまうかわからない自分が怖いと話した。

どう赤ちゃんと接したらいいかわからない。

この訴えをする産婦さんは少なくない。この方もそのうちの一人だった。

不安はあるものの相談しながら、赤ちゃんは大きくなっていった。多分、互いに腑に落ちていないままだったと思う。

そしてお子さんがイヤイヤ期に突入した時、その方の張っていた糸が切れてしまった。

消耗したその方を見て、もっと違う支援ができたのではないかと反省した。腑に落ちない感覚に気がついていたから余計に悔しかった。

ゆっくりと時間をかけて対応を続けていくと、だんだんと「自分は小さい頃から泣いて親に甘えたことがない気がする」「親の言うことを聞いて、敷かれたレールに乗って大人になった」と語られるようになった。

毒親ではないけれど

最近では 毒親 という言葉をよく聞くようになった。自分の子供になら何をしても良いと勘違いしてる親や、逆にとても無関心で自分ばかり優先している親。「子どもにとって毒(よくない)」という意味で毒親と呼ばれるようになったと推測する。

例①の場合は極端なケースなので他人から見てもわかりやすいが、問題は②のケースのような派手さのない場合だ。

「あなたのため」と娘に接し、親が思う"良い人生"を子が送れるように手を貸す。娘が自分の意見を述べようものなら「違う違う!もうあんたはいつもそうなんだから。」と無意識に否定する。

その言葉が娘を一生縛るかもしれないなんて、つゆほどにも思ってない。"母として当然のことをしている私"に疑問を持たず、悪意のない呪いをかけ続ける。

いわゆる毒親の定義に入る層とはまた違う。世間から見たら子育てに一生懸命な母親に見えるため、毒親と認識はされにくい。

呪いの存在に気がついてない人には、このモヤモヤは伝わらない場合が多い。

「いいお母さんじゃん」とか「子どもへの思いが強いんだね」とか「うちもそうだったよー!」とか。自分に尽くしてくれている母親に対し、悪いことを言うなんてなんて親不孝な娘なんだ!と見えない圧が世間には充満している。

共感してもらえないモヤモヤは、いずれ心の奥にしまい込まれる。

そして大きな刺激を受けるまで、静かに心の中に居住まい続けるのだ。

呪いが花開くとき

ここではもちろん、大きな刺激=妊娠・出産・子育てのことだ。呪いにかかった女性が、呪いの根源である”母”になるとき。本人も予想していなかった揺らぎが生じる。

無防備な自分を受け入れられた経験が少なければ、無防備な赤ちゃんを受け入れることはできないし、

ありのままの自分を受け入れられた経験が少なければ、ありのままに感情をぶつけてくる子どもを受け入れることはできないのだ。

呪いに気がついてこなかった人は、赤ちゃんを前にして現れた真っ黒い感情に戸惑い、傷つき、自分を責める。「赤ちゃんを可愛いと思えない私は母親失格だ」と。

そんなことを口にしようものなら家族からは「産後うつってやつじゃない?」と決め付けられてしまう。本人も「そうか、これは産後うつか」と思い込む。確かにうつの”状態”かもしれないけど、根っこは別のところにある。いくら心の薬を飲もうが、子どもと離れて休もうが、対症療法に過ぎないと私は思う。この場合切り込むべきは、母娘の呪いに対してだ。

支援者側も、母親に生じている状態に対してのアプローチをしがちだ。見えている症状にアプローチするのは難しくないし、間違っているわけでもないからだ。

ただ根っこを見誤ったまま対処し続けると、母自身のモヤモヤは解決していないのに「良くなった」と勘違いして支援が止まってしまう。

そのモヤモヤは次なる母娘の呪いを生む可能性を孕んでいるというのに。

呪いを解くには

呪いを受けてきた人は、母親への違和感を口に出すと同時に必ずと言っていいほど母親をかばう言葉を発する。

「親が忙しくてあまり手をかけてもらえなかった気がします。でも大学に行かせてもらったし感謝してるんです」

「いろいろキツイことを言われたけど、私をしっかり育てなければというプレッシャーがあっただろうし」

母親をかばう人を見かけると「ああ、まだ呪いにかかっているな」と私は捉える。

母親が自分を頑張って育ててくれたことと、自分がそれに対してどう感じたかは、はっきり言って関係ない

どんなに母親が一生懸命自分を育ててくれたとしても、

イライラしていいし、モヤモヤしていいし、

「なんでこういうことを平気で言えるんだろう」と非難してもいい。

そういう自然に湧いた感情を”親には感謝すべき文化”に左右される必要はない。

親を悪く思っても、誰にも迷惑をかけてないのだから。


だが、この呪いを解くのにはとても長い時間と労力がかかる。単純に考えて子どもの時から長く呪いをかけられ続けているのだから、存在に気がついたからといって明日から急に解けるわけがない。

そしてもう1つ。たった1人でこの呪いと向き合うことは、あまりお勧めしない

カウンセラーの信田さよ子さんの著書「母が重くてたまらない」には次のように書かれている。

母との関係が終わらない限り、罪悪感はゼロにはならない。
※ここでいう”母との関係”は、母が死んだ後の墓参り等も含む。

呪いを解くプロセスは「母親を悪く思う罪悪感との戦い」だ。

これが本当に本当に苦しい。エネルギーがどんどん吸い取られていく。

吸い取られたエネルギー充電するには、心から理解してくれる人に支えてもらうといい。人と向き合うことで消費したエネルギーは、人と向き合うことで癒されると思う。

それは友達かも知れないし、カウンセラーかもしれないし、同じ境遇の娘達のコミュニティかもしれない。信田さよ子さんの著書でも、だいぶ元気になれる。

ただ世の中にはこの呪いの存在を知らない人が大多数を占めているので、誰に話すかは慎重に決めたほうがよいと思う。

おわりに

母娘の呪い というタイトルではあるが、誤解してもらいたくないのは「呪いの根源の母親を責めるつもりはない」という点だ。多くはその母親自身も呪いを受けて育ってきていることが多く、”誰のせい”と言っているとキリがない。祖先にさかのぼって原因を見つけたところで、むなしさしか残らないだろう。

私は”母も娘も癒される”ことが、真に呪いを解くことだと思っている。

だが「母の呪いも解いてあげなくちゃ!」とは思わないで欲しい。

娘は娘のために生きていいし、母も娘のために生きなくていい。

この記事で誰かが救われるかもしれないし、誰かを傷つけるかもしれない。

でも「自分のために生きるってこんなに自由で楽しいんだ!」って、一度でいいから感じて欲しいです。


私は特別、この分野に関して勉強をしてきたわけではないし、専門家でもありません。あくまで日々の仕事で出会う人達や、自分自身の体験から文章におこしました。興味がわいた方はぜひ信田さよ子さんの著書をお読みになってみてください。